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【加護の鎖】銀閣寺・静寂の庭

  • 2008-06-30T15:44:19
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
 御所の真上に浮かぶテンプルム。
 一般の者には窺い知れない内部から、また新たな令が発せられた。
「史跡、名跡に入る者は、身元を明らかにすべし」
 人の集まる場所はテロの標的になりやすい。日本有数の観光地を誇る京都は、まさにその標的と成り得る。
 それを未然に防ぐ為に、怪しい者の出入りを予め制限するらしい。
 第一段階は、幾つかの寺社仏閣。
 出入り口は1カ所を除いて封鎖され、制服を身につけた係員が常駐する検問が設けられた。住所、氏名の記入が義務づけられ、長い人の列が出来た。
 周囲にはサーパントが放たれ、不審者は連行されていく。
「そんな面倒な事をして、奴らに何の得があるのだ?」
 訝しんで尋ねた魔皇に、翠月茶寮の主は力無く首を振った。条例が発布されて間もない上に、実態が掴めないのだ。魔皇のサポートを務めとする翠月茶寮も現状を把握するだけで精一杯のようだ。
「入場を待たされた観光客のイライラを搾取する‥‥ってだけではなさそうだな」
「封鎖された観光地の内部で感情搾取が行われている可能性もあります」
 考えを巡らせても、神帝軍の真意は見えない。
 分かってはいるが、相手の動きだけでも分からなければ手の打ちようもない。
「1つ1つ、手分けして潰していくしかないか」
 はいと頷いた葵は、1枚の地図を魔皇達の前に広げた。
「これは‥‥銀閣寺か」
「条例が試行されている場所の1つです。従来の参拝受付に検問が設置されております」
 なるほどと頷いた魔皇に、仲間達の視線が集中する。地図を指で叩くと、仲間達の視線の中、彼は葵を見た。
「中門から総門までの参道には銀閣寺垣がある。垣を飛び越えて侵入しようにも出来ない代わり、参拝客と神帝軍だけが存在する、切り取られた空間になる」
 参拝客の状態、神帝軍の目的を探るのにはうってつけという事か。
「検問には、参拝客と関係者、そして、別途入場を申請した者用に3つの窓口が設けられています。関係者窓口には通行証が必要です。通行証は、規定年数以上そこに住んでいる、働いている等の証明がある者に限って発行されるので、手に入れるのは困難かと思われます」
「‥‥証明があったとしても、神帝軍の審査を通らなければ発行されない」
 補足したイレーネに、魔皇は息をついた。
「別途申請する場合は?」
「旅行会社等が一括して申請するのですが、これも無制限と言うわけではありません」
 参拝客と神帝軍の目的を探る魔皇達へと一通りの話を終えて、葵は改めて向き直った。
「では、どうやって中へと潜入するのだ?」
「検問を担当する方々と同じく参拝客に紛れると言う手もございますが‥‥」
 差し出されたチラシに、魔皇達の目が集まる。字面からして窮屈な内容が淡々と記されている。
「大学の公開講座か」
「はい。氷室龍弥という大学教授の主催です。年間予定を組んでいた事もあって、神帝軍に掛け合い、別枠の入場申請を得たようですね」
 チラシでは一般参加を募っている。条例下にある銀閣寺に、そう簡単に入場出来るのだろうか。
「勿論、名前や住所は申し込み時に必要です。ただ、神帝軍の審査は行われないみたいです」
 当日の朝、集合場所で参加申し込みも可能と、チラシには書かれてある。
「自分が責任をもつからと、人数枠だけで申請したらしい」
 イレーネがインターネットで調べて来たと言う氷室の公開講座には、京都の史跡の名がずらりと連なっていた。
 今後の予定も多い。
 実績に裏付けられた大学教授の講座を無下に潰す事は、神帝軍も出来なかったのだろう。
「でも、この分だと神帝軍の条例施行地が重なって行きそうだ」
 肩を竦め合った魔皇達に、葵はくすりと笑う。
「よしみを作って置くと後々に役に立つかもしれませんね」
 そうならない事を祈ると軽口を叩いて、魔皇は表情を改めた。
