どらごにっくないと

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花魁隠密御用帳

  • 2008-06-30T00:57:34
  • 姫野里美ライター
 吉原に数ある妓楼の一つ、十七夜(かなぎ)屋。そこで一番の人気を誇る花魁が、紅蓮太夫だ。
「どうした‥‥欲しいんだろう‥‥。さぁ、奪ってみろよ‥‥。出来るんならな‥‥」
 店の格子の向こうから、そう言って客を誘う太夫。結い上げた髪は、その名が示す通り、紅蓮の赤。
「ふふ、いい度胸だな‥‥」
 彼に狙いをつけた客の一人が、ごくりと生唾を飲み込みながら、店をくぐろうとする。
 だが。
「おい」
 その時、真後ろからその客は襟首を掴まれる。不機嫌そうな低い声。
「残念だがそいつは私の馴染みだ。手を出さないでもらおうか」
 前髪を一房だけ白く染めた、切れ長の目の美形。左目には、刀傷とおぼしき傷痕。その彼に睨まれて、客はうろたえながら踵を返す。
「アーシエル! てめぇ、何人の商売の邪魔しやがんだよ!」
 大事な金づるを追いはらわれたとたん、紅蓮太夫は籬の内側から出て来て、アーシエルと呼ばれたその青年へと詰めよっていた。
「ラッシュ‥‥。貴様こそ、何を普通に客を取っている。御役目、忘れた訳ではなかろう」
 だが彼は、紅蓮太夫ことラッシュの、今にもしめ殺しそうな怒声にも動じることなく、そう言い放つ。
「だってよー。稼がなきゃ、怪しまれるじゃんか」
「本当に客が来たらどうする。バレたらことだぞ」
 その響きに、多分に心配するそれが含まれている事に気付いているのは、おそらく当のラッシュだけだろう。
「わかってるって。だいいち、三回目まで金続く奴なんざ、そうそう居ないじゃんか」
「世の中には、金をうならせてる奴が、何人もいる。気を抜かない方が良い」
 ここに来るのは、そうした金持ち‥‥『お大尽』ばかりだ。いくら、女遊びは金子がかかるとはいえ、そんな御仁が現われないとも言いきれない。
「だから値段を吊り上げて、そう簡単にひっかからいようにしてんだよ」
「‥‥幾らだ」
 なにか企んで居る様な表情で、にやりと笑うラッシュの顎を捕まえて、アーシエルはそう問うた。
「お、買ってくれんの? 金で三分。まぁ、てめぇなら負けて一分でもいいけどな」
 現在の金額に換算すると、約九万円程度。どれほどの大金かは、推して知れよう。
「言っておくが、他の男に買われて、計画が台無しにならない為の策だからな」
 ぶっきらぼうに言いながらも、はっきり言ってふっかけているラッシュの肩を抱くアーシエル。
「わかってるって。おーい、お一人様ごあんなーい♪」
「まったく‥‥」
 本当に理解しているのかわからないまま、二階の太夫の部屋へと上がる彼だった。

 それから数日後‥‥。
「これはこれはお大尽、いつもご贔屓に」
 店の主が、自らそう言って、身なりの良いその客を迎えている。
(現われやがったな‥‥)
 その光景を見ながら、そう思うラッシュ。
「さすがは吉原に並ぶものなきと言われた妓楼。なかなか良い子を揃えていますね」
 店の中を見まわした客は、その面に、人当たりの良さそうな表情を浮かべながら、そう言う。
「これ太夫、御挨拶なさい」
「お初に御目にかかります。十七夜屋花魁、紅蓮太夫にございます」
 三つ指をつき、ふかぶかと挨拶するラッシュ。むろん演技だ。
「回船問屋、寺根津屋の、絵瑠乱砂州と申します。ふふ、噂に違わぬ美形‥‥。おもわず、触手が動いてしまいますよ‥‥」
「いけません、そんな‥‥」
 化粧を施した顎に手をかけられ、恥らったような仕草を見せてやる彼。
「ふふ、そうですね。ここではなんでしょう。主、二階を借りますよ‥‥」
「どうぞごゆるりと‥‥」
 その仕草が気に入ったのか、絵瑠乱砂州はラッシュの肩を抱き寄せながら、彼の部屋へと上がって行く。
(バーカ、そうは問屋がおろさねぇよ。そう簡単に抱かせてたまるかっての)
 だが楚々とした、武家の妻女にも劣らぬ従順さを示してみせながらも、彼は心の中でそう言って、あかんべぇと舌を出すのだった‥‥。

