どらごにっくないと

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【古都巡り】夢の跡

  • 2008-06-30T15:53:16
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
 戻って来た男の気配に、読んでいた雑誌から顔を上げたティアイエルは、怪訝そうに首を傾げた。いつになく男が難しい顔をしている。
「何かあったの?」
 尋ねた彼女に、彼は羽織っていたコートを椅子の背に投げて溜息をつく。
「アンデレ様から尋ねられたのだが」
 神帝軍と魔皇の戦いは激化している。
 責任者として、やはり京都の情勢が気になるのだろうか。
 表情を改め、ティアは立ち上がった。椅子に腰掛けた男の傍らまで歩み寄ると、彼は1枚の紙を彼女に見せる。
「‥‥何が書かれているか分かるか、とな」
 ひくりと、ティアの口元が引き攣った。
『(十レヽナニ (十レヽナニ 千ュ→レ」ッつoσレ£十ょカゞ』
「ア‥‥アンデレ様はこれをどこで?」
 男は再び息を吐き出した。
「なんでも『街で出会ったナウいギャル達』とカラオケに行って教えて貰ったとか‥‥。何かの暗号だろうか」
 さらさらと、ティアは紙に文字を記す。
「‥‥アンデレ様ってよく分からない‥‥」
『さいた さいた チューリップのはなが』
 彼女が書き付けた解答に固まった男を面白そうに一瞥して、ティアは元の場所に戻った。読みかけの雑誌を広げ、ああと思い出したように声をあげる。
「そういえば、アンデレ様ってお姿を拝見した事もないわよね。直属と言われてるアークエンジェルの方に至ってはお名前さえも伝わって来ないし。私達みたいな一般グレゴールとは格が違うとでも思っているのかしらね」
 拗ねた口調に、フリーズから回復した男は顔の筋肉を動かして笑みを作った。
「そ‥‥そんな事はないだろう。それよりも、次も頼むぞ」
 平静に見せようとする男の努力が痛々しくて、ティアは不満を残しつつも了承を伝えた。
「でも、私が何の役に立っているのかしらね‥‥」
 彼女の呟きは、男へと届く事はなかったが。


「次の公開講座は嵐山です。平家物語縁の地をまわるとか」
 ホワイトデーの名残が残る店内で、月見里葵は魔皇達を見回した。
 新しい常連の神父は、無断外泊を叱られて3日間の外出禁止を言い渡されたらしい。久しぶりに魔皇と逢魔だけの茶寮の中で、それぞれが情報収集に動き出す。
「壬生寺に姿を見せたという女性もですが、講座に参加しているだけで何の動きもないティアイエルも気に掛かりますね」
 彼女達は、今度はどう動くのか。
 魔皇が動いている事は、彼女達も承知しているであろう。感情搾取の可能性も疑ったが、前回、参加者の感情が奪われた形跡はない。勿論、次回もないとは言い切れないが。
 葵の言葉に、魔皇達も頷いた。
「神帝軍が氷室教授の講座を利用しているという事だけは確かだ」
 だが、何の為に?
