どらごにっくないと

カウンターカウンターカウンター

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  • 2008-06-30T15:47:08
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
「全く!」
 脱ぎ捨てたコートを投げつけて、彼女は言葉を吐き出した。
 上司であるグレゴールの怒鳴り声に、部屋の中にいた者達が首を竦める。
「なんだってあのコが優雅にリゾートで、あたしが退屈なデスクワークなのよッ!」
 京都は観光客が多い。
 ごく一部とは言え、検問で集められたデータをいちいち住民票等と照合して怪しそうな人物のリストを作る‥‥などと言う、目も神経も疲れる作業を割り振られて、彼女の機嫌が良いはずもない。
「そう苛々していては美容によくないよ、ティア」
 くすりと笑いを含んで響く耳に心地良い声。
 ソファに座っていた青年は、組んでいた長い足を解いて立ち上がった。
「こんな所で1日中パソコンと睨めっこしてるのも、お肌に悪いわよ」
「文句は、彼に言う事だね」
 自分と良く似た風貌の青年に腕を回して、ティアイエルはわざと顰めっ面を作る。生まれた時から一緒の半身は、彼女の安定剤であり、無防備に甘えられる唯一の存在だ。
「ずるいわ、テリィ。貴方だけ何もしないなんて」
 拗ねたように呟くと、茶色の髪がさらりと揺れて彼女の首筋を掠める。
「ちゃんとやる事はやっているんだけど」
 それでも、今回、「彼」が持ちかけた仕事には関わってはいない。こうして、たまにデータを運んで来る程度だ。だから、ずるいと思う。面倒な仕事を引き受けてしまったのが自分自身である事を棚上げにして。
「いいわ。今度、買い物に付き合ってくれるなら許してあげる」
「仰せのままに。‥‥ところで、これを預かって来たよ。氷室教授の新しい企画への参加者名簿」
 嫌そうに受け取って中を確認すると、ティアイエルは近くにいた者へと投げる。
「前のデータと照合して。‥‥しかし、甘いわよねぇ。こんな企画を通すなんて」
「歴史好きの情熱って、侮れないんじゃないかな?」
 いくら感情を抑えていても、好きなものへの情熱は自然と湧き上がってくるものだ。それは、恋愛の感情も同じ事。
「無理矢理こじつけてない?」
 諭し聞かせる言葉に、ティアイエルは肩を竦めた。
「そう? ‥‥と、そろそろ行かなくては。新しい仕掛けの途中でね」
「約束、忘れないでね?」
 頬に寄せられる唇に擽ったそうに笑うと、彼女は部屋を後にする兄の背を見送ったのだった。



「というわけで」
 何が「というわけ」なのか、誰も尋ねようとはしない。
 相棒たるうぇいとれすの不在は、月見里葵に多大なる影響を及ぼしているようだ。
「銀閣寺で得た情報から、国際交流会館に、検問を統括している「本部」があると判明致しました」
 話の内容はマトモである事に、魔皇達は内心、胸を撫で下ろす。
「検問で発見した不審者のデータは、この本部に問い合わせて照合をかけています。‥‥つまり、ここには膨大な量のデータがあると考えられるわけですが‥‥もしも‥‥」
「もしも、俺達の推測の通りだとしたら、そこには「不審者」のリストと詳細なデータが取られているだろうな」
 不審者。
 検問が設置された理由。
 取られたデータ。
 それらをあわせて考えれば、この一連の動きが「魔皇」対策の布石である可能性が高い。
「我々に対するものだけではなく、一般の方のデータも気になります。魔皇と関係なくとも、何かあった場合、神帝軍にマークされる事にもなりかねません」
 魔皇達であるならば対抗手段もあろう。
 だが、一般の人々に何が出来る。
「そのデータ、何とかしなくちゃならないな」
 ぼそりと、店の隅から呟きが漏れた。
「今、この時も神帝軍にデータが集められている。そのデータを破壊したところで、同じかもしれないぞ?」
「それでも、手をこまねいているよりはマシだ。それに、これを仕組んだグレゴール達のデータを取る機会が得られるやもしれん」
 葵は大きく頷いた。
「その通りです。現在、「本部」として使用されている会館に出入りする者は限られています。業者や来訪者は、受付まで。中まで入れるのはIDを持つ職員のみです。つまり、警備の隙をついて、忍び込むしかありません」
 出来るだけ素早く、神帝軍や職員に見つかる前に目的を果たさねばならない。潜入してより後に連携を確認していたのでは動きが鈍る。
 事前に打ち合わせをしておいた方が良いだろう。
「一般利用可能だった頃の施設案内しか入っておりませんが‥‥」
 前置きして、葵はカウンターにパンフレットを広げた。
「データを処理するのであれば、電源や回線等、それなりに設備が必要です。ここに記載されているだけでも、会館の中には、研修室と会議室が4つ。それに、資料室と図書室もありますね」
 そのうちのどれか。あるいは、複数か。
 どちらにしても、分担した方が良さそうだ。
 パンフレットを見据える魔皇達の目が真剣味を増した。


