どらごにっくないと

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緋色の旋律【Overture】

  • 2008-06-30T15:32:31
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
 油照り。照りつける真夏の太陽が、鮮明な影を大地に刻みつける外から隔絶され、暑すぎず冷えすぎずの丁度よい温度に設定された室内で、1枚の紙を手に、だらだらと冷や汗を流して固まってしまった者に、仲間は同情と諦めの入り交じった複雑な視線を送った。
 からんと、氷が涼しげな音を立てる。
 瑠璃の隠れ家(かくれや)と京を繋ぐ和風喫茶「翠月茶寮」の中、僅か一瞬だけ止まった時間が再び流れ始めた。
 
 事の起こりは、逢魔の伝(つて)が流伝の泉から掬い上げた祈りの一滴。
 京都を拠点として活動するオーケストラに神帝軍の影があるという情報は、直ちに魔皇と、彼らをサポートする翠月茶寮の主、月見里葵へと伝えられたのだが‥‥。
「神帝軍の影、だけではな」
 大仰に息を吐き出した魔皇に、同意の頷きを返して葵は細い指をチラシへと置く。
「京都を拠点とするオーケストラはいくつもございます。また、オーケストラのどこに神帝軍が関与しているのか‥‥」
 魔皇のサポートを役目とする女の言いたい事は分かる。「神帝軍の影がある」という情報だけでは、判断のしようがないのだ。
「神帝軍が効率よく人々から感情エネルギーを集めるならば、恐らくはこの辺りでしょうか」
「平安京フィルハーモニー管弦楽団」の名を指で示しながら、彼女は続ける。
「今、一番人気のあるオーケストラです。元々はアマチュア有志の町内楽団だったようですが、世界的に有名なコンダクターである沢渡和夫を招いた事で注目を浴びるようになりました」
「そのコンダクターとやらが怪しいな」
 魔皇の呟きに、葵は少々困ったように笑った。
「はい。ですが、他にも神帝軍‥‥グレゴールではないかと思われる者がおります」
 チラシに掲載された白黒の顔写真を1つ1つ示す。
「まず、第一ヴァイオリンの首席、コンサートマスターの朝霧美穂」
 芯の強そうな美女である。数十名の音を束ねている自信に満ち溢れ、彼女は写真の中から魔皇達へと微笑みかけていた。
「チェロの首席、柳瀬賢治。最年長であり、団員達の意見のまとめ役でもあるそうです。平安フィルにおける彼の影響は無視出来ません」
 白髪頭の闊達とした男は、若者に負ける事のない眼差しで先を見据えているようだ。
「なるほどな。オーケストラへの影響が強ければ強いほど、自分の意見も通しやすいだろう」
 ついと、葵の指が動く。
「そして、ハーピストの鳴海杏。朝霧美穂の親友で、彼女の意見だけは美穂も黙って受け入れるそうです」
 他の演奏者達には、これと言って目立った事はない。勿論、目立つ者達ではなく、目立たない者達の中にグレゴールがいるという可能性も捨てるわけにはいかない。
 示されたオーケストラと4人は、あくまで葵の勘で選ばれただけなのだ。
「つまり、俺達はこのオーケストラに近づいて、グレゴールの存在を確認すればいいんだな」
 まずは神帝軍の影を見つけ出さねばならない。
 その企みを打ち砕くにしても、グレゴールを倒すにしても、今の状態では情報が少なすぎる。
「まずは、情報収集だ」
 互いに頷き合う魔皇達。
「しかし、だからと言ってだな‥‥」
 手に持った紙が、ふるふると震える。
「他に方法は無かったのか」
 ずっと彼の手に握り締められていた紙を受け取って、葵は丁寧にその皺を伸ばした。
「オーケストラに接触する方法は、幾通りかございます。一番、簡単な方法は聴衆として演奏会へと潜入する事。この場合、演奏会終了後に、奏者と出会える場合もございますし、外からオーケストラを観察し、ファンの方々の意見を聞く事も可能です」
 にこやかに、葵は皺だらけの紙を魔皇達の目の前に差し出した。
「しかし、最も有効な方法は中へと入り込み、団員達と親しくなる事ですわ。そう、お思いになりませんか?」
 コンサート案内とは別の、何の装飾もないチラシに大きく書かれてあるのは「募集」の2文字。
 内容はと言うと、演奏者と裏方である。
 演奏者は、それなりに音楽、楽器演奏に自信のある者に限られるだろうが、裏方だと専門知識を必要としない仕事が割り振られるかもしれない。
 クラッシックに詳しくなくても大丈夫だろうと葵はころころと鈴が転がるように笑った。
「全員が団員として採用されるとは限りません。ですから、このようなものも探して参りました」
 平安フィルの「公開リハーサル」の案内に、魔皇達は表情を引き締めた。
 開催日は1週間後。団員として潜入する者と、ファンを装って情報を集める者とがクロスする出来る日となろう。
「手段は皆様にお任せ致しますわ。わたくし達も、出来る限りのご協力を致します」
 有線から流れるヴァイオリンの調べが茶寮を満たす。
 いつになく緊張して、魔皇達はその音色に耳を傾けた。


