どらごにっくないと

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死者の記憶〜JEWELRY・ANGEL in 2081〜

  • 2008-06-30T10:44:11
  • 姫野里美ライター
 耳元でこぽこぽと泡の音がする。身を包むのは、素肌の上を流れる水の感触。
(俺は‥‥)
 そんな中、目を覚ます彼。薄く目を開けた先にあるのは、ちょうどプールに入った時そのままの光景。だが、確かにすっぽりと液体の中にいるはずなのに、呼吸は行うことが出来ていた。
 揺らめく視界の向こう、ガラスに映る自分の面。うっすらと、シルエットしか移らないそれを眺めながら、彼はぼんやりと記憶を呼び覚まそうとする。
(どうして‥‥ここに‥‥?)
 存在している理由さえ、わからない。いくら頭の中の引出しをひっくり返しても、己が何者で、どうしてここにいるのか‥‥基本的な情報が、出てこなかった。
(まぁいい。そのうち思い出すだろ‥‥)
 あっさりと、思考することを放棄して、彼は再び目を閉じる。身体一つ、指先一本さえ動かすのが億劫で。
 だが。
「まだ目を覚まさないのかい?」
「‥‥るせぇ‥‥。もう少し寝かせろ‥‥」
 起こされて、不機嫌そうな声で答えるラッシュ。その口調は、以前のものとまったく変わらない彼の姿に、そう言った方の青年が、満足そうに微笑む。
「もうおねむの時間は終わりだよ。さぁ、目をあけなさい」
 彼がそう言って、ラッシュを、やや強引に起こす。次第に水が抜かれ、呼吸器が外され、さながら水槽からあがったばかりの人魚にも見える。
「人をたたき起こしといて、何の用だ?」
 相変わらずの不遜な態度で、そう言うラッシュ。自分のことは、何一つ覚えていないのに、強気な姿勢を崩さぬ彼に、彼を目覚めさせた方の青年は、満足げに笑う。
「ふふふ、戯れに君を甦らせてみたんだよ。人の作り出した偽物が、どれだけ人を超える力を手に入れられるのか試すためにね」
「ずいぶんとはっきり言う奴だな。用は実験台って訳か」
 残酷にさえ聞こえる言葉。酷薄な機械めいたその面に、ラッシュはふんと一瞥をくれてやりながら、そう言う。
「君はそんな事を言って、潰れるような男ではないだろう? だからこそ、一度は失ったそれを再生させてやったまでさ」
「用は使い捨てでも問題ないって事か‥‥」
 最初から、道具として存在していることを告げられる。だが彼は、にやりと笑ってこう言った。
「いいさ。てめぇの思惑に乗ってやる。俺も、試したいことがあるからな」 今だ記憶が甦らぬのなら、どこへ向かっても同じ事。
「それでこそ、よき暗殺道具だ‥‥。ようこそラッシュ。我が黒き聖櫃の部隊‥‥十六夜へ」
 そのラッシュに、月の仮面をつけた彼は、そう言ってくすりと笑うのだった‥‥。

