どらごにっくないと

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漢の花道

  • 2008-06-30T15:48:58
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
鳴くよ、うぐいす。
 平安京に遷都されて以来、京都の街は押し寄せる時代の波に流される事なく、常に「都」としての威厳を保って来た。
 人の住まいを作るのが木と土だけではなくなり、アスファルトが大地を覆い、鉄の乗り物が地を満たしても、古の面影は京都の至る所に残っている。
 何気なく置かれた石の道しるべ、近代的な家屋の合間で見落とされそうに密やかに佇む古い家。
 そして、寺社へと続く細い道も、かつての名残りだ。
 観光客を乗せたバスやタクシーが窮屈そうに列をなして進む参道に、彼はいる。


「えー‥‥」
 何と切り出してよいのか分からずに、月見里葵は手元の資料に目を落としたまま、言葉になり損ねた声を途切れさせた。
 こぽこぽと音を立てるサイフォンから良い薫りが漂って来る中、魔皇達は辛抱強く彼女の言葉を待つ。
 カップを温めていた湯を捨て、イレーネはちらりと葵に視線を投げた。
「バスやタクシーは、時に渋滞に巻き込まれるのですが‥‥」
 顔を見合わせた魔皇達に、葵は口元を引き攣らせながら資料を彼らの目の前にぶら下げた。
 資料と一緒にクリップで留められた写真。見やすいようにと拡大されたそれに、彼らは説明に困った葵の心情をようやく悟る。
 そこに映っていたのは、白い歯を見せ、親指を立てる好青年。
「彼が‥‥どうかしたのか?」
「彼が、ではありません」
 この方が手っ取り早いと、葵は油性ペンを取った。見るからに爽やかな青年が纏っている黒い服に、きゅきゅっと矢印を引く。
「皆様も1度ならずご覧になった事がおありでしょう。京の街並みを走り抜ける彼らの姿を」
 魔皇達は頷いた。
 数珠繋ぎになったバスやタクシーを横目に、客を乗せてすいすいと走り抜ける車。
 その動力は、人力。
「この人力車の曳き手に、グレゴールが紛れ込んでいるとの情報です」
 自分の為に煎れたコーヒーを堪能していたイレーネが、ソーサーにカップを戻す音がやけに大きく響いた。
「じ‥‥人力車の曳き手‥‥‥‥‥‥‥‥」
「はい。しかも、個人人力車のようです」
 観光名所に並ぶ人力車を思い出しつつ、魔皇の1人が呟く。
「まぁ、それでも、かなり絞られてくる」
 大抵、人力車の曳き手は黒に白で文字を染め抜いた揃いの法被を粋に着こなしている。法被は彼らの雇い主から支給された、彼らの制服だ。個人の人力車であるなら、その法被は着ていないはず。
 思ったよりも簡単な依頼だと魔皇達の顔に笑みが戻る。
 だが、葵は言葉を濁した。
「それが、どうやらグレゴールはそっくりな法被を着ているのです」
 ここに注目と、葵は写真に書き込んだ矢印を指差す。
「黒に白で染め抜かれた文字。グレゴールと思しき者が背に負うのは『漢』の1文字だそうで‥‥」
 ぐぐっと魔皇達の拳に力がこめられた。
 つまりは、1ヶ所に留まらない数多の人力車の中から、背の文字が違うだけの曳き手が操る車を探し出さねばならないと言う事か。
「どうする‥‥」
 行動を開始する前から疲れを感じる。
「どうするもこうするも、まずはグレゴールを探し出すしかないだろう」
「その後は?」
 問われて、彼は一瞬だけ答えに窮した。
 グレゴールの目的は、感情搾取だ。‥‥多分。と、なると、
「‥‥‥‥とりあえずボコる」
 感情搾取は、やはり阻止せねばなるまい。
「参考までに、ネット上に流れていたグレゴールらしき曳き手の情報だ」
 イレーネは取り出した紙を読み上げた。
「聞いて下さい! こないだ京都に行った時、清水寺から人力車に乗ったんです! 笑顔の素敵な、ちょっと体育会系っぽいおにーさんで、超ラッキー☆って思ってたら、『俺の前は何人たりとも走らせないッ』って、突然叫び出したかと思うと、人が変わったみたいに大笑いしながらバスやタクシーを追い抜き始めたんです。もぉ、コイツ何者〜っ?(>_<)って感じ。でも、途中でどーでもよくなっちゃったけどネ」
 いきなりイレーネから発せられた甲高い調子の女子高生言葉に、飲み物を口に運んでいた者が噎せ返る。
「まだあるぞ。声掛けられた時は、激ムカツいたけど、あんまりにしつこかったので八坂神社まで乗ってあげたの。そしたら、下手なガイドなんかメじゃないってぐらい話のうまい人だったから、嬉しくなっちゃって♪ 八坂神社でバイバイした後、もう観光し終わった気になったから、そのまま駅に向かって新幹線に乗って帰って来ました‥‥とか。‥‥どうかしたか?」
 テーブルの上に突っ伏している魔皇達を見回して、イレーネは怪訝そうに首を傾げた。