【本文】
●万全を期して
「それでは」と兎野篁(w3c589)は、仲間達に手渡したMOと同じものを示すと口を開いた。
 今回の任は、自分1人で判断し対処する単独行動と、仲間達の動きを把握し、その時々によって援護にまわる連携プレーの両方を要求される。
 だから、事前に打ち合わせが必要な内容や連絡事項はきちんと伝えておかねばならない。
「今、渡したMOに、パスワード解析ソフトが入っています。潜入した後はそれを使って、神帝軍のパソコンにアクセスして下さい。閲覧以上の事が出来るようになると思いますから」
 プラスチックのケースを玩びながら、黒江開裡(w3c896)は薄く笑みを浮かべた。
「泥棒の真似事とはね。‥‥まぁいい。連中が何を考えているか知らんが、一泡ふかせてやるとしよう」
 その場にいた者達の気持ちを代弁する彼の呟きに、表情を険しくしていた枳県(w3g986)も詰めていた息を吐き出す。
「そうですね。いつまでも神帝軍に好き勝手‥‥させるつもりはありませんし」
 静かな決意を浮かべて立ち上がると、県はかけていた上着を取り上げた。
「行きましょう」

●下準備
 彼らよりも一足早く、ラルラドール・レッドリバー(w3a093)は、神帝軍が半ば占拠している交流会館の建物を見上げていた。
 コンクリートで固められた建物は、薄暗い空を、厚い雲が一層重く感じさせる中、何者をも拒んでいるかに見える。テンプルムが御所の上に現れる以前は、冠する名の通りに、交流の為に使われていたというのに。
「ラルりん」
 袖をひいたアゼルに、ラッシュは頷きを1つ返すと、その手を繋いで建物の中へ入る。閉館時間間近の受付は、早い帰り支度をする女子職員だけで、周囲を見回してみても誰の姿もない。
 足早にカウンターへと近づくと、白い天板に手を置く。
「すまないが、妹にトイレを貸して貰えないだろうか」
「え? ああ、‥‥はい」
 一応は観光地だ。地下鉄の駅も近い。
 警戒に表情を強張らせた女に、ラッシュは内緒話をするように顔を近づけた。
「何か‥‥騒がしいんだ、この先。駅も封鎖されたみたいだし」
 この先にあるホテルで起きた騒動は、まだ伝わってはいないようだ。ラッシュの言葉に、女は素直に驚いた。
「やだ、本当? 帰り、どうしよう‥‥」
「車、出して貰えるならそれで帰りなよ。でなきゃ、落ち着くまで残っていた方がいい。危ないぜ?」
 最近、物騒だしと女の耳元で囁きながら、ラッシュは胸元につけられた名札に指先で触れた。
 ビニールの名札の中、女の名前と顔写真が記された身分証明のカードが入っている。
「名前、麻衣子って言うんだ‥‥」
 ちらりと、ラッシュは浮かせたカードに視線を走らせた。どうやらただのカードのようだ。受付を担当する一般職員には、機密に関わる事もないからか、それとも?
「車も出せそうにないな」
 掛けられた声に、ラッシュは顔を上げた。
「この先で交通規制のようだ。渋滞が起きている」
 ああ、とラッシュは腕時計を見た。時間的にも混み合う頃だ。ホテルの騒ぎで規制が起きれば、車は動けなくなるだろう。
「駅も使えないようだから、しばらく帰れないよ」
 トイレから出て来たアゼルの背を押して、野乃宮美凪(w3g126)はラッシュへと目配せする。
 検問所の係員となった経歴を活かし、見学と称して、この会館に詰めている神帝軍に入り込んでいた。案内をつけられ、自由に動く事は出来なかったが、それなりに成果は得ている。
「君達も、しばらくここにいた方がいいんじゃないかな? 外に出ても混雑に巻き込まれるだけだよ」
 ラッシュは、彼の表情からそれを読み取った。
 ならば、行動開始だ。
「そうしたいのは山々なんだが、悠長な事を言ってると、仕事に遅れちまうし」
 女の手の中に自分の名刺を差し込んで、ラッシュは仕事用の笑みを乗せた。
 自分がこの建物から出る。それが合図だ。
「今度、店においで?」
 リップサービスで職員を口説くラッシュに、美凪は溜息をついて見せた。
 そんな彼に、アゼルが封筒を差し出す。
「これ、忘れものみたい」
「‥‥ああ、ありがとう」
 にっこり無邪気に笑いかけるアゼルの頭を撫でて、美凪は封を開けた。中には、1枚のMO。彼の口元が僅かに引き上げられる。
「行くぞ」
 アゼルを促して踵を返したラッシュは、すれ違いざま、美凪に囁きを残した。