 彼に課せられたのは、再び暗殺者として暮らすことだった。どんなに記憶が失われても、長く身体に染み付いたくせまでは、なかなか抜けない。いや、下手な記憶がない分、彼は以前よりも躊躇わず、的を屠るようになっていた。
 そうして、幾度人を殺しただろうか。
「ふ‥‥ぅ‥‥」
 こびりついた返り血を、シャワーで洗い流しながら、軽く溜息をつくラッシュ。その字が示す通りの真紅の髪が、濡れて腰まで届いている。対照的に肌は、くっきりとその白さを映えさせていた。
「なんか‥‥たるいよな‥‥」
 頭からバスタオルを被りながら、ベットの上に転がるラッシュ。
「外、行きたいな‥‥」
 ネオンのあふれる街中に。仕事をする時は、必ず月の仮面を被るよう義務付けられているから、面はバレてはいない筈。「申請‥‥うぜぇしな‥‥」
 だが、自分が『違法の存在』である彼は、外に出るにはそれなりの手続きがいる。それがうっとおしくて、今までずっと、部屋の中にこもっていたのだが。
 ぼんやりと、そんな事を考えていたその時だった。
 きぃ‥‥と、重い扉が開く。
「よぅ。お前も寂しい身の上か?」
 現れたのは、十六夜の幹部らしき青年だった。
「ここは息が詰まる」
 ラッシュの問いに、そう答える彼。
「いいのかい? ボスがそんな事言って」
「人間、ずっと地下にいると、どこかで狂うと、昔読んだ覚えがある。お前も、外の空気が吸いたかろう?」
 静かにそう言う彼。
「あれ‥‥?」
その瞳の奥に宿るもの。その感情に、ラッシュは奇妙な既視感を感じていた。
「今のは一体‥‥」思わず身を起こすラッシュ。だが、その時にはもう、彼からその色は消えていた。仕方なく、ラッシュはこう言う。
「そうだな、付き合ってやるか。その代わり、デート代はてめぇもちだぜ?」
「かまわんさ。どうせ使い道などなきに等しい」
 答えた彼が、幹部などではなく、頭領だと知ったのは、それからまもなくの事である‥‥。

 ユタ州ソルトレイクシティ‥‥。
 6年前の動乱も落ち着き、街がようやく平穏を取り戻しているかのように見えた。
 水面下では相変わらずマフィアや売春、麻薬取引などが横行しており、自警団の頭を悩ませていたのだが、少なくとも、表面上は、変わらぬ日々が続いている。
「何故私が貴様の買い物に付き合わねばならん‥‥」
「あら、アーシエル様。お買い物は立派な自警団の任務ですわ」
 アーシエルの問いに、のんびりと答える女性。だが、その時である。
 すれ違う人ごみ。普段ならどうと言う事のない人の群れ。その中に、一瞬だけ、見覚えのある存在が垣間見えた。
「‥‥ラッシュ‥‥?」
 見覚えのある長い髪。腰まで届く美しい真紅。全身を包むレザー。黒と赤のコントラストに生える肌。金、銀、黒、茶‥‥様々な人種の入り混じるこの街で、けして珍しくはない筈の色。だが、他の者より頭一つ分抜け出た彼らは、何故かその人ごみの群れから抜け出たように感じていた。
「悪い。先に帰っていろ」
 怪訝そうに問うた女性を、そう言って追い返し、気付いたときには、既に他の費との群れに混ざってしまったその彼を、アーシエルはいつにない必死さで追いかけていた。
(バカな‥‥! ラッシュはあの時死んだはずだ‥‥)
 甦る記憶。一年前、目の前で殺された友の姿。間に合わなかった自分。頭のどこかで常識が否定する。はたから見れば、何か重大な事件でも発生しているのかとも思えるその姿は、かつて亡くしたものを取り戻そうとしている様にも見える。
 そして。
 目の前に、見覚えのある姿。
「ラッシュ!!」
 声を、かける。
「ん? 何だよ、てめぇ」
 かつて会っていた時そのままの態度。
「本当に‥‥お前、なのか?」
「は? 誰だよ、てめぇ」
 そっけない、言葉。
「私を‥‥覚えていないのか‥‥?」
 すべて‥‥すべて昔のままなのに。
「てめぇを‥‥? 何の話だよ」
 その記憶に、自分の姿がないことに、アーシエルは気付く。
「そうか‥‥。すまん。人違いだ」
 あるはずのない事実。あの時、確かにラッシュは自分のせいで死んだ。生きている筈などないと、無理やり言い聞かせて、アーシエルは身を放す。 それでも‥‥なお、立ち去りがたくて。
「何‥‥見てやがる」
 鋭い‥‥けれど、とても心残りのありそうな瞳。まるで‥‥置いていかれた少年のよう。
「いや‥‥。なんでもない」
 ラッシュの指摘に、アーシエルはそう言って首を振り、踵を返す。
「どうした?」
「何でもねぇよ。行こうぜ」
 共に行動していた十六夜の頭領を促し、ラッシュもまた、その場を去るのだった‥‥。