 謎は深まるばかりだが、だからと言って手をこまねいているわけにもいかない。
「起こり得る全ての可能性に対応出来るよう、準備を整えておきましょう‥‥としか申し上げられませんが」
 申し訳なさそうに、葵は頭を下げた。
「私共も、新たな情報が入り次第、皆様にお伝え出来るように致しますので」


 こんと小さなノックが響いた。
 部屋の中には、男がただ1人。
「魔皇達が動いておりますが」
 読んでいた本から目を離さずに、男は冷たく言い放った。
「放っておけ。講座の方でもうろちょろしているようだが、奴らに我らを阻む事など出来ない」
「はい。‥‥念のため、サーバントの数を増やしておきますが‥‥。ティアには?」
 くっと男は喉の奥で笑う。
「言う必要はない。あれにはあれの役割がある」
 女は無言で壁に掛けられた地図へと歩み寄った。いくつかの点が打たれた地図に、新たな印を書き入れる。
「祇王寺に小督塚、強化の為に後何カ所かを押さえます」
 鷹揚に頷いた男は、おおよそ天使らしからぬ笑みを浮かべた。

【本文】
●散策途中
 日曜、朝、快晴。
 春の陽射しは優しく、風の中、仄かに花の香が混じる。
 絶好の散策日和であった。
「ひょひょひょ」
 祇王寺から次の目的地、小督塚へと向かう途中、氷室教授を中心に休憩を取っていた参加者に手作りのおはぎを勧めて回っていた山田ヨネ(w3b260)が突然に笑い出す。
 小狐丸にも分かるようにと寺の由来を噛み砕いて聞かせていた氷室が、その笑い声に顔を上げた。
「楽しそうですね。山田さん」
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありってね。結構忘れてないもんだねぇ」
 上機嫌で、ヨネは続きを暗誦していく。
「平家物語ですね。授業で暗記されたのですか?」
「そうさね。アタシが花も恥らう女学生だった頃にね」
「「「「‥‥‥‥」」」」
 訪れた沈黙は何を意味するのか。
 頬を引き攣らせた者達が何を想像したのか。
 それは、ぼそりと呟いた葛城伊織(w3b290)の言葉に集約されていた。
「ヨネ婆さんにもあったんだな‥‥若い頃」
 慌てて、久遠が伊織の足を踏みつけ、葵がその口を封じる。だが、それは少し遅かった。小声の呟きもしっかり拾ったヨネが、伊織に正義の鉄槌を下す。
「そりゃあ、当然、ヨネさんも娘さんだった頃が‥‥頃が‥‥」
 伊織達に遅れる事数分、穏やかな笑みを浮べた氷室の脳裡にも何やらの映像が過ぎったらしい。
「お‥‥お会いしてみたいような、してみたくないような‥‥」
「無理はしなくていいよ、先生」
 だらだらと冷や汗を流し始めた氷室の肩を、鍛人錬磨(w3f776)が慰めるように叩いた。さすがに見るに見兼ねたのだろう。
「たいがい失礼だね、アンタ達」
「もう、皆ダメじゃない。女性には敬意をもって接するのが紳士よ? ヨネさんだって一応、生物学的には女性なんだから、ネ」
 常よりも真剣さ3割増しに仲間達を嗜めた物部百樹(w3g643)に、彼の逢魔、山南敬助は無言で首を振るとジェスチュアで向こうへ行けと促す。疲れた様子の敬助に、頬を膨らませつつもモモが大人しくそれに従ったのは、ヨネから沸き上がる怒りの波動を感じたからか。
「ふんっ、何だい何だい、皆してか弱い年寄りを馬鹿にしてりゃあいいさ」
「や‥‥山田さん、我々はそんなつもりでは。あ! このおはぎ、美味しいですね」
 ヨネを宥めている氷室を一瞥すると、夜霧澪(w3d021)は深く息を吐き出した。
 聞くともなしに耳を傾けていた参加者達の会話にもそろそろ飽きて来た頃だ。
 誰と誰の恋はこうだったとか、憧れるとか、そんな事はどうでもいい。
「いつの時代も色々と面倒なものだな。‥‥まぁ、俺には関係ないが」
 薄く笑みを浮かべ、自分には関係ないと言い切った夜霧澪は、視線を上げて固まった。
「ぅぅ‥‥可哀想です‥‥」
 滂沱の涙を流した小百合に、澪は舌打ちする。面倒だと口にしながらも非情にはなりきれない。無造作に上着に手を突っ込むと、彼は白いハンカチを取り出した。
 縁に繊細なレースをあしらった女物のそれを、サリーに押しつける。
「澪さん?」
「使え」