【本文】
●平安フィル
 郊外にあるホールが、平安京フィルの練習場であった。以前は、公民館の会議室を借りていた練習も、今では小さいながらも音響設備の整った場所で、思う存分に行える。
「昔と比べると、夢のようだよ」
 新しく入ったフルート奏者の孫だという娘が差し出した紙コップを受け取って、最古参のチェリスト、柳瀬賢治は微笑んだ。
 相槌を打ちながら、御神楽永遠(w3a083)は、翠月茶寮の葵から貰った団員達の情報を思い出す。確か、このチェリストには小さい孫娘がいたはずだ。
「わたくし、お爺様の晴れ姿を見たくて、こちらに参加させて頂きましたので、あまりよく存じ上げないのですが」
 少し頬を染めて俯くと、柳瀬は心得たように頷く。
「ああ、頑張ってるみたいだね、お爺さん。孫に良い所を見せたいと思うお爺さんの気持ち、僕も分かるなぁ」
 快活に笑う柳瀬の様子を、それと悟られないように観察しながら永遠は続けた。
「でも、こんな立派なオーケストラだとは思っておりませんでした」
 ふいに自嘲めいた表情を浮べた柳瀬に、永遠は彼の顔を覗き込む。
「柳瀬さん?」
「ああ‥‥、いや、何でもないよ」
 そろそろパート練習だからと立ち去る初老の男の背を見送った永遠は、銀の横笛を手に歩み寄った『祖父』を振り返る事なく告げた。
「あの方から、目を離さないで」
「分かりました。ひ‥‥ではなく、と‥‥永遠」
 柳瀬の後を追う逢魔に息をつくと、永遠は荷物を肩に抱えて立ち止まった御堂力(w3a038)と視線を交わす。彼女と同じように裏方としてこの楽団に入り込んだ力は、団員達の間を回って彼らの人となりを調べていた。
「葵さんが選んだ4人以外、これと言って目立つ奴はいないようだ。‥‥おっと」
 繊細な芸術品のような菓子を生み出す厳つい手が胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「『今日の運勢』か」
 片手で荷物を支えつつ、力はメールで届けられた「占い」の結果にやれやれと天井を仰いだ。
「今日も甘い菓子はお預けのようだ」
「どいたどいた! 邪魔だよ! 何ぼーっと突っ立ってるんだい!」
 威勢の良い声と共に、モップが足元を掬って行く。慌てて横に避けた永遠と、足を取られ、危うく荷物を取り落としそうになった力が白髪のお団子頭を認識すると同時に、それは廊下の角を曲がって消え去ってしまう。
「お‥‥お元気ですね、相変わらず」
「全くだ」
 3tトラックと喧嘩しても負けそうにない(ように見える)力を、お掃除モップで轢いていくのは世の中広しと言えどそう多くはない。
 どちらともなく溜息をついて、2人はそれぞれの仕事へと戻ったのだった。