「とにかく、だ。俺達は、銀閣寺の内部に潜入し、神帝軍の監視下にある観光地で行われている事を探る。感情搾取が行われていると判断した場合は、阻止していいんだな?」
「はい。検問に赴かれる方々にも申し上げましたが、神帝軍の動きが分かりません。我々の事がばれると後々、支障を来すかもしれません。慎重にお願い致します」


「もう飽きた」
 ようやく回って来た休憩に、制服を着た少女が大きく体を伸ばす。
「何回も同じ事を説明させられるこっちの身にもなれってば」
「本当よねー。そういえば、明日は大学の公開講座が入るんだっけ。あたし、案内につかなきゃ行けないのよ」
 うんざりと、先に休憩室の片隅を陣取っていた少女が息を吐く。
「あの教授のでしょ? 何度も、班長に交渉に来てた」
「ご苦労様って感じ」
 狭い休憩室に、少女達の笑いが響く。どことも変わらない、休憩の光景。
「でも、何かに興味を持っている人達って、‥‥いいよね」
 遠いどこかを見つめてぼそり呟いたバイト仲間に首を傾げて、少女は自分の荷物から缶ジュースを取り出した。


【本文】
●離れた場所で
 参門に設けられた検問の為か、庭内を散策する参拝者はさほど多くはない。1度に入場する者の数が制限されているから、順路に従って流れて行く観光客で混雑し、肝心の庭を堪能出来ないなどと言う本末転倒な事態が避けられる。検問の思わぬ効果だ。
「たまにはいいだろ」
 呟いて、栄神朔夜(w3h299)は錦鏡池から向日台を望んだ。
 いつもならば、観光客が記念撮影でひしめく絶好のスポットだ。池の左には銀閣と呼ばれる観音殿が、綺麗に整えられた白い山の向こうには本堂と東求堂が秋の穏やかな太陽が投げかける光の下で佇んでいる。
「この時期の京都で何かを企もうなんて、それこそが野暮だな」
 本堂の前、銀沙灘と呼ばれる白砂を眺める公開講座の一団を遠くに見て、彼は口元を僅かに引き上げた。
 取材の名目で、出版社から手を回してもらった通行証と、彼自身のネームバリュー。検問を通過する事は比較的簡単だった。団体行動を取らなくてもいい分、庭内でも動きやすい。だが‥‥。
「いい天気だ」
 紅く染まったもみじ、鯉が泳ぐ池ののどかさに、朔夜は目を細める。
 どうやら、積極的に動くつもりはないらしい。
「呑気ねぇ‥‥」
 腰に手を当てて、わざとらしく息をつく。
「よぉ、大姐」
 傍目には、ぼんやりと風景を眺めていただけの朔夜が軽く手を挙げた。エスト・フォース(w3h657)の唇から、再び溜息が漏れる。
「ヴェスパーが真面目に働いているのに、気にならないのですか?」
「別に? あいつも、納経所で朱印貰っていたしな」
 逢魔も押さえるべきところはしっかりと押さえているようだ。
「それは‥‥何より‥‥」
 背後に立つファントムの、笑いを噛み殺す気配に気づかぬ振りをして、エストは朔夜の傍らに歩み寄った。
「和気藹々って感じがしますね。神帝軍の影なんて、どこにもないと思えるほどに」
 だが、実際は違う。参拝客の目が届かない木々の陰にサーバントが潜んでいるのだ。不自然に揺れる枝や、風が止まったのに聞える葉ずれの音が、その存在を示している。
 後方の木々を注意深く窺って、その気配がない事を確認すると、エストは公開講座の一団を注視した。
「私は、彼らの近くまで行ってみます。グレゴールが何かを仕掛けるならば、きっと団体客の方が効率がいいと思いますし」

●公開講座
 そこそこに集まった受講者を見回して、氷室龍弥は穏やかな笑みを浮かべていた。
 神帝軍に何度も掛け合ったと、噂に聞いた。その熱意が、今日の公開講座となって実を結んだと。
 リアンから借りた眼鏡の位置を直して、夜霧澪(w3d021)はネクタイを緩めた。
「‥‥チラリズムって、知ってるか?」
 すれ違いざまに囁いたジャンガリアン・公星(w3f277)に、きつい視線を投げる。
「なんなんだ、一体」
 ちっと吐き捨てるように呟いた澪は、氷室の傍らで熱心に説明を聞いていた小百合が、錦鏡池の鯉よろしく口をパクパクと動かしている事に気づいた。何かを澪に伝えようとしているようだ。
 グレゴールに動きでもあったかと、その口元に意識を集中する。
「さ、こ、つ?」
 何が何やら?