 素っ気ない一言がどれほど相手に期待を持たせるのか。泣くのも忘れて頬を上気させたサリーに同情ともつかぬ眼差しを向けていたマーリは、はっと我に返るとヨネとこんと仲良く並んでおはぎを頂いていた氷室へと話し掛けた。
「教授、少々よろしいでしょうか」
 ノートとペンを片手にしたマーリに、氷室は居住まいを正す。
「はい。何でしょうか」
「今後の予定はどのようにお考えでしょうか」
 ぴらりとこんが1枚の紙をマーリの目の前に突き出した。集合した時に渡された、今日のコースが記された簡素なパンフレットだ。これを読めと言いたいらしい。
「あー‥‥違うよ。この娘さんが聞きたいのは、次回以降の講座の事じゃあないかね」
 助け船を出したヨネに、それならばと氷室が地図を広げる。
「次回は、新選組と並んで流行っている安倍晴明に縁の地を訪ねてみようかと思っています」
「ええっ!?」
 澪のハンカチを大切そうに頬に当てていたサリーが素っ頓狂な声を上げた。
「陰陽師ツアーですかっ!?」
 サリーのポニーテールを引っ張って、澪は苦虫を噛み潰した表情で氷室を見る。
「流行っている、いないで決めるのか」
「流行っているテーマの方が、皆さんも親しみがもてるでしょう? そこから、歴史に興味を持って頂けたらと思っています。ああ、勿論、神帝軍の方々も同行して下さいますから、ご安心下さい」
 さらりと当たり前のように告げた氷室の言葉を聞き流せないのは、やはり神帝軍が関わっているからであろうか。
 心に浮かんだ疑問をそのままに、サリーは唐突に手を挙げた。
「教授! ひょっとして教授はグレゴールさんですか?」
 驚いたように、氷室はサリーをまじまじと見返した。ややして、彼は深い笑みを浮かべてサリーに尋ねる。
「‥‥どうしてそう思われるのですか?」
「え? どうしてって言われても‥‥」
 ごにょごにょと口の中で呟くサリーに、氷室は答えた。
「違いますよ」
 咄嗟に見上げた笑みは、先ほどと変わらぬままに穏やかだ。
「違うんですか」
「ええ、違います。‥‥おや? 失礼」
 きっぱりと言い切ると、氷室は胸ポケットで鳴り始めた携帯を取り出した。
 そんな彼の様子を、久遠は息を詰めて見守った。壬生の時も、講座の最中に電話があった。
 彼の周囲の人間であれば、この時間は公開講座に出ていると知っているはずだ。わざわざ電話を掛けてくる程の急用なのだろうか。電話の相手が誰なのか、関係のない事と思ってはみても気になった。
「ああ、分かった。では、そこで待っていてくれたまえ」
 通話ボタンを切ると、氷室は申し訳なさそうに、しばらく離れる旨を参加者達に告げた。
「急用ですか?」
 尋ねた久遠に、氷室は頷く。
「アシスタントの女のコに手配関係を任せているのですが、どうも揉めたらしくて。急いで行って来ますから、この辺りで待っていて下さい」
 お昼は精進料理の名店ですよと笑って、輪から離れていく氷室を見送ると、逢坂薫子(w3d295)はベンチの背もたれに体を預けて息をついた。彼女の頭の中に巡るのは、恋に翻弄された過去の女性達ではない。お昼の精進料理にはちょっとだけ‥‥いや、かなり心を惹かれるが、それよりも先に考えるべき事がある。
「ティアイエルの方は変化無し、かぁ。なーんか、どうも変なんだよなぁ」
「何がでございますか、魔嬢様」
 突然に背後から声を掛けられても驚きはしない。彼が側にいる事は分かっていた。
「ティアイエルだよ。不完全燃焼中ってーか、今イチ動きが無い。やっぱ、今回のアイツは釣りの餌みたいなもんかな」
 それに関しては、ティアイエルに着く仲間達が何がしかの情報を得て来るだろう。
「で、そっちは?」
 はあと要領を得ない返事を返す千代丸の手から紙片を奪い取って、薫子は眉を顰める。
「これはこれで嫌な感じだな」
 仲間達も言っていた。
 御所を中心に町が作られた京都という土地柄、仕方がないのかもしれない。だが気になる。
 御所の真上には、アレがあるから。
「薫子もそう思うか」
「ぅわっ!」
 ヨネの追撃を受けていたはずの男が、いつの間にか隣に座っている。千代丸には驚かなかった薫子も、これには飛び上がった。
 そんな彼女の様子を気にする事もなく、伊織は腕を組む。