●遣り手
 狭い廊下を走り抜ける一閃の稲妻。
 器用に障害物を避け、尚かつ塵1つ残さずに拭き清めていく山田ヨネ(w3b260)。さながら、サーキットを駆け抜けるフォーミュラマシンのように。
 レーサーであればマシンを操る事に集中も出来よう。だが、ヨネは違った。
 彼女は待っていたのだ。モップの先に集中している風を装って、千載一遇の機会が訪れる、その時を。
 ちらりと走ったヨネの鋭い眼差しが、標的を捉える。
 彼女が自在に操るモップが、目にも止まらぬ速さで閃いた。
「きゃ!」
 強すぎると体に当たる。弱すぎると服の裾に引っかかるだけ。下手をすれば、ン千万円の楽器を傷つける。
 それは、微妙な力加減で絶妙な位置にぶつけられた。
「ああ! すまないねぇ!」
 さも申し訳なさそうに、ヨネはモップを放り投げるとヴァイオリンを抱えた平安京フィルのコンマス、朝霧美穂へと駆け寄る。手ぬぐいで濡れた場所を拡げる小細工も忘れずに。
「あらあら、濡れちまったねぇ。孫の服でよけりゃ着替えるかい?」
「い‥‥いえ」
 固辞する美穂の陰から、もう1人の娘が顔を出す。
「お‥‥ばあちゃん」
「おや、マリちゃん! あたしゃとんでもない事しちまったよぅ!」
 手振りで後押しを指示して、ヨネは美穂の手を引いた。彼女の指示通り、逢魔マーリも少々上擦った声を上げる。
「こっこれから公開リハーサルですし、濡れたままでは‥‥」
 強引に、美穂を控え室へと連れ戻していくヨネの姿に、夜霧澪(w3d021)は目を見張っていた。
「‥‥あなどれない」
 その手には、つい先ほどまでヨネが持っていたモップが握られている。ヨネが放り投げ、澪の手に押しつけていったものだ。
 去っていく背中に呟いた澪はポケットの中で震えた携帯に、モップの柄を持ち変える。
「俺だ」
 電話の向こうから聞こえる声に、澪は短く応えた。
「‥‥構わない。精々、リアンを使え」

●音楽を愛する者達
 その頃、公開リハーサルを間近に控えながら、自分達の音楽の中に没頭している者がいた。
「どうだ! 楽しいだろう!」
 アイリッシュフルートから口を離し、豪快に笑った水本一郎(w3b359)は楽器を止めた者達を見回す。
「ああ、楽しいですね! アニキ!」
 即座に返した逢魔と力強く頷き合う水本に、自分が弾いた弦の余韻を聴いていた鳴海杏はくすくすと笑った。
「本当に」
「音を楽しむと書いて音楽と読む。楽しませ、楽しむ為なら全てが自由! それが音楽だと、俺は思っている」
 朗々たる声で己が信条を語った水本へ、杏は軽い足音と共に近づいた。瞳を輝かせた影山と同じ眼差しで水本を見上げる。
「ええ! そう、その通りです! 音楽は楽しいものなんです!」
 がしりと、水本は杏の小さな手を握った。
「そうだ。分かってくれるか! 同志よ」
「分かりますとも!」
 音を楽しむのが音楽。そして、その音に、いくつもの音が重なって生まれるハーモニーはその時だけのもの。同じ時が二度とないように、例え、記録され残されたとしても、音楽は1度だけのもの。
 だが、良い音楽は永遠に残っていくものでもある。
 手と手が重ね合わされる。この時、3人の心は1つであった。
「そろそろステージの方へ‥‥って、一体何を‥‥」
 彼らを呼びに来た澪は、室内の異常に盛り上がった雰囲気に思わず1歩退る。
「あ、ごめんなさい。すぐに行きます」
 杏は慌てたように駆けだした。本番用のハープは既にチューニングを済ませて舞台にセッティング済みだ。
「‥‥何か分かったか?」
 低く尋ねた澪に、水本と影山は大きく頷いた。
「「分かった!」」
「で、何が?」
「彼女は音楽を、心底から愛している!」
 大らかに、大袈裟なまでに身振りをつけて言い切った水本に、澪がぐらりよろめく。
「それ以上、何が必要だと言うのだ。それで十分じゃないか!」
 自身もステージへと向かいつつ、水本は独り言のように呟いた。
「そう、彼女の音楽への想いは純粋だ。純粋過ぎるほどに‥‥な」
「また、合奏したいものですね、アニキ!」
 水本の心情を察したのか、そう言い添えた影山に、水本は僅かに上げた口元で応えたのだった。