 澪の頭の中に飛び交う疑問符。
「あーうー‥‥」
 ノートを抱え、額に指を当てて、茅野樹璃(w3h048)が唸る。
 サリーが伝えようとしている事に、彼女は気づいたのだ。
「教えてあげた方が親切?」
「うーん?」
 苦笑を浮べた朔夜の逢魔、ヴェスパーの傍らでデジカメを構えていたエルハスが至極真面目な顔で僅かに首を傾ける。
「ある意味、餌になりませんか?」
「「‥‥」」
 そうかもしれない。
 紅葉の庭、歴史を刻んだ建物に佇む堅気のサラリーマンでは「あり得ない」兄ちゃんとくれば、お年頃の女性の興味を甚くくすぐる事であろう。試しにカメラを向けてみれば、ミスマッチなのに、妙に絵になる。
「放っておこうかな‥‥」
「そだね」
 女の子の黄色い声に釣られてグレゴールが来たら面白いのにねと、ヴェスパーに同意を求めて、樹璃はふいに言葉を途切れさせた。
「樹璃ちゃん?」
「ねぇ、‥‥ジャケット、脱いじゃわない?」
 真剣な眼差しで尋ねた樹璃に、大いに焦ったヴェスパーと、嘆きと戒めを混ぜたエルハスの声が、見事に重なって浴びせ掛けられた。
「おや? あちらは賑やかですねぇ」
 のほほんと呟いた氷室に近づいて、リアンは小さく微笑んだ。口調は、昔と変わらない。
「お久しぶりです。教授」
 差し出された手に面食らった氷室は、やがて、ああと声を上げた。
「あなたは確かシカゴの‥‥」
「はい。覚えていて下さいましたか」
 学生は何百人と相手にして来ているはずだ。その中で、どれほど自分が彼の記憶に残っているのか、正直、自信はなかったし、何より‥‥。
「覚えていますとも。あの頃より、背が伸びたようですね」
「教授も、随分とお変わりになられました」
 リアンの知る氷室は、白衣にぼさぼさ頭という外見には全く拘らない男であった。きっちりと髪を整髪剤で固め、スーツを着こなした姿にも戸惑いを感じる。
「人前に出る時ぐらいはね」
 固められた前髪は後ろへ流されている。その長さに、リアンは納得した。整髪剤を使っていなければ、リアンの知る昔の彼になるのだろう。
「それに、ずぼらにしていると、口うるさい人がいるので」
 ついた溜息がやたらと深いものだった事にも、笑いが込み上げる。
「前言撤回。お変わりありま‥‥」
 その笑いも束の間の事。背中に衝撃を受けて、リアンは言葉を詰まらせた。噎せる彼を押し退けて、山田ヨネ(w3b260)は、皺の刻まれた頬を紅潮させて氷室を見上げる。
「まあまあまあまあ! アンタ様がお偉い先生ですか!」
 固まった氷室の様子も、突き飛ばされてよろめいたリアンにも気づかぬように、ヨネは感極まって手を合わせた。
「ありがたいことですじゃ‥‥ナンマイダブ、ナンマイダブ‥‥」
「お‥‥拝まれても‥‥」
 奇異の目が集まる。
 頬を掻いて困り果てた氷室に、リアンを助け起こしていたヨネの逢魔、マーリは心の中でそっと彼らに詫びるのであった。

●渦巻く思考
「何か分かった?」
 臥雲橋から見える光景に足を止めた風を装って、御神楽永遠(w3a083)は彫像と見紛う程に微動だにせず佇む虚無僧に声をかけた。
「‥‥門での感情搾取は行われていない様子」
 大きな手の中には、よくよく見ると携帯が収まっている。
「美凪兄様は何と?」
「彼らの目的は他にあるのではないかと」
 そう、と永遠は伏し目がちに俯く。
「この1件、彼らが関わっていると思う?」
「美凪様は南禅寺のグレゴールとの繋がりを疑っておいででした」
 永遠は、平安フィルに現れた茶色の髪の男を予想していた。彼に知られた姿を隠す為に、こうして長い髪を編み、女学生を装っているのだ。
 彼女達を嘲笑うかのように京の町を覆う神帝の影。至る所に張り巡らされたそれに苛立ちを感じながら、永遠は悠久の時を経た庭を眺めた。
「この場所は、何年経っても変わらないわね。きっと」
 これからも、この先も、どんなに世界が変わっても、造られた頃の面影と造った人々の心を留めているであろう佇まい。
 そう考えると、僅かばかり慰められる心地がする。