 戻ってきたラッシュは、買いあさった宝石やら服やらを無造作にクローゼットに放り込み、ベットに転がる。
(一体誰だったんだ‥‥、あいつ‥‥)
 枕を抱えながら、今しがた現れた青年を思い起こす。
(あの目‥‥。どこかで‥‥)
 記憶の糸を手繰る。だが、どうしても目を覚ます以前のそれが、呼び起こせない。
 それでも‥‥あの瞳だけは、どこかで見たような気がして。
「くそ‥‥ッ」
 身を起こし、ささくれだつ苛立ちをこめて、枕を投げつける。
「乱暴だな」
 その枕を受け止めたのは、仮面を外した頭領だった。
「何の用だ?」
 よく分からない表情をしているラッシュに、彼はこう言った。
「上が、お前をそろそろ表に出しても良いだろうといってきてな」
 そして、頭領はラッシュをベットの上に突き飛ばす。
「な‥‥何しやがるッ!」
「俺も野郎を相手に、こう言う事をしたくはないがな。お前を表に出すためには、それ相応の技術を仕込まなければならないだろう‥‥?」
 上着を引き千切られる。
「それも、てめぇの上の命令なのかよ」
「ああ、そうだ」
 冷たい視線。その瞬間、脳裏をよぎるのは、先ほど街中で会った、アーシエルの瞳。
「脱げ」
 命じられるままに、役に立たなくなたそれを、床に落とす。
「ふぅ‥‥ッ‥‥」
 触れられる。ぞくりと、背中に走るのは‥‥悪寒? それとも期待‥‥?
 閉じたまぶたの裏側で、誰かの微笑む口元。
『ラッシュ‥‥』
 頭の中で反芻される、自分を呼ぶ声。
(アーシエル‥‥)
 遺伝子に刻まれた死者の記憶が、頭領の指先が触れるたび、一つづつ甦ってくる。
(ああ、そうか‥‥俺は‥‥)
 だから、あんな視線で。
 だから、あんな表情で。
 心に刺さってものが、氷解する。疑問という名の鋭い刺が、抜け落ちる。
「悪ィ‥‥。俺‥‥もう‥‥」
 ここにはいられない。思い出してしまったから。
「出て行くのならかまわんがな。お前は存在自体が違法。行きつく先は、所詮死者の王国でしかないことを、覚えておけ」
 枷は‥‥ラッシュがその存在を公にしている限り続くと、頭領が彼の隣で嘲笑った‥‥。

