どらごにっくないと

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雪山に交差する思い

  • 2008-06-30T00:58:37
  • 本田光一ライター
●山小屋
 薪の焚かれる灯油缶。簡易の囲炉裏となっているその中で、数本の薪がパチパチと爆ぜる木の音だけが静かな山小屋の中に響き、少し前まで埃の舞っていた狭い部屋に落ち着いた空気がある。たった二人の入室者にも、心安らかな夕べのひとときが訪れ‥‥。
「馬鹿野郎! それ以上、近付くな!!」
 器用に、毛布にくるまったまま後ずさる黒髪の青年。
「ショウってば、そんなに俺のこと気にしてくれているんだ〜〜サイッコーだね★」
 満面に笑みを湛え、赤い髪を高い位置で一つにまとめた青年が楽しげに新たな薪を灯油缶の中に叩き込む。
「薪をくべたら、あっちに行けよラッシュ!」
 近寄れば殺す! とでも言いたげな鋭い眼光。
「乾かしてるから近付いてるのになぁ〜。ショウは我が侭だ」
 明らかに楽しんでいる空気が漂う、しまりのない笑顔。
 食い違う意見と、互いの意見には一切耳を貸そうとしていない状態が続いている。
 彼らに平穏は‥‥訪れそうにない。
「いいから、そこからこっちに来るなよ!」
 と、ショウ・シンジョウが指さしたのは部屋の中央程で天上にある梁である。見上げたラルラドール・レッドリバーの直ぐ真上。そこからショウまでの距離は3歩半と言ったところか。
「服が乾かせないじゃ〜ん。そうかぁ、ショウはそのままで良いんだぁ〜」
 パタパタと、火の上でズボンをあぶりながらのラルラドールがニヤリと笑う。ズボンの脚に通したスキーのストックを編み棒のように器用に動かすラルラドールの手元、湯気の出ているズボンはどう見ても生乾きである。
 そんな濡れたズボンを部屋の端に投げ出すような格好をしてみせるラルラドールに、例え『ふり』だけだろうと思っていても、緊張の続いた状態の脳はまともな思考回路をショウから奪っていた。
「ひ、卑怯だぞ!」
 焦りの色濃く、身を乗り出したショウの肩から毛布がずり落ちる。
「パンツ一丁で凄まれても、ぜぇんぜぇ〜ん」
「クッ‥‥」
 完全に、ラルラドールのペースにはめられている。
 あわてて毛布をかき寄せるショウを横目に、肩を揺らして笑うラルラドール。
「なんだ、何がおかしいんだ?」
「いやぁ‥‥よく考えてみたら‥‥」
 パタパタと、手を振って爆笑するラルラドール。
「ショウがパンツ見られて恥ずかしがってる姿なんて、そう拝めるモンじゃな‥‥」

 スコーン!

「あっぶね〜」
 ラルラドールの髪をかすめて、空き缶が部屋の壁に突き刺さるように舞った。
 絶妙のタイミングで身を捻り、ショウの投げた空き缶から回避することに成功したラルラドールが額の汗をズボンで拭った。
「きっ、さ、まぁぁぁ〜〜」
 怒りよりも、羞恥。
「あ、ワルイ」
 と、悪ぶれもせずに返すラルラドールに、無理矢理に風呂に入れられてしまった猫の様に全身の毛を逆立てて威嚇する猫、ことショウ。
「‥‥う〜ん、良い反応」
 拾ってきた子猫に餌をやって、これから一人と一匹でゆ〜っくり午睡でも‥‥というノホホンモードに突入している飼い主ラッシュことラルラドール。
「そうやって怒りんぼの天の邪鬼だから沢に落っこちたりするじゃん」
「く‥‥」
 ニヤリ、してやったりのラルラドールに反論できなくなるショウ。
「吹雪いてきたのも、天気予報で昼から荒れるって言うのになかなか帰らなかった『誰かさん』が居た責任だし‥‥」
「くくっ‥‥」
 更に追い詰めるラルラドールに握り拳を固めて耐えるショウ。
「沢に落っこちたのも『誰かさん』が勝手に逃げ回って獣道だって言うのに無理矢理ショートカットしようとして雪崩れて墜ちたせいじゃぁなかったかなぁ〜」
「ほ〜お?」
 地獄の底から響いてくるようなショウの低いうなり声。
「あれっ?」
 追い込みすぎたかなと、首を巡らせたラルラドールの前で毛布をマントよろしく身体に巻き付けて立ち上がるショウ。
「それもこれも、ゲレンデで俺を追いかけ回したお前の責任だろうが!」
 睨むだけでは彼の憤りは収まるところを得られなかったのだろう。
 気合いという物が目に見えれば、ショウの裂帛のそれは確かにラルラドールの脳天に突き刺さって床にまで穴を穿っていたかも知れない。だが、そんな険しい気迫をぶつけられている本人であるラルラドールは一向に気にしている風でもなく、パタパタとストックを振ってショウのズボンをまんべんなく乾くように動かしているだけだ。
「う〜ん。やっぱり乾きにくいなぁ〜。自分でやるか?」
「‥‥ああ」
 ひょいと、ズボンを持ち上げられて、怒りの矛先も何も、相手には通じていないのだと言うことを現実として知らされるショウ。
 肩を落とし、手を伸ばした先にストックが‥‥。