「字の通り、綺麗な髪ですね」
 結い上げた赤い髪に触れながら、そう言う絵瑠乱砂州。
「おそれいりまする」
 猫を被り続けるラッシュ。ここでバレては、、元も子もないからだ。
「もっとこっちへおいでなさい」
 絵瑠乱砂州が、そう言って彼を抱き寄せた。
(だーっ! さわんじゃねぇ! この変態野郎!)
 だが、中身はいつものラッシュなので、顔にでないながらも、内心ではそう悪態をついている。
「あれ、そんな‥‥。いけませんわ。初回からそんな‥‥」
 通常、初回と呼ばれる初顔合わせの時は、帯は解かない。
「ふふふ、今は余り関係無いと思いますよ」
 しかし、最近ではその慣習もすたれている。いや、噂が正しければ、彼はそんな事を気にする輩ではない。
「せめてお酒でも召し上がってからにしておくんなまし。わっちは雰囲気が出ないと、いやでありんす」
 するりとその腕をすりぬけながら、酒瓶を出す彼。
「わがままですねぇ」
 仕方なさそうに、杯を差し出す絵瑠乱砂州。
(わがままなのは、てめぇだろ)
 ラッシュは、教えられた手順を踏んでいるだけである。それを無視してまで、彼を抱こうとする絵瑠乱砂州の方が悪い! と、彼は思っていた。
「どうぞ、お大尽様」
 熱燗を注ぎ込むラッシュ。
「美人の入れてくれる酒は、ことのほか美味いですよ?」
「光栄でありんすなぁ」
 徳利を持ちながら、微笑む彼。だが、その内側では。
(おーおー。よく味わいやがれ。明日の朝までおねんねしてるあいだに、こっちは用事をすまさせてもらうかんな)
 悪女めいたニヤリ笑いが、絵瑠乱砂州を見つめている。
 そして。
 十数分後、空になった何本もの徳利をひっくり返しながら、熟睡している絵瑠乱砂州。
「やっと寝やがったか‥‥。おい! もういいぜ、アーシエル」
 一方のラッシュはと言えば、ようやく相手が大人しくなったのを見計らい、そう声を上げた。
「随分と時間かかったな」
 現われたのは、外で見張っていたらしいアーシエルだ。
「ったく‥‥。こんなに薬に強い野郎、初めて見たぜ」
 やはり少しは手を出されたのか、呼吸と着物が少し乱れている。
「まぁいい。着物の懐に入っているハズだ。探すぞ」
「ああ」
 そして。
「‥‥これだな」
 油紙に包まれた、書き付け。それが、二人の探していたものだ。
「やっぱりここで張り込んでいて正解だったな。それで、こいつどうする?」
「書き付けは私が持っていく。こいつは、籠でも呼んで、叩き出してやれ」
 ラッシュの問いに、不機嫌さ三割増しの声で、そう言うアーシエル。
「もしかして、怒ってる?」
 彼は答えない。代わりに、こう提案した。
「若い衆を三人くらいつけておけ。いかに金持ちの道楽放蕩息子とは言え、それだけいれば、はぐらかすわけにもいかんだろうからな」
 そして、そのまま、ふぃっと背を向けてしまう。
(怖ぇー。やっぱり怒ってるな、こいつ)
 そりゃあ、目の前で色々されたら、頭にもくるってものだろうなァ‥‥と、他人事の様に思いながら、ラッシュは言われた通りに、手を打つのだった‥‥。