 一方、アーシエルは、行きつけの店でブランデーのビンをあけていた。 中味はもう半分ほどなくなっている。それでも、物思いにふけるその横顔は、店に入ってきたときと同じ‥‥いや、それ以上に不機嫌そうな色が浮かんでいた。
 そんな不機嫌そうな彼に、同じ自警団の者たちは、何か良くないことがあったと悟る。そして‥‥抜き身の刃に触れることを恐れるかのように、何も言わない。
(あいつは死んだはず‥‥)
 思い浮かぶのは、ラッシュの横顔。いくら酒を入れても薄れることはない‥‥胸を締め付ける痛み。
(だが‥‥。あれは‥‥あそこにいたのは‥‥間違いなく‥‥)
 忘れることの出来ないそれに、アーシエルは次々と杯を開けていた。
 風が強い。町の外の砂漠が、砂を運んでくる。前世紀には、雪となって降り注いでいたそれは、今では砂嵐と言う名で、ソルトレイクの街を包んでいた。
 その光景を、何とはなしに眺めていた時、からぁん‥‥と、入り口の扉が音を立てる。
 自警団の癖で、誰かを確認する為に振り返る。もしかしたら、ありもしないラッシュの幻を求めていたのかもしれない。
 いや。
 アーシエルの動きが、止まる。
「よぉ」
 止まった視線の先にいたのは、幻ではなく、現実の彼だった。
「自警団の奴に聞いたら、ここに居るって言うからよ」
 以前と変わらぬ声と仕草。違うのは、人目を避けるかのように、砂で汚れた薄手のコートを羽織っていた事。
「ンな顔するなよ。せっかくこっちから会いに来てやったってのに」
 ラッシュの言葉に、アーシエルは努めて平静を装いながら、持ったままのグラスを、カウンターへと置く。
「あー、うっとーしー。慣れねぇ事すんじゃなかったなー」
 その彼の隣の席に、ラッシュは被っていたコートの残骸を、丸めてゴミ箱に放りこみながら、座る。
「何の‥‥用だ?」
「‥‥お別れ‥‥、言おうと思ってさ」
 アーシエルがそう聞く。と、ラッシュは置かれたグラスに、並々とアーシエルのブランデーを奪いとって注ぎ込みながら答えた。
「俺、クローンなんだとよ」
 あっさりと、自らに科せられた秘密を告げる。
「もう技術が確率していると言うのか」
「詳しい事はしらねぇけど。ま、俺様の存在自体が違法だって事に変わりはねぇな」 飲むペースが早い。アーシエルのグラスは、まだ半分も開いていないと言うのに、ラッシュはもう2杯目だ。
「どうするつもりだ?」
「街を‥‥出ようと思う」
 酒を注ぎ足しながら、けれどはっきりと、ラッシュは決別を告げる。
「ここにいたら、またあーゆー連中がきそうだしよ」
 ちらりと向けた視線の先。明らかにそれと分かる‥‥敵。
「ここで騒ぎを起こすつもりか」
「それでも良いけどな。てめぇが困るだろ? あ、ごっそさん」
 ラッシュがたちあがる。そのまま、振り返らずに外へ向う。彼を狙う敵がついて行くのを確かめながら。
「用件は、分かっているな?」
 見慣れた、月の仮面。その一人が、彼へと銃口を向けている。クローンとは言え、生身でしかないラッシュに、抗う術などある筈はなく。
「ああ。イイさ‥‥撃てよ。少し遅れちまったが、地獄で堕天使どもにあってくるのも、悪かねぇ」
 透明な、微笑。
 だが、その時だった。
「待て‥‥!」
 聞き覚えのある声と共に、ソニックブームが、二人の間を分かつ。
「悪いが手向いさせてもらうぞっ!」
 そう言って、アーシエルは剣を抜きながら、叫びざま、先頭の一人に斬りかかる。先手必勝で銃を空に弾き飛ばし、ちゃきりと首筋に切っ先を突き付けていた。
「これ以上私の友人に近付くな。いいな?」
「良かろう。ここは引いてやる」
 そう言い終った刹那。湧き出たスモークに、アーシエルの視界が奪われる。煙が晴れた時、既に敵の姿はなかった。
「何で‥‥俺を‥‥?」
 怪訝そうに、聞き返すラッシュ。
「バカか、貴様は。クローンだなんて、誰が信じてなどやるものか」
 ぴんっとその彼の額を弾きながら、そう言うアーシエル。
「それに、善良な一般市民を衛のは、私の勤めだからな」
「バカはどっちだか‥‥。しらねぇぞ、どうなっても」
 苦笑するラッシュ。
「もう覚悟は出来ている。それより、働き口はあるのか? 何なら、私が紹介してやるが」
 彼が、アーシエルの口ぞえで、近くの酒場でバーテンダーとして働き始めるのは、それから間もなくの事である‥‥。
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(パートナー:アーシエル・エクスト)

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