 バサッ。

「あ。でっかい‥‥‥」
 呆けたラルラドールの呟き。
 じっと、寄せられる彼の視線の先には、両手を差し出した為に支えを失って落ちた毛布が隠していたモノがある。硬直したショウの身体と絶対零度で固められたような彼の思考回路は、だが刹那に解凍されて運動神経に床に腕を伸ばすように指示を飛ばした。ほんの僅か、瞬きするかしないかという一瞬でショウは床に落ちた毛布をたぐり寄せ、身を隠すように毛布ごと床に設えた台の上にしゃがみ込んだ。
「み、みみみ‥‥‥」
「蝉はこの時期居ない‥‥」
 ヤキでも回ったのかと、溜息混じりに言ってのけるラルラドール。
「み、見たのかと聞いている!」
「今、聞いてるんじゃないか‥‥」
 たかが裸(しかもパンツは脱いでない)を見られた位で恥ずかしがるような年齢でも間柄でもあるまいにと、落ち着いた空気をまとうラルラドール。
 彼に対して余裕も何もなく、先程からひしひしと感じている身の危険について考えれば考える程に思考の渦に落ち込んでいる自分を自覚してしまうショウなのだが、それでもラルラドールに心を開くような余裕(‥‥いや、ショウにとってそれは堕落だ)は一切無い。
 スキーに仲間達と遊びに来て、何が悲しくてラルラドールに遊ばれなければいけないのだと、寒さよりもやるせなさに肩を揺らしてしまう。
 だが、世の中というモノは不幸な者に更に不幸を投げかけるのを黙認する神が多いらしく、日もとっぷりと暮れて山小屋の外からは一向に止みそうにない吹雪の風鳴りがする。
「しっかりした造りなんだけどな‥‥この山小屋‥‥」
 ボソリと、呟いたラルラドールがショウを見ると常には自信に満ちた光を放つ彼の瞳が混乱して自分でも解らないままなのだろうが、僅かに潤んでいる。
(可愛い〜って、言ったら‥‥‥また怒られんだろうな)
 取りあえず、厄介事には首を突っ込まないでおこうと黙したまま、再びズボンの乾燥に専念するラルラドール。
 だが‥‥
「‥‥ショウ?」
「‥‥!!」
 チラと、ショウの様子を見ただけのラルラドールに対して、相手は今まで以上に過敏な反応を見せて飛び上がった。
(‥‥面白い)
 何となく、相手の反応が解ると悪戯もし易くなるものだ。
 だが、ショウにとっては現状は恐怖の時間でしかない。
「‥‥っ‥‥一体、何だって言うんだ‥‥」
 ボソリと、毛布の下に首を埋めて呟くショウ。
 スキー場でも、沢に落ちても、沢からショウを引き上げてここに連れてくるまで、いきなり裸に剥いて火をおこして‥‥その間、口から先に生まれてきたのかと思える程に喋っていたラルラドールが無言になる。これは、何か不吉な事件が起きる予兆ではないかとショウが考えてしまうのも仕方がないことだろう。
(何だ‥‥何をその笑みの下で考えている!?)
 雪山。
 外は吹雪で日も暮れた。
 二人きり。
 裸に剥かれ、体力も落ちてきている自分。
 服はラルラドールの手の中で乾燥中。
 何だか、余裕綽々で鼻歌混じりの赤毛の男。
 どう考えても、ヤバイ。
 ただでさえ体力勝負なら相手に分があるというのに、ここに来ての失敗からショウの体力はギリギリまで落ちていると自覚がある。食料でも有れば充分に体力回復は出来るだろうが、それにしても‥‥。
「な、ショウも喰うか?」
 あの余裕は何だろう? ラルラドールの浮かべる笑みは何を根拠にしているのだろうと、考えれば考える程に思考の螺旋階段を下り続けていた。
「喰わないのか? だったら俺が喰っちまうけど‥‥」
「‥‥え?」
 ラルラドールがかけた言葉が、ショウの脳内で意味をなすまでには10秒以上経過していたに違いない。
 目の前30センチの位置にあるマゼンダの瞳。軽く目にかかった髪も細く、問いかけの筈なのに明らかに楽しそうな口調と笑みがショウの視界一杯に広がっている。
「ショウ‥‥こんな大切なことを聞いてくれてないなんて‥‥悲しい‥‥悲し過ぎる‥‥俺は、お前さえ良かったら、今喰いたいんだって言ったんだ‥‥」
 ポンと、ショウの右の肩に置かれるラルラドールの左手。
「‥‥?!?」
 脳内に電流が流れただけで、一瞬思考回路が動かないショウ。視界にはラルラドールの肩越しに自分の服が壁と天井の梁で支えられたスキーのストックで乾かされている光景と、囲炉裏から昇っているのか湯気のような空気の揺れが見えて、一番目の前にいるはずのラルラドールのことを無意識に無視している自分が居る。
「こんなに、俺はショウのこと‥‥真剣に考えて言ってるのに‥‥ショウはそうやってはぐらかすばかりで‥‥」
 ググッと、ラルラドールの手に力が込められる。
 その瞬間、ショウの背に

 ずぞわぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜

 と、毛虫が這い回った様なむず痒さと共にうすら寒さが走り抜ける。
「ば、馬鹿! こんな所でナニを考えているんだ!」
 せっぱ詰まって振った腕でラルラドールの手を弾く。
「‥‥」
 無表情、無言で立ち上がるラルラドールの右手に、赤い板状の何かが握られている。
「ホラ‥‥どうせ、俺の言う事なんてまともに聞いてなかったんだろ‥‥」
 握られていたモノが、ショウの膝の上に投げ出される。
 悲しげに一瞥すると、ラルラドールは囲炉裏を挟んで向こう側に座り込んだ。
「ラッシュ‥‥」
 言葉をかけられずに、俯くショウ。
 彼の膝の上には、半分折れかけてはいてもまだ未開封のままの板チョコが置かれていた。

●白い闇の中で
「なぁ、ラッシュ‥‥さっきは‥‥」
 済まないと、謝ろうとしてショウはラルラドールが無言のままなのに耐えた。
 外で吹雪く雪と風。
 囲炉裏で爆ぜる薪の音。
 こんなにも音に満ちた世界の中で、聞きたいと思う音が聞こえてこないことに不安を感じるとは思わなかった。
 密やかに流れる時に、堪らなくなって顔を上げたショウは、灯油缶の向こう側で薪を投げ込みながら船を漕いでいる赤毛の青年に気が付いた。
「ラッシュ‥‥」
 悪いなと、その一言だけは口にしない。
 それでも、今の自分に出来ることをしてやろうと、ショウは立ち上がった。

●朝
「‥‥ちっ‥‥起こしてくれれば良かったのに‥‥」
 悪態をついて身を起こすラルラドール。
 掛けられていたショウの上着と毛布の下で、二人は身を寄せ合って寝ていたらしい。
「ま‥‥役得かな?」
 無防備なままのショウの寝顔に満足げに呟くラルラドール。
 密やかに、昨夜のポイントは高かっただろうと、チョコレートの無言渡し大作戦を振り返っていた彼の胸の中に、毛布が持ち上がって冷えた為か温もりを求めて丸くなるショウ。
「‥‥このまま‥‥」
 震えながら、ショウの背に伸ばされる腕。
「このまま、何だって?」
「え?!」
 腕の下から声がして、ラルラドールの腕が固まった。
「全く、少しは見直したと思ったら‥‥」
 むくりと、身を起こして睨み付けてくるショウに、苦笑いで手のやり場に困っていると、だがなとショウが続ける。
「ありがとう」
「‥‥は、いや、ほら。うん、どうって事無いって。アハ、アハ、アハハハ」
 自分でも、気の利いた一言が出てくればいいのにと思うラルラドールだが、今の彼は笑うだけが精一杯だった。苦笑いの青年を横に、自分のウェアを着込んで行くショウが立ち上がって手を差し出す。
「ほら、吹雪も止んだみたいだ。下山しないとみんなが待ってるぞ」
 追い立てられるようにして山小屋を出たラルラドールは、身支度を整えて昨夜の吹雪が嘘のように晴れた青空の下を進み出した。獣道の様に、しかし明らかに人の設けた道であると解る標の残る道を、山小屋が張り付いていた雑木林を迂回するように数十歩進むと、聞き慣れた文明の‥‥車の排気音が聞こえてくる。
「あれ? なんで、駐車場? あれ? ホテルの‥‥」
 更に進んだ二人の目の前に、昨日スキー場に来た時にバスから降りた駐車場が広がっている。どうやら、今彼らが居るのはスキー場のホテルの裏手に当たる山の裾野のようだった。
 ホッと一安心、しかし次の瞬間には別の意味で死の危険と背中合わせな状態であることを関知するラルラドールが恐る恐る振り向けば‥‥‥黒髪の死に神が双眸に鋭い眼光を湛えて仁王立ちしていた。
「ラ〜ッシュ! 貴様、ココがホテルの裏だと知っていたんだな!?」
 ショウの凄みが一秒ごとに、単語を口にするごとに増しているような気がする。
 何を言っても聞きそうにない、そんな殺意の波動が彼の身体全体を覆っているのが感じられるのだ。
「い、いや、マジ、真面目に俺も知らなかったんだってば!」
 慌てて逃げようと身を翻したラルラドールの背に、滑り込んで叫ぶショウ。
「問答無用!」
 ストックを大上段に構え、脳天に一閃!
「いってーーーーー!」
 雪山にラルラドールの絶叫が響く。
 結局、二人の仲は‥‥どうなったのかは誰も知らない。

【END】

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