「京都ってのは、周囲に四神をもって霊的に囲った土地だ。外から害悪が入って来ない代わりに、内からの害悪が出ていかない。いわば霊的なプールと化した町だ。神帝軍はそれを利用しようとしているのかもな」
「けどさ、神帝軍がそんな事まで知ってると思う?」
 日本で生まれ育った者でさえも、京に都が造られた時の呪術的な思惑など知らぬ者が多い。いくら神の使いでも、そこまで知り得るものだろうか。
「さぁな。中にゃ詳しい奴もいるんじゃないのか。でなきゃ、この講座に目をつける事もないだろ」
 それもそうかと薫子は千代丸から奪った紙片を睨み付ける。
「前の壬生寺にしても銀閣寺や南禅寺にしても、人の心が向く所だろ? 新撰組が好きな奴らは近藤さんの像や隊士の墓に詣る。寺や神社なんてのは神仏に祈る場所だ。なぁんか気になるんだよな」
 だからこそ、千代丸に調べさせた。
 しかし、それらの場に神帝軍の手が入った形跡はない。
「気になるんだ」
 重ねて呟いた薫子に、木の陰からそっと声がかかる。
「魔嬢様‥‥」
「‥‥おはぎはやらねぇからな」
 るるる‥‥と円い大ちゃん涙を流した逢魔の悲哀を余所に、薫子と伊織は無言で楽しげに語らう参加者達を見つめていたのであった。

●接触
「やぁ」
 参加者から離れた場所でつまらなさそうに缶コーヒーを飲んでいたティアイエルに声を掛けて、ジャンガリアン・公星(w3f277)は彼女の隣に腰掛けた。露骨に嫌な顔をしたティアに、リアンは極上の笑みを向ける。
「退屈そうだね。歴史は嫌い?」
「‥‥別に」
 グレゴールの素っ気ない答えを気にするでなく、リアンは大きく頷いて見せた。
「傍迷惑な魔皇のせいで、天使様も大変だね」
「どうして、そこに話が飛ぶのよ」
 自身が数秒前に放った言葉をそのまま返されて、ティアは唇を噛んだ。これまで聞いていた話とは違う、余裕の無い様子にリアンは内心ほくそ笑む。
 この調子であれば、誘導するのは容易いだろう。
「最初の祇王寺も、次に向かう小督塚も、恋に翻弄されたヒロインが眠る場所だよね。こんな風に言うと彼女達が儚げに聞こえるけど、俺は彼女達は強いと思うな」
 予想通り、彼女はリアンの言葉に興味を示した。
「強い? 男の身勝手で人生を棒に振った女達のどこが?」
「あら、アタシも彼女達は強いと思うわよ?」
 はぁいと片手を挙げて、モモは断りを入れずにティアの隣に座る。リアンと2人、彼女を挟んだ形だ。
「だってね、強大な権力に振り回されても、そこに意思はあるんだもの。清盛の寵愛を失っても、自分のプライドを失わなかった祇王を、モモは格好いいと思うわけ」
 ね?
 覗き込まれて尋ねられ、ティアは言葉に詰まった。そんな彼女の動揺を見透かしたように、リアンも問いを重ねる。
「利用されているだけだと知っても、君は相手を許せる?」
「それは‥‥」
 彼女も気づきはじめていた。
 自分が、世間と魔皇達の目を逸らす為だけに、この講座に参加させられている事に。
「あら? どうかした? 話してすっきりするなら、モモが愚痴でも何でも付き合うわよん♪」
「‥‥必要、ないわ」
 力無く首を振り、立ち去っていくティアに、モモとリアンは互いの顔を見合わせた。
「ねぇ、どう思う?」
「相当に心当たりがありそうだったな」
 答えるリアンの吐き捨てる勢いに、モモは目を何度か瞬かせる。
「どうかしたの? 愚痴を聞いてあげるっていうのは、あなたにも有効よ」
 いや、と視線を逸らしたリアンの胸中は、モモには推し量る術がない。
「そう。でも、聞いて欲しかったら言ってね?」
 軽く触れただけのモモの指先が肩に重い。それは、リアン自身が感じている自己嫌悪の重みだ。胸元に揺れるペンダントを握りしめ、リアンは声にならない声でその名を呼んだ。

●爪と牙
 予想通り姿を現した女に、北条竜美(w3c607)は軽く口元を引き上げる。
 黒い硝子で覆われた瞳の奥に点った感情は、傍らで身構える鳳にも気づかれずに済んだ。
「やっぱり、いたわね。魔皇様?」
 歌うように言葉を発した女に、骸牙は1歩踏み出して尋ねた。
「何が目的なのですか。京都には獣でも潜んでいますか」
「獣? いいえ」