●情報と考察
 携帯にメールが入った。
 このホールの近くにウィークリーマンションを借りた鳳からの連絡に、ジャンガリアン・公星(w3f277)は僅かに眉を顰めただけだった。
 このオーケストラは、元々が町内楽団。
 葵が告げた4人以外は、学校の音楽講師であったり、自宅や楽器店で教室を開いている者がほとんどだ。4人の中でも、柳瀬は大勢に埋もれる部類だろう。
 最古参であり、重鎮である彼の存在感は見逃せないとしても。
 後の3人は、プロの世界でそこそこ名が売れている。
 世界的な指揮者である沢渡、ソロ活動も行い、国内外への演奏旅行に出る美穂、多くの音楽家の中から選ばれて、海外の音楽院で学んで来た杏。
 4人の誰もが輝いている。
 グレゴールの持つ神々しさと、どう見分ければよいのか。
 リアンは、閉じた携帯を握り込んだまま、考え込んだ。
「あの」
 花束をクロークに預けた澪の逢魔、小百合の声に顔を上げる。リアンの買った清楚でいて、どこか華やかさを持つワンピースの裾がリアンの視界でふわりと揺れる。
「そろそろ、始まります」
 心なしか嬉しそうなのは演技ではないようだ。勉強の為とリアンの持っていた沢渡のCDを聴いて、本当に傾倒してしまったらしい。
「この楽団は」
 座席に腰を下ろしながら、リアンは鳳が知らせて来た情報をサリーへと語った。どこか、自分自身が確認し直しているように呟く。
「コンマスの朝霧美穂の実家をスポンサーとして、ここまで大きくなった。沢渡を招聘したのも、美穂かもしれない」
 となると、どうなる?
 この楽団での、立場とその関係は?
「いくら最古参の人でも、指揮者でもスポンサーには逆らえない?」
 ちょこんと首を傾げたサリーの言葉に、リアンは眼鏡を押し上げて椅子に深く体を預けた。

●「平安フィル友の会」潜入
 リアンが自分の中で情報を整理していた頃、逢坂薫子(w2d295)はロビーの一角を占拠している「友の会」の輪の中にいた。
「魔嬢様」
 小声で囁いて来た逢魔の足を強かに踏みつけて、薫子は千代丸のポケットから覗くレースのハンカチーフを抜く。
「ここではその呼び方を止めろって言っただろが」
「わ‥‥分かりました! 分かりましたから、そのハンカチーフだけは返してくださぃぃぃ」
 魔皇の手からハンカチーフを取り戻して、千代丸は丁寧にそれを畳み直す。少々、小指が立っているような気がするのは、この際見なかった事にして、薫子は千代丸に視線で促した。
「はい、どうやらですね。沢渡氏は朝霧嬢の招きで、この楽団に来たそうです」
 ふぅんと、情報を収集してきた逢魔の労を労うでなく、薫子は輪の中心へと分け入った。先ほど、面識を得た友の会の古株という女性に声をかける。
「沢渡氏を招いたのは朝霧さんって話ですけれど、朝霧さんにはそんな力があったのですか?」
「そりゃあね。ここのスポンサーは朝霧さんのお父さんだし」
「それに、朝霧さん自身、才能ある人だしぃ」
 水面に雫を落としたように、輪の中に話題の波が広がる。
「じゃあ、朝霧さんに意見出来る人はいないんだ?」
 探るように尋ねた薫子の様子に気付かぬように、ファン達は雀が囀るように噂話を落としていく。
「柳瀬さんとか」
「杏ちゃんもよ。あの2人、幼なじみだって言うし、仲良いし」
 あら、と別の声が否定の色を滲ませて更なる話題を提供する。
「でも、最近はぎくしゃくしてるって話よ。男絡みで!」
 きゃあと歓声を上げるのは、それがロマンス絡みな話題だからだろうか。
「男? 何だ? 男って」
「杏ちゃんにね、熱烈なファンがいるの! 今日は来てないけど、演奏会には毎回、薔薇の花束を持って来て、杏ちゃんに捧げるのよ」
 気障、と薫子は心の中で吐く真似をする。勿論、それを表には出さないが。
「すっごく美形でね。‥‥でも、その彼を朝霧さんも狙っているっぽくて‥‥」
−なるほど。三角関係っぽいのか。
 男を挟んで、女2人。しかも、どうやら幼なじみの親友同士。何やらきな臭くなって来た。
「あの2人が取り合う美形なんて、1度拝んでみたいものね」
 大丈夫よと、「友の会」の古株は確信を込めて薫子に笑みを向けた。
「本番には、きっと来るから」