「そこの人! 何をしているの!?」
 永遠が得た穏やかな時間は、甲高い声によって破られた。
 検問所に詰めていた係員と同じ制服を着た女性が、足早に近づいて来る。永遠と年の頃は変わらない娘だ。
 素早く、天舞が一歩身を退いた。手の中の携帯を懐に仕舞い、気配を周囲に同化させる。無我の境地を求める者のように。
「あなた、公開講座の人!? なんで、皆と一緒に行動をしないの? 怪しいわねッ」
 口調もきつく問い質してくる女に、永遠はおどおどと狼狽してみせた。
 ここで落着いていては、ますます怪しまれるだけだ。
「あの、ここからだと、どんな風景が見えるのかなって‥‥」
「言い訳は後で聞くわ!」
 ざわりと、背後の木々がざわめいた。騒ぎを聞きつけて、サーバントが集まってきたのか。
 困惑した様子とは裏腹に、永遠の気が集中していく。
「あらあら、こんな所でどうしたのぉ?」
 緊迫した空気を吹き払って、低くて高い微妙な声が響き渡った。
「やぁねぇ? 折角の綺麗なお庭でそんな怖い顔してぇ。可愛いお顔が台無しよ? お二人サン」
 緊張感も、集中力も根こそぎ奪っていく口調だ。
 ばちっとウインクを1つ、永遠に投げた物部百樹(w3g643)は、呆気に取られている係員の肩に腕を回した。
「ほら、アナタもよ? 苛々してるなら、甘いものでもどう?」
 いつの間にか、モモの指が小さな飴玉を摘んでいる。それを、目にも留まらぬ早業で係員の女性の口にぽいと放り込んだ。警戒していた女性に対して、驚く程の手際のよさだ。
−‥‥手慣れている‥‥
 永遠の視線に気づいて、モモはセロファンの包装紙に包まれたそれを彼女にも見せた。
「アナタも食べる? モモのお気に入りの苺味」
「いえ、私は‥‥」
 申し訳なさそうに断った永遠に、モモは残念そうに唇を尖らせる。
「あら、そーお? じゃあ、もう1人のアナタはどう?」
 背後に立っていた女が、その歩みを止める。足音を立てずに近づいて来ていた同僚に、飴玉を口で転がしていた女は驚愕の表情を浮べた。
「私も、いいです。それより、怪しい人がいるなら連行しなくちゃ駄目じゃない」
「ごめんなさい。こっちは私がやるから、あなたは氷室教授の方へ戻っていいよ」
 飴が歯に当たってカランと音を立てた。
「様子見は終わったから、後は帰りに用があるだけだし。‥‥やっぱり、歴史が好きで参加している人が多いのよね」
 ふふと笑った女は、同僚を急かすと永遠に向き直る。警戒というよりも、敵意に近い目の色だ。
「そぉなのよ! モモの連れもね、歴史が好きで参加してるのよ」
「そんな事はどうでもいいんです」
 ぴしゃりと切って捨てて、女は永遠の腕を掴んだ。
「ともかく一緒に来て貰うわよ」
「痛い! 放して!」
 手を振り解こうと身を捩らせた永遠の様子に、本堂の廊下に体を預けて銀沙灘を眺めていた朔夜がちらり隣を窺い見た。
「大姐」
「まだ、です」
 永遠には余裕がある。間近にいる彼女の逢魔が動かないのがその証拠だ。
 滑るように自分から離れ、無関係の人々を守る位置につくファントムに目線だけで頷き、エストは時を待った。
「もう少し、様子を見ましょう」

●手繰り寄せる糸
 史跡について熱心に語らう公開講座の参加者達が騒ぎに気付いたのは、問われるままに氷室が次の講座の内容を説明し始めた時であった。
「‥‥てみようかと思っています。最近、流行っていますしね。‥‥何の騒ぎですか?」
 それを合図としたように、一斉に首を巡らせた者達の目に、もみ合う永遠と係員の姿が飛び込んで来る。
「ありゃ! 永遠ちゃん!」
 仰天して叫ぶと、ヨネはよろよろと駆け出した。
「待って下さい、山田さん! 私が行きますから!」
 慌てて止めた氷室の袖をしっかと掴むと、ヨネは仲間達にだけ見えるにんまり笑顔を作る。彼女の意図を悟った者達が、催眠術から解けたように動き出した。
「私が様子を見て来ます!」
 走り出した樹璃を制止しようと伸ばされた氷室の腕は、マーリによって阻まれる。