【本文】
●作戦会議、脱線中
 何度か瞬きを繰り返した翠月茶寮の主に、姫菅原逢瀬(w3b302)はカウンターに片肘をついて首を竦めた。
「だから、依頼の調査費だってば。貴重なオフを費やして労働力を提供するんだから当然だろ? あ、昼飯もつけてくれよな」
 さらりと依頼の報酬を要求した上に、昼食はサンドイッチがいいと注文をつけた逢瀬に、月見里葵はしばし考え込んだ。
「そう言う事ですか」
 にっこりと笑い、逢瀬の手に小金を握らせる。
「食べ物ばかり買っては駄目ですよ? お夕飯が食べられなくなりますし」
「わぁい! って、小遣いと違ーうっ!!」
 どんがらがっしゃんと、ちゃぶ台をひっくり返す真似をした逢瀬の襟首を掴み、彼の逢魔、神名は口元をひくひくと痙攣させた。
「逢瀬」
 静かに、低く囁かれた自分の名に、逢瀬はどこぞの製菓会社の男女ペアなマスコットが如く、とぼけた笑顔を作る。
「お菓子は300円以内だからね、逢瀬くん」
「お約束、ですよね♪」
 作戦を取り纏めていた月射光(w3e757)が、邪気など欠片も感じさせない笑顔で口を挟めば、司藤蓮真(w3d252)がすかさずツッコミだか同意だか分からない合いの手を入れる。
 その傍ら、ぼそぼそと囁かれる逢魔・箏斐の言葉を聞いていたライカ・タイレル(w3h737)は、小さく声を上げると逢瀬の手を両手で包み込んだ。
「Japanische Kinder sind mitfuhlend!」
「‥‥こうして異文化間に誤解が生まれていくのかな‥‥」
 コーヒーカップを片手に、ジャンガリアン・公星(w3f277)は斜め前方を見上げた。兄に、女言葉で日本語を教えた彼が言う台詞ではなかったが。
「ライカさんは何て?」
 俺に振るなと書かれた赤文字が、夜城将清(w3a966)の背後にはっきりと見える。いや、見えないのだが、見えた気がした。
 可愛いらしく小首を傾げた氷霊が、しゅんと肩を落とすのを見かねたのか、箏斐は抑揚を抑えた声で通訳する。
「日本の子供は可哀想だと言ってます」
 微妙な空気が流れた店内に、有線から流れる管弦楽が大きく膨らんで、弾けた。