 どこか面白がった響きを聞きつつ、竜美は後ろ手に持ったバックパックを注意深く開く。
「楽しそうだな! お前!」
 粉末消火器の安全ピンを抜いて、力一杯グリップを握る。
 意外な攻撃に、女は小さな叫びをあげてたじろいだ。
「‥‥すっげぇ、姐さん」
 口と鼻を庇った鳳が、賞賛半分、呆れ半分に呟く。まさかここで消火器を出して来るとは思ってもいなかった。
 それは、真っ白い粉を浴びて咳き込んでいる女も同様であっただろう。
「お陰で、楽にこいつを捕まえられそうやけど!」
 女までの距離は数歩分。鳳が、自分達の勝利を確信して腕を伸ばしたその時、空気が切り裂かれた。消火剤で白く染まっていた景色が割れる。
「なんだ!?」
 素早く周囲を見回した竜美は、清閑な寺の上に佇む男に身構えた。男の姿を眩ませる太陽の光を調節しようと腕を上げた竜美の耳に、呆然とした骸牙の声が届く。
「竜美様、爪が‥‥」
 骸牙は影を凝視した。祖霊が何度も警告を発したのは、この事か。
 あれは獣人だ。
 だが、竜美達がよく知るシャンブロウではない。
「け。何とかと煙は高いトコが好きや言うけどな! 遠慮せんともっと近こう寄ったらどないや!」
 知らず流れ落ちた汗を拭って虚勢を張った鳳の言葉に、影は腕を振り上げた。
「骸牙っ」
 咄嗟に逢魔を抱き込んで、竜美は身を転がす。衝撃が彼女達を襲ったのは、その次の瞬間だった。巻き上がった砂利が体に打ちつける。
「大丈夫か? 骸牙」
 小石で割れたサングラスを外し、竜美は厳しい表情で誰もいなくなった屋根を見上げた。
 いつの間にか、女の姿も消えている。
「何て速さだ」
 竜美でさえも、影の動きを捉えるのがやっとであった。彼女が反応するよりも、攻撃の方が早かったのだ。
「しかも、とんでもない拳圧や」
 鳳の頬に走った傷は、奴の爪がつけたものではない。巻き込んだ空気さえも刃と化す凄まじいまでの拳圧。しかも、それは彼らの周囲へ何の傷も残さない、威力を最小限に抑えた脅しの一撃だったのだ。
 背に冷たいものが走った。奴は、これまで相手にして来たグレゴール達とは格が違うと、竜美の本能が告げた。

●痕跡
「れーまさまぁ、こん、お腹すいたぁ」
「もう少し我慢だ」
 ぷうと頬を膨らませて、こんは錬磨に言われた通りにくんくんと周囲の匂いを嗅ぐ。
 暗くなった境内には、錬磨が考えていた痕跡は何も残されてはいない。
 だが、彼は諦めなかった。
「講座が女の行動を隠す為の陽動であるなら、必ず何かあるはずだ」
 目立たぬよう、見つからぬよう、何かを進行させているはず。境内に立つ木々の裏、石の陰、何かを隠すのに最適な場所を丁寧に探し続ける。
「れーまさま、あっちは?」
 こんが指したのは、この寺の謂われとなった女性の墓。
「あんな目立つ所に何かを仕掛けているとは思えないが」
 言いながらも、錬磨は静かに墓へと近づいた。
 権力者の寵を失い、俗世を捨てた女性が眠る場所。絶える事なく手向けられた花は、彼女達の魂に幾許かの慰めを齎しているのだろうか。らしくもない感傷を抱きつつ、錬磨は彼女達の魂に目礼を捧げると慎重に花を掻き分けた。
 やはり何もない。
 香立ての灰を探っても何も出て来ない。
「やはり無い、か。こん、次の場所へ‥‥」
 踵を返し、くたびれた様子の逢魔に声を掛けた錬磨は、目の端に映った微かな光に足を止めた。
 濡れた石肌が月にでも反射したのだろうか。
 覗き込んだ錬磨は、ふいに目を細め、湿った土を指先で掘り起こす。
「れーまさま?」
 駆け寄ったこんに、彼は汚れた指先に摘んだものを見せた。
「ガラス?」
「‥‥に見えなくもないが、恐らくは違うだろうな」
 近くの水道で土を洗い流したそれを月に翳して、眉を寄せる。
 人工的にも見える断面。記憶と照合したそれと一番近いのは‥‥。
「水晶、か」
COPYRIGHT © 2008-2024 桜紫苑MS. ALL RIGHTS RESERVED.
この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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