 翌日。
 廓の朝は遅い。何しろ、深夜まで営業中である。起きてくるのは昼に近い。
「誰かいるのか?」
 自分を見つめる気配を感じたラッシュは、昼見世の支度をしながら、そう言った。
「上手く私の裏をかいたようですが‥‥、そうは問屋が降ろしませんよ、紅蓮太夫‥‥」
 姿を現したのは、絵瑠乱砂州。
「てめぇは‥‥っ!」
 順調にいっていれば、今ごろは謹慎でも食らって入るはずの彼に、驚くラッシュ。だが、すぐに持ち前の不敵さを取り戻し、こう言った。
「どうやら懲りてねぇみたいだな」
「さぁ」
 絵瑠乱砂州は答えない。代わりに、足音をまるで建てず、彼へと近付く。
「けっ、やる気かい。だがな、後悔するのはそっちだぜ。俺を、その辺のねーちゃんと一緒にしてもらっちゃ困る」
 その彼から逃れるように後ろへ下がり、袂に仕込んだ細紐を構えながら、ラッシュはそう言った。
 だが。
「なるほど‥‥。そう言う事ですか。ならば、こちらも‥‥」
 その口元が、妖しく歪む。
「何‥‥?」
 その僅かな変化に気付いた時、絵瑠乱砂州は既にラッシュの背後に回り込んでいた。
「私も、その辺の町民どもと一緒にしてもらっては困りますよ」
「早え‥‥ッ」
 手刀を食らわせられる。並の女性なら、崩れ落ちている所だ。
「これでも、あなたよりは強いつもりですから‥‥ねぇ」
「く‥‥」
 確かにその腕は金持ちのドラ息子とは思えない。だが、ラッシュは苦しげにうめきながらも、まだ立ち上がろうとしていた。
「おやおや、まだたて付くと言うのですか。大人しく掴まってくれれば良いものを‥‥」
「ふ‥‥ふざけるなよ。そう簡単に俺は落ちねーぜ」
 強がって見せるラッシュ。しかし、その鳩尾に、当て身を食らわせられ、彼の息が詰まった。
「く‥‥ふふふ‥‥。いいでしょう‥‥。紅蓮太夫‥‥、いえ、ラッシュ‥‥。私にたて付いた事、後悔させてあげますよ‥‥。その身にね‥‥」
「この‥‥」
 動けない彼を、抱え上げる絵瑠乱砂州が、こう言い聞かせる。
「大人しく、わが手に落ちなさい‥‥。良いですね‥‥」
「ア‥‥シエル‥‥」
 呟いたラッシュのその手から、握り占めていた細紐が、はらりと落ちた‥‥。

 その日の夕方‥‥。
「太夫が帰って来ないだと?」
 いっこうに姿を見せないラッシュを、いぶかしんだアーシエルがそう聞くと、店のものはそう答えた。
「まさか、奴に気付かれたと言うのか!?」
「ありえん話ではない。昨日、薬の効きにくい奴だと、ラッシュは言っていた。奴が目を覚まして、若い衆を襲い、再びラッシュを手に入れようとした‥‥」
 確かに、今抱えている『仕事』の事を考えれば、答えは容易に想像つく。
「乗り込んでくればいいものを‥‥、なんで回りくどい事をする」
「アレは三分の上級。金子をかけていたぶるよりは、持って帰った方が早いと見たか‥‥それとも‥‥」
 アーシエルが、そう言った、ちょうどその時である。
「アーシエルって奴、居るかい?」
「私だが?」
 文使いの若い衆が、彼に手紙を渡す。
「寺根津屋の若旦那からの文だ。それじゃ、確かに渡したぜ」
 それは、彼が思っていた通りの人物からだ。
「奴はなんと‥‥?」
「少し出掛けて来る。場所は寺根津屋の寮だ」
 店の者の問いに、そう答えるアーシエル。その不機嫌そうな表情を見れば、何を要求されたかは、大よそ察しがつこうと言うもの。
「‥‥わかった。気を付けて行って来い」
(ラッシュ‥‥)
 だが、そう言って送り出した店の者の言葉は、既にアーシエルの耳には、届いて居なかった‥‥。