●情報は掘り出してこそ
「そこの舞妓さん。よければ写真を撮らせて頂けませんか?」
 調査に出るまでに一悶着があったものの、彼らは観光客に紛れ込み、順調に情報収集を続けていた。
 逢魔とカップルを装った将清は、本日5人目のお姉さんを見事にゲットしている。
「ぅうううぅぅ」
 揺れて聞こえる唸り声に気を逸らした舞妓と氷霊の間に体を滑り込ませて、将清はその視線を自分へと固定した。
「後ろのは気にしなくてもいい。たぬきかステッキを持った白髭親父の人形とでも思えば」
 ぽくぽくと将清の背に連続した衝撃が走る。それを無視して、彼は舞妓から情報を引き出した。
「へぇ、そうなんだ」
「それは有力な情報だな」
 紺のコートを着た女子高生の前髪をさらりと梳いて、神名は適当に相槌を打っている逢瀬を睨んだ。先ほどから女の子をひっか‥‥もとい、話しかけているのは神名ばかりである。モデルとして顔を売っている彼を使えば、女の子からの情報収集も簡単と、すっかりお任せモードだ。
「こいつのマネージャーがさぁ、モデルに手をつけて逃げちゃったんだよねぇ。もぉ、困った困った」
 逆立ちしても、困っているようには見えない逢瀬だが、女子高生はころりと騙されたようである。
「背中に「漢」の1文字でしょお? 友達が、よく五条の辺りで見かけたっとかってぇ‥‥」
 それは恐らく、名所が多い五条大橋から東山五条の周囲であろうか。逢瀬は、後ろ手に仲間へとメールを送った。
「そこのお兄ちゃん! 彼女と一緒じゃなきゃ乗らないでしょぉ? いーじゃないですかぁ、思い出思い出!」
「どうする? ユエさん」
 口先で逢魔に尋ねつつも、蓮真は辟易としていた。
 これで何度目になるだろう。情報収集の為に、わざと曳き手の勧誘に心動かされたふりをしてはいるものの、そろそろ我慢も限界だ。
 剣術で鍛えて来た彼の忍耐力をも、あっさりと崩してしまうのは、恐るべしと言うべきか。
「喧しいわっ!」と、何度、彼らしからぬ言葉で叫んでしまいそうになった事か。
 大きなお世話な勧誘の言葉に、ユエも苦笑を隠せない。
 より多くの情報を得る為に効率良く。そう思っての聞き込みであったが、数歩歩けば勧誘に捕まる状態だ。曳き手のお兄さん達は、一見爽やかだが、束で来られるとうざったくて仕方がない。
「この方々に紛れているなんて‥‥グレゴールにも色々な方がいらっしゃるのですね」
「‥‥そうだね」
 彼ら、魔皇と逢魔の敵は、なかなかに奥が深いようであった。
「外人さんは、何度も乗せた事があるんで。気にせず、何でも話しかけてくれよ。あいきゃんすぴーくふぉーりんらんぐいっじ!」
 ライカと箏斐を乗せて、狭い路地裏をゆっくりと走る。周囲の景色も楽しめる、観光に適した速度だ。
「! ‥‥!?」
 弾かれたように、ライカが顔を上げて何事かを呟いた。
「‥‥貴方はフィンランドの言葉が喋れるのですかと聞いています」
 全開の笑顔のままで、男は凍った。足だけは動いているので、車は前へ前へと進む。しばらくの沈黙の後、箏斐は小さく咳払い、ライカへと囁いた。返すライカの言葉は、勿論、男には分からない。
「それはともかく。彼女はインターネットで貴方の服によく似た服を着ている人を見た事があると言っていますが」
「ああ、背中の文字が違ってたろ? あいつは流しなんだ。そういや、今日は八坂の塔の辺りをうろついてたな」
「Yasaka‥‥」
 そっと、ライカは携帯電話を取り出した。

●囮という名の罠
 黒の法被に「漢」の1文字。仲間達が体を張って得た情報の通りだ。
 仇野幽(w3a284)は、逢魔の界と頷きを交わした。
 少し離れた場所で様子を窺っているリアンとも、視線で確認し合う。
「幽、幽〜! 次はどこに行く?」
「やっぱり清水は外せないでしょ! でも、路線バスは満員御礼で乗車拒否されちゃったじゃない。どうしようか?」
 道の真ん中で、ガイドブックを覗き込む女性2人。
 京都の街では珍しくはない光景である。
「満員ですって言うだけならまだしも、「次のバスも一杯です。待つだけ無駄です」だもんね。さすがにカチンと来ちゃったわ」
 ターゲットに聞えるよう、声は大きめテンションは高めだ。離れた場所にいたリアンの目にも、グレコールと目される男の動きが止まった様子が見て取れた。
「じゃあ、清水まで歩くの?」
「ええ!? ガイドで見る限り、坂よ、坂! おねー様の麗しのハイヒールとは相性が悪過ぎるわ!」
 演技か本心か計りかねる幽の言葉に、界は曖昧な笑みを浮かべた。そこへ
「お嬢さん方! お困りですねッ」
 白い歯を煌めかせ、男が文字通りに踊り出る。
 額に光る汗が似合う、体育会系の好青年。写真のまんまの男に、幽は言葉を失う。
「‥‥だから、今はアカンて」
 電信柱の影で、自らの魔皇を羽交い締めにした鳳が声を潜めて窘めた。
「あ、あれじゃない? 幽、ほら、ネットに出てた‥‥」
 硬直した幽に、界が慌てて話を振る。柱の影の2人も気に掛かるが、今は目の前のグレゴールが釣れるかどうかの瀬戸際だ。
「あ‥‥ああ! アレね! 嘘ッ? 本物!?」
「参ったな。俺はそんなに有名かな? お嬢さん方」
 幽の、紅で綺麗に縁取られた唇が微かに引き攣った。それをぐっと抑えて、はしゃいだ声を作る。
「すっごく、ね! 乗せて貰いましょ、界」
 片手で素早く携帯のメモリーを呼び出す幽の言葉に含まれた指示に、界は車に飛び乗った。
「あ、私。例の人力車、ゲットしちゃったよん♪ ‥‥え? そっちも? じゃあ、こっちはぱちもん!?」
 偽物呼ばわりに、界も便乗して騒ぎ立てる。男は、不快そうな表情を隠す事なく会話を続ける幽を睨み付けた。
「じゃあ、どっちが本物か勝負して決着をつけましょうよ!」
−では、予定通りに
「分かったわ! ええ、そこで落ち合いましょう!」
 売られた喧嘩は買うしかない。
 言葉巧みに煽った界に乗せられて、2人を乗せた車は仲間との合流地点を目指して走り出した。