●それぞれを思う心
 よっと腰を伸ばして、ヨネはマーリと共にステージへと向かう美穂を見送った。
「ヨネさん」
「おや、永遠ちゃんかい」
 同じ裏方同士、仕事が一段落つけば語らっていても咎められる事はない。
「そっちは何か分かったかい?」
 柳瀬につけた天舞の報告をまとめると、どうやら柳瀬はかつての家族的楽団から雰囲気からして変わってしまった事に戸惑いと苛立ちを抱えているようだ。
「でも、楽団を大きくした朝霧さんを、最初に声をかけたのは‥‥柳瀬さんらしいんです」
「そりゃまた、ややこしいね」
 短い時間だったが、ヨネは美穂と語り合った。
 彼女の音楽に対する姿勢は、どこまで行っても真っ直ぐだ。金に物を言わせて云々の歪みは一切感じられない。
 彼女は、この楽団を成長させる事を考えている。
「見た所、美穂ちゃんは柳瀬さんを立ててるし、沢渡さんとは曲の解釈で多少言い合う事はあるようだが、ちゃんと指揮者とコンマスとしての立場をわきまえているようだねぇ」
 これは、美穂と共にいるマーリの調査結果だ。
「杏ちゃんは、学校や留学やで離れている事も多かったみたいだけど、大事な友達だと言い切ってたよ」
「その杏は、純粋に音楽を愛しているんだとさ」
 通りがかりを装って、澪が一言残して去っていく。
 彼の中にも、この楽団の中にある人間関係の相関図が出来上がりかけているようだ。
「音楽を利用して‥‥なんて考えてる奴は1人もいない。これは、どう言う事になるんだ?」
 楽団の陰に神帝軍の影有り。
 神帝軍は、グレゴールはどこだ? グレゴールがいるならば、ファンタズマは?
 ステージに並ぶ私服の団員達を、澪は舞台裏から鋭く見つめた。

●夢を支えて
「素晴らしい演奏ですね。以前、リヨンで貴方が指揮する演奏を拝聴した事がありますが、今日はあの時と同じ‥‥いえ、それ以上に思えました」
 リハーサルが終わり、ロビーへと出て来た団員達の中から指揮者である沢渡和夫を見つけて、リアンは礼儀正しく声をかけた。
「リヨン‥‥君は」
「ジャンガリアン・ヌーヴェルリュンヌと申します。‥‥あの、これはあちらのお嬢さんから」
 花束を渡すと同時に、サリーを振り返る。
 頬を真っ赤に染めたサリーが、慌てて一礼した。
「貴方のファンなのです。‥‥実を言うと、彼女との出会ったきっかけは、貴方のコンサートで」
 照れた風に笑ったリアンに、沢渡も破顔する。
「しかし、リヨンで指揮を取られた貴方が、どうして、この楽団に‥‥?」
「町内楽団に‥‥という事でしょうか」
 爽やかに笑って、沢渡は1人の少女が持って来たフランス菓子に手を伸ばす。
「これは、君が作ったの?」
「え? あ‥‥は‥‥い」
 どこか歯切れ悪く肯定した少女に、ますます笑みを深くして、沢渡は菓子を口に運んだ。
「美味しいね。ジャンガリアン君と言ったね。君も頂いたらどうだい?」
 はぁ、とリアンは静夜が抱えた箱の中から1つ、取り出した。
「きっと、彼女が一生懸命作ってくれたのだろうね。‥‥嬉しい事だ。一生懸命な者が、私は大好きでね」
 この菓子を作ったのは彼女ではなく、プロレスラーもかくやという大男である事を、リアンは知っている。だが、それは言わぬが花というもの。
「君は、どうしてこの楽団に‥‥と聞いたね」
 穏やかに、沢渡はリアンを見た。
「私は、この楽団を一生懸命良くしようとする者達に惹かれた。そして、何より若い才能に。その才能を伸ばし、この楽団のレベルを向上する協力を、私はしたいと思ったのだよ」
 沢渡の信念の籠もった眼差しに、リアンは曖昧に頷きを返したのだった。
COPYRIGHT © 2008-2024 桜紫苑MS. ALL RIGHTS RESERVED.
この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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