●潜入
 建物の大きさにしては職員の数が少ない。
 ハリエットが出入り業者から集めた情報を口の中で繰り返して、桜庭勇奈(w3i287)はホールの搬入口に滑り込んだ。その後を、白い猫が足音も立てずに続く。
「表の騒ぎも、こっちには好都合だよなっ」
 暗闇の中だが、勇奈が瞳を輝かせているのが分かる。白い猫は嘆息したようだった。
「職員が足止めをくらって、夜間のセキュリティは不完全。加えて、職員が少ないとなると、今、忍び込まずしていつ忍び込むって感じ」
 そっと、勇奈はホールから続く通路の様子を窺い見る。人影はない。素早く、彼は次の目的地へと進んだ。
「戸締り確認よーしっと」
 手袋をした手で、ガラス戸のロックを外す。
 そのまま、彼は2階へと駆け上がった。
 閉ざされた窓ガラスのクレセント錠も外して、外を覗く。
「開けとくよ」
 誰に向けられた呟きなのか、悪戯っぽく笑んだ勇奈に猫は再び息をついた。
「じゃ、次に行こう。ハリエット」
 彼の姿が窓から見えなくなると、中庭に2つの影が現れた。
「泥棒なんて‥‥」
 長い髪を1つにまとめた少女が、長身の影を見上げる。
「ああ?」
「ちょっと不謹慎ですけれど、どきどきしますね」
 ぺろりと舌を出して、肩を竦めたクレイメーアに、主の纏う気配が僅かに緩んだ。ぽんと、軽く頭を叩かれる。
「馬鹿な事言ってないで、行くぞ」
 少女は、黒い翼を広げた。それを合図としたように、開裡がロケットガントレットを宙に浮かせる。それに足をかけ、一気に2階の窓へと上がった。
 侵入は、思っていた以上に呆気なく成功した。
「簡単すぎて、拍子抜け‥‥」
「気を抜くな」
 ここが神帝軍の施設である以上、何らかの障害があると考えるのが妥当だ。完全徴集でないだけマシなのかもしれないが。
 開裡は、事前に調べてあった館内図を思い浮かべながら、暗い廊下を進んだ。

●接触
 ラッシュの情報によると、一般の職員に磁気カードによる照合はない。
 変装用の眼鏡を押し上げて、篁は、何くわぬ顔で廊下を歩いていた。その胸には、彼の顔写真と偽名を使った偽の名札。
 帰宅出来ない職員達は、それぞれに時間を潰している。仕事をしたり、飲み物を片手に談笑したりする彼らの隣りを平然と過ぎて、彼は並ぶ部屋の1つへと入り込んだ。
 部屋の中には、資料閲覧用のパソコンが1台置かれている。
 迷う事なく、篁は部屋の明かりをつけた。
 蛍光灯の下で、パソコンを起動させる。
 職員がパソコンを使っていても何の不思議もない。明かりもつけずにいる方が不自然だ。
 LANが繋がっている事を確認して、彼は、ゆっくりとキーボードを叩き始めた。