●始まりの合図
「だからと言って」
 自分が置かれている状況に、速水連夜(w3a635)は心の中で百人一首を詠み上げた。正月の間中、影月を相手に狂ったように百人一首に興じていた無口な案内役のお陰で耳に馴染んだ言葉が、彼に幾ばくかの落ち着きを取り戻させた。
「何故、俺がこんな格好でここにいるんだろうな、影月」
「当然の成り行きでございましょう」
 彼の闇執事は、限りなく闇に近い笑顔で爽やかに答える。
「部屋の中に篭もってばかりでは不健康ですし、良い機会でございます」
「いや、俺は頭脳労働担当だから」
 そんなささやかな連夜の反論も、影月には届かなかったようだ。
「ご安心下さい。速水様の勇姿は、わたくしめがしっかりと撮らせて頂きます。長期間の保存に適したDVDで」
 連夜は、空を見上げた。
 室内に慣れた目に、冬の太陽が眩しく染みる。
「折角、公星様が用立てて下さった人力車、よもや無駄になさるおつもりでは‥‥」
 了の答え以外許さないとの無言の圧力に、速水は地下足袋に包まれた足元へと視線を落とした。ついでに、溜息も1つ。
「ま、人間、諦めも肝心って言うし」
 微笑んだ光の逢魔、リディアに、魔皇の場合はどうなのかと突っ込む気力もなく、何故、彼女が人力車の上に乗っているのかと問い質す余裕もなく、連夜は自分の暖かい事務所を思った。
「心配するなって。俺もバイク!(強調)で並走するし」
「万が一に備え、リディアがご一緒致します。後の事は気にせず、死ぬ気で行ってくださいね。決して、グレゴール如きに遅れを取らないで下さい」
 次々と合流ポイントに集った仲間達の励まし。
 連夜の躊躇いも振り切れる。
「わかった。‥‥やるからには『最速』の称号、必ずや奪ってみせるッ」
 ぎりりと捻った鉢巻きを頭に巻いて、連夜は力強く拳を握りしめた。
 人、それを自棄っぱちと呼ぶ。
「ええ、そうです。‥‥はい」
 決意を表した連夜に、仲間達からの熱い応援と惜しみない拍手が送られる中、光の携帯が着信を知らせた。途端に静まり返り、息を呑んでやりとりを窺う者達に、光は指で小さく丸を作ってみせる。
「はい、では、予定通りに」
 通話を切った光の言葉が、始まりの合図であった。

●死闘の果て
 数珠繋ぎのバスやタクシーの間を巧みに抜けて、2台の人力車が京の街を疾走する。
「リアンの言う通りにしてよかったわ」
 グレゴールが引く車の上で、幽はしみじみと思った。彼女の隣では、セーラー服のスカートを押さえてあたふたする逢魔の姿がある。
「飛ぶが如し! 飛ぶが如し! えぇい、気合いが足らんぞ! それでも男くわぁ!!」
 幽達と争って走る人力車の上に立ち、これでもかと檄を飛ばすのはリディア。さながら、全身の力を振り絞ってる連夜に鞭を打つ騎手である。
 大通りから1本外れた筋で、突然に勃発した人力車競争。
 抜きつ抜かれつ、どちらも互いに引かずにゴールが迫る。
 慣れぬ人力車、しかも人を乗せて狭い道を走るのだ。いかな魔皇とて、勝手が違う勝負は不利というもの。
 気力だけで、連夜は前へと出る。
 景色が、変わった。まるで、彼だけが世界から切り離されたかのように、全てが遠い世界の事に思える。背後から聞こえていたリディアの声も、今は遠い。
 彼は、風となった。
 雲の合間から差し込む光の筋だけが、神々しく映る。
−‥‥神よ‥‥
 人を超えた領域へと足を踏み入れた連夜は、思わず呟いた。その時、彼は確かにその存在を感じたような気がしたのだ。
 いいのか、魔皇。
「鼻の差だ!」
「よっしゃ、配当はいくらだ!」
 遠く遠くに仲間達の声を聞きながら、彼は倒れ込んだ。数秒遅れて、グレゴールの引く車も、ゴールのラインを越えた‥‥。