「どうか、ここにいらして下さい」
「あやや‥‥腰が、腰が‥‥」
「やっ、山田さん?」
 座り込んだヨネに引きずられて、氷室も屈む。氷室の視線が逸らされた隙を見計らって、リアンは後ろ手に持った携帯の送信ボタンを押した。
−そろそろ頃合いだ。‥‥来い、鳳。
 人が集まった臥雲橋では、永遠が必死の抵抗を試みている。
 どこへ連れて行かれるのか分からずに震える永遠の様子を見かねた参拝客が、係員の腕を引き剥がした所で、騒ぎは頂点に達した。
 係員の腕を軽く捻り上げた客‥‥朔夜は、憮然とした表情を作って周囲を見回す。
「いくらなんでも、これはやりすぎだろう」
 怯えた風情の永遠を抱き寄せて庇い、エストが朔夜の言葉を継いだ。
「何処へ連れて行かれるのか分からないのですもの。女の子が嫌がるのは当然です」
 気丈に朔夜の腕を払い、係員は口々に同意の声を上げる客達を睨め付けた。
「テロリスト達じゃあるまいし! 神帝様にお仕えする方々が乱暴な事をするとでも思っているの!?」
「じゃあ、どこで何をするって言うのかしら?」
 顎に手を当てて、モモは面白がる口調で尋ねた。相手の神経を逆撫でするよう、多少嫌みっぽさを含めて。
「身元が確かかどうかを確認するだけよ。もし、それで不審な点が見つかったなら、テロリストか否か判明するまで拘留される事になるけど。でも、拘留されるって言っても留置場なんかじゃない。グレゴール‥‥神帝様に選ばれた天使が見守る宿泊‥‥」
 言葉が途切れたのは、頭上がふいに翳った為。
 見上げた秋の空に、黒い翼が舞う。
 声にならない悲鳴が、彼女の唇から迸った。

●名も無き翼
「驚かないのですね」
 突如として舞い降りて来た黒い翼の男と、その行く手を阻んだ白い翼の天使に、公開講座の参加者達もざわめく。
 その中で、事情と成り行きを承知している魔皇達の他に、ただ1人だけ落ち着いて状況を見守る者がいた。
 氷室龍弥である。
 目を細めて、リアンが尋ねた。
「驚く? 今更驚く必要はないでしょう。歴史の中、幾たびも天使と悪魔の戦いは繰り返されて来た。人の歴史と同じくして、表舞台に出て来たのは名前を残した者達のみ‥‥ですが。ねぇ? 山南さん」
 名指しされて、己が主の動きを追っていた山南敬助は、逢魔とファンタズマの攻防をひたと見据えていた氷室を振り返る。
「そう‥‥かもしれません」
 かつて、この京都で名を残した男がいなければ、彼の名もまた別のものになっていたかもしれない。
 肯定を返した敬助に、リアンは澪と顔を見合わせた。
「ですが、歴史は、名前を残した人達だけが作ったものでは‥‥ありませんよね?」
 傾げた首の動きに合わせてリボンが揺れる。
 サリーの問いかけに、氷室は嬉しそうに笑って頷いた。
「その通りです。名も無き者達が築いた道があるからこそ、歴史は動いていくのだと私は思います」
 ファンタズマの動きが止まった。真正面にいるはずの逢魔の姿を見失ったかのように、忙しなく視線を走らせる。
−‥‥幻魔影か
 仲間がDFを用いたのだ。
 騒ぎの中心にいたエストではないだろう。恐らくは樹璃か。
 冷静に状況を分析して、澪は空中でぶつかり合う白と黒の影に背を向けた。鳳の力は承知している。仲間達の援護もある。これ以上、見る必要はない。
「人の歴史よりも長く、天使と悪魔は戦い続けて来た。幾千、幾万‥‥数え切れない程の衝突を経て、危うい拮抗を保って来た。今、その均衡が崩れかけているのかもしれません。‥‥‥‥‥‥‥‥れど」
 後に続いた小さな呟きを聞き逃した魔皇達の前で、白い翼が、地に墜ちた‥‥。
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この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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