●混乱の種
 女子職員に自販機のコーヒーを手渡して、美凪は壁に掛けられた時計を見上げた。
 仲間達は、潜入を開始した頃だろうか。
 涼霞が行動を起こすのも、もうじきだ。
「ねぇ」
 自動ドアが開いて、1人の男が受付に近づいて来る。
「ちょっと避難させて頂いてもよろしいかしら?」
 ばちんと音がしそうなウィンクを送られて、美凪が目を細める。
 どうやら始まったようだ。
「外、車が動けなくなっちゃって。それに、何だか怖いのよねぇ。警察とか殺気だってて。巻き込まれると嫌だし、落ち着くまで、ここに居させてもらえないかしら?」
 物部百樹(w3g643)は、人懐っこい笑みを浮かべて、カウンターに寄りかかった。
「え、でも‥‥閉館の時間が‥‥」
「いいじゃないか。こんな状況だし、困った時はお互い様って言うしな」
「あら、ありがと。おにーさん☆」
 再度、美凪にウィンクを投げて、モモは上着に手をかけた。素早く目を走らせ、周囲を確認する。彼の目的は、受付の目を引き付ける事。
「外は冷えて来たわよ。雪でも降るんじゃないかしら」
 世間話を始めたモモに、女子職員が相槌を返す。彼女の気が逸れた隙を見計らって、美凪は素早くキーボードに触れた。涼霞がネットカフェから送ったメールを受け取り、開く。後は、篁のMOを使ったモモの逢魔達に任せればいい。
 職員に季節外れの怪談を語って聞かせていたモモが、ちらりと視線で問う。何食わぬ顔で紙コップの中の液体を啜り、美凪は唇の片端を少しだけ引き上げてみせた。
「よし、来たぞ」
 敬助の声に、しぐさは手際よくキーボードを叩く。
 美凪が受けたウィルスを、彼女達が入り込んだパソコンで受け、更に館内中のパソコンへと流す。
 これで、しばらく館内のパソコンは使い物にならないだろう。
「あとは、篁さんに任せよう」
「はい」
 篁のことだ。
 今頃は神帝軍のデータベースに侵入を果たしている事だろう。外部からではなく、今回は内部からの侵入だ。彼にとってはインターネットに繋ぐのと同じくらい容易かっただろう。
 そして、館内がウィルスで混乱している今、それに乗じて目的のデータを破壊する事もきっと。
「では、私は美凪さんが預かっておられるMOを受け取って参ります」 
 ラッシュが涼霞から受け取り、アゼルを介して美凪が受け取ったそれには、今回、用いられたウィルスのデータが入っているはずだ。目的さえ果たしてしまえば、ウィルスも消去した方がいいに決まっている。
 神帝軍だけではなく、ここは一般の人々が働く施設なのだから。