●処分
「で、どうするんだ? これ」
 縛り上げられたグレゴールをつんと爪先で突っついて、リアンは仲間達を振り返った。このまま一気に引導を渡すという選択肢もあるが、出来るならば穏便に済ませたい。
 それが、彼らの一致した意見である。
「恥ずかしい格好で四条通りに転がすってのはどないや?」
 わくわく好奇心が止まらない悪戯っ子のような表情で魔皇に提案した鳳の髪を掠めて、蓮真の木刀がグレゴールへと突きつけられる。
「この古都の街を愛おしむ。その心を奪うなど、漢を背負う者の為すべき事ではない。恥を知れっ!」
 彼が纏う空気は、北の大陸から流れ込む寒気団よりも冷たい。
「純粋に、人力車の曳き手として活躍するならばよし。さもなくば‥‥」
「簀巻きや、簀巻き!」
 蓮真の言葉尻をとらえ、鳳が嬉々として提案した。
「空き缶や煙草の吸い殻を投げ捨てるのより性質が悪くないかな?」
「Das Klimaverunreinigung!」
 額を押さえ、光が軽く頭を振ると、箏斐に鳳の言葉を訳して貰ったライカも眉を顰めて呟く。「環境汚染」を意味する単語に、リアンも苦笑した。
「その通り。だが、命を奪うとか傷つけるとか、そういう事に慣れて欲しくもない」
「つまり?」
 深く息を吐き出して、短く答える。
「鳳の意見、採用」
 コレの処分を議論する時間も惜しい。逢瀬の言葉を借りれば「貴重な時間を費やして」いるのだから。
「そうと決まれば」
「なに?」
 いきなり差し出された将清の手に、腕を組んで成り行きを見守っていた幽が怪訝そうに尋ねた。
「恥ずかしい格好と言えば、裸にひん剥いて落書きと相場は決まっている」
 そうか?
 彼らの脳裏に浮かぶのは同じ疑問。しかし、きっぱりと言い切った将清に誰も突っ込めないでいた。
「だから、なに?」
「口紅。手っ取り早く」
 ほんの僅かな時間、幽と将清は見つめ合う。
 先に口を開いたのは、幽であった。
「嫌、よ。買ったばかりの新色なんだから。貴方の逢魔は持っていないの?」
 彼らの視線に、氷霊は自分のショルダーバッグを抱え込んで激しく頭を打ち振る。
「駄目! 駄目です! これは将清様が買って下さったものなんですから!」
 涙目で、氷霊はうるうると幽に縋った。
「もう二度とないかもしれない! 最初で最後かもしれないんですよぅぅぅ」
 将清のこめかみに十字が浮かぶ。
「そうだったの‥‥。安心して。貴女の宝物には絶対に手をつけさせないから」
 宥めるように氷霊の背中を撫でた幽と、そのうち100万本のバラの花束で部屋を埋め尽くしてくれる等と無責任に約束した界とに柔らかな微笑みを向けて、光は仲間達を見回した。
「女の子の宝物を奪う趣味はありませんし。ここはひとつ、これで妥協して頂けませんか?」
 光が差し出したものに、彼らは言葉を失った。
「‥‥マジックペン‥‥しかも油性極太‥‥」
 持っていたなら、何故出さぬ。
 それ以前に、何故、持っている。
 京都の街角を吹き抜ける突風の冷たさが、魔皇達の心をも悴ませた。

●そして
「ぱぱぁ‥‥あれ、なぁに?」
 混み合う四条通り。
 急かしく方向指示器を点滅させて路線変更を繰り返す車の列の中、黒塗りの外車が1台、悠然と進んでいく。
 程良く暖められた車内から外を見つめていた金色の髪の少女は、中央分離帯に転がるゴミ袋にも似た物体を指さして、ハンドルを握る男に尋ねた。
「ぱぱぁ?」
 なかなか答えてくれない男に焦れて、少女は彼の袖を引く。
「‥‥目を合わせてはいけないよ、アリア」
 なかなか先へ進めない渋滞を、この時ばかりは彼も恨めしく思ったという。
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この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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