 数刻後。
「これで、全部か‥‥」
 その彼の足元には、寺根津屋の寮を守っていたゴロツキが、何人か転がっている。
「絵瑠乱砂州! 居るんだろう! 書きつけは持って来た。ラッシュを出せ!」
 もはや止める者のいなくなった屋敷の奥に向って、アーシエルはそう叫んだ。
「おやおや、誰一人あなたを止めることが出来ないとは、ふがいない部下達ですねぇ」
 のんびりとした様子出そういながら、姿を見せる絵瑠乱砂州。 
「ラッシュはどこだ」
「太夫なら、ここに」
 後ろの障子を広げて見せる彼。そこにいたのは、人目でそれと分かる陵辱の痕を残し、気を失っているラッシュの姿だった。
「貴様‥‥」
「何を怒る事があります? 私は正当な代価を支払った。商品を受け取っただけですよ」
 睨み付けるアーシエルを尻目に、絵瑠乱砂州はそう言って、ラッシュの身体へと触れる。
「その汚い手をどけろ」
「書き付けを渡して頂ければ、すぐにでも」
 やはり、目的は、彼らが奪ったものだったらしい。だが、それを渡したら、全ては水の泡だ。と、その時だった。
「ん‥‥」
 ラッシュが、薄く目を開いたのは。
「ラッシュ‥‥」
「おやおや、太夫のお目覚めですね」
 二人の声に、ラッシュは首を横にふって、自らの身体を起こした。だが、それを絵瑠乱砂州は、身動き出来ない様に押さえつける。
「アーシエル、そいつを渡すな。俺はこんな奴に、簡単に殺されたりしねぇ!」
 その瞬間、今どう言う状況かを悟ったラッシュは、思わずアーシエルにそう叫んでいた。
「黙りなさい、太夫」
「あう‥‥っ!」
 しかし、その刹那、後ろから首をしめ上げられ、彼は押し殺した声を上げる。
「ラッシュ!」
 一瞬、息が詰まるラッシュだったが、ここで倒れては、アーシエルが動き難い。大丈夫だと、呟く。
「さぁ、アーシエル、それをお渡しなさい」
 絵瑠乱砂州の言葉に、アーシエルはそのラッシュと、証拠の品とを天秤にかけた。
「‥‥判った」
 傾く方は決まっている。彼は、満足そうにそれを受け取ると、そのままいずこともなく姿を消した。
「アーシエル‥‥。すまねぇ‥‥」
 かけ寄ったアーシエルに、そう言って謝るラッシュ。
「気にするな」
「でも、これで台無しだろ‥‥」
 せっかく、手に入れたのに。責任感なんぞと言う単語が似合わぬ男だったが、それでも自分のせいだとは、思っているらしい。奪われ、憔悴しきった顔に、それがありありと浮かんでいた。
「私にそんな手ぬかりがあると思うか?」
 だが、そんなラッシュに、アーシエルはそう言って、にやりと笑う。
「へ‥‥?」
 怪訝な表情を浮かべるラッシュに、アーシエルは懐からもう一つの油紙に包まれたものを出して、そう言った。
「アレは偽もの。本物はここにある」
「って、どうやって騙したんだよ!」
 きっちり開いて、それを確かめた絵瑠乱砂州の姿を思い返しながら、ラッシュは問うた。
「知り合いに絵草子作家がいてな。人の筆跡を真似る事くらいは、朝飯前に出来る」
 そう言えば、彼の周りに、そんな経歴を持った女性が居たのを、彼は思い出した。書いているものはいかがわしいが、腕は確かだ。
「ふ、このまま、ただで済むと思うなよ‥‥」
 ラッシュに肩を貸してやりながら、アーシエルがそう言う。
「もしかして、怒ってる‥‥?」
「当たり前だ」
 ぶっきらぼうに答える彼。
 二人が店へ戻るのは、それから一刻ばかりたってからの事である‥‥。
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