●決行
 開裡の舌打ちが響く。
 暗い廊下に差し込んだ1筋の光。それは、みるみる大きくなって、彼の影を床に落とす。
 残っていた職員が、廊下に出て来たのだ。
「‥‥ごめんなさいっ!」 
 扉を開けた男が振り返るより先に、クレイメーアのお仕置きハンマーがその後頭部に炸裂する。一般人の身を思い、手加減したその一撃は、それでも男を昏倒させた。
 突然に倒れた同僚に、中にいた者が騒ぎ出す。
 どうやら、順調だったのはここまでのようだ。
「美凪が集めた資料は回収した。‥‥出るぞ」
 小声で逢魔に指示を出して、開裡は手近な窓ガラスを破った。やけに大きく響いたその音に、誰かがあげた悲鳴が重なる。
 中庭に飛び出すと、別棟のガラス戸が大きく開け放たれた。
 迷う事なく、開裡とクレイメーアは、そこへ走り込む。
 予想していた通り、外に面した扉が全開されていた。早く行けと手を振る少年を一瞥し、開裡は地面を蹴る。礼など、今は必要ではない。彼も、そんなものを望んではいないだろう。
 灯りが次々に点灯し、騒然となる建物に背を向けて、彼は薄く笑みを浮かべた。
 開裡とクレイメーアの姿が闇に紛れた事を確認した勇奈は、幾つも重なる乱れた足音を屈託ない笑顔で迎えた。
「おい! お前、何者だ! こんな所で何をしている!」
 誰何の声に、腕の中のハリエットと顔を見合わせる。
「この期に及んで、誰だ‥‥なんて聞く?」
 怪しいのは一目瞭然だろうに。
 追いかけて来たのは、こんな事態に慣れていない者達と考えても良さそうである。
「俺達の襲撃を予期していなかった? そんなはずはないよなぁ」
 こんな、素人同然の奴らで十分だと思われていたのなら、軽く見られたものだ。
 人員を割く余裕が無かったか。
 それとも、他に思惑があるのか?
「ま、今、考えても仕方がないか」
「聞いているのか! お前!」
 ぶつぶつと独り言を呟いているようにしか見えない勇奈に苛立った男が、警棒を手に近づく。
 ふぎゃう!
 その足元を引き裂く鋭い爪。
「えっと。悪いけど、そろそろお暇させて貰うよ。あんまり遅くまで余所様にお邪魔しちゃいけないって言われてるし」 
 凍りついた男達にぺこりと頭を下げると、腕の中に戻って来た白猫を抱え、勇奈は開裡の後を追ったのだった。
「何をしているの! 早く追いなさい!」
 その頃、賊発見の報は、ティアイエルの元にもたらされていた。
 幾分上擦った声に重なるように、パソコン画面を見つめる男性が叫ぶ。
「ウ‥‥ウィルス!?」
 突然、画面に現れたメッセージ。男は、除去ソフトを走らせつつ、上司であるグレゴールを振り仰いだ。
「即刻、駆除しなさい!」
 指示を飛ばして、ティアイエルは踵を返す。
 タイミングが良すぎた。恐らくは、魔皇の仕業だ。
 不審者を拘束しているホテルが襲撃されたと聞いた時に、もっと警戒しておくべきだった。
 唇を噛んだ彼女の前に、1人の青年が立ちはだかった。
「はじめまして」
 丁寧な口調の中、見え隠れする自信。
「申し訳ありませんが、しばらく、ここにいて頂けますか?」
「‥‥魔皇ね」
 鋭く睨みつけたティアイエルの手があがる。
 ガラスが割れて、獣が彼女を守るように降り立った。
 革靴の先で飛び散った破片を踏みつけて、青年‥‥県は、1歩ティアイエルに近づいた。威嚇して唸り声をあげるサーバントを気にする事なく、彼女へと手を伸ばす。
「怪我、しませんでしたか?」
 乱暴に払われた手に、県は苦笑した。
 襲い掛かるサーバントの一撃を受け流し、後ろへと飛び退った彼は、ふいに外へと目を向ける。
 戦闘の最中だというのに、微笑んでいた。
「どうやら、目的は果たしたようですよ」
 県の視線を追いかけたティアイエルの目に、闇の中に広がった黒い翼が映る。
「逢魔!」
 県の逢魔、しぐさの手からMOケースがティアイエルに投げられた。
 咄嗟に弾いたそれを受け止めて、県はくすりと笑う。
「心配しなくてもいいですよ。これは、館内のパソコンに送られたウィルスの駆除ソフトです。一応、新種だったらしいので」
 彼女の手にMOを握らせて、県はコートの裾をふわりと舞わせた。
「自分の役目はここまでです。それでは‥‥」
「待ちなさい!」
 彼の背に飛び掛ったサーバントを弾き飛ばした巨体に、県は歩みを止めて目を見張った。
 どこかの怖い人かと思う風貌でにやりと笑った御堂力(w3a038)が、腕を振り上げる。
「とりあえず」
「これだけはね!」
 息の合ったコンビネーションで、フレアスカートを翻した少女と共にサーバントを倒した力は、ティアイエルへと向き直った。サングラスに隠されていても、その眼光は彼女をその場に縫いとめるだけの威力をもつ。
 気迫に飲まれ、動けなくなったティアイエルに小さく頭を下げて、県はその場を立ち去った。

●消去
 建物の外に出た篁は、夜空を舞う黒い翼を見上げて小さく笑った。
「終わったの?」
 つんと袖をひくアリス04に短く応えて、彼も歩き出す。
「‥‥ああ、そうだ。これ、何だと思う?」
 はらりと1枚の紙を逢魔の手に落として、篁は手のひらを空へと向けた。降り始めた雪が、彼の手の上で溶ける。
「氷室龍弥 講座企画? 何ですか? これ」
「さあ? データの中にあったんだ」
 参加者の名簿かと、一瞬思った。
 しかし、それは募集も始まっていない、ただの企画書だった。それが何故、不審者のデータに紛れ込んでいるのだろう。
 心に過ぎる得体の知れぬ不安を払うように、彼は軽く頭を振った。
「‥‥帰る」
「いいんですか? 他の皆さんは‥‥」
 一般職員達を留めていた美凪とモモも、頃合いをみて引き上げるだろう。
 もう、ここには用はなかった。
COPYRIGHT © 2008-2024 桜紫苑MS. ALL RIGHTS RESERVED.
この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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