どらごにっくないと

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【翠月茶寮】望まれざる住人

  • 2008-06-30T16:04:11
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
「もう、我慢がなりません」
 にこやかに、月見里葵は店内に集った者達を見渡した。
「限界です。奴らの息の根を止めない限り、私に穏やかな眠りは訪れません」
 魔皇なのだから、少しぐらいの睡眠不足でどうこうなるわけでもなく。
 だが、誰1人として、それを口に出せる者はいなかった。
 にこにこと、外面だけは愛想良く、機嫌もよさそうだ。言っている事は物騒であったが。
「というわけで、お忙しいとは存じますが、皆様にもご協力頂きたいのです」
「‥‥何に?」
 固唾を飲んで、彼らは葵の次の言葉を待った。
 彼女の笑みが更に深まる。
 待つことしばし、語ろうとはしない葵と言葉を発するのを躊躇う魔皇達の間に張りつめた緊張が頂点に達する頃、それ‥‥は響いて来た。
 だだだだだだだだだ。
 どこかで何かが走っている。
 小さな子供が暴れているかのように。
「今のは?」
「屋根裏の大運動会」
 呆れ顔のうぇいとれす、イレーネがぽつり呟いた。
 顔を見合わせた魔皇達に、ぽりと頭を掻いて読んでいた新聞をカウンターへと放り投げる。
「世間一般の分類で言うなら、ネズミだ。だが、奴らは「普通」のネズミよりも手強い」
 翠月茶寮のどこかに棲息していたネズミが、最近居住部に侵攻して来たのだと言う。翠月茶寮と言えば、店舗部分と1階、2階の居住部を除けば人の手が久しく入っていない未開の地。
 1歩足を踏み入れれば、そこに待つのは素敵な探検隊ライフ。
 以前、ホワイトデーのお返しを探しに3階へと足を踏み入れた逢魔が幾日も音信を絶ち、日焼けし野性味を漂わせて生還したのは記憶に新しい。
「大人しくどこかでひっそりと暮らしていればよいものを、我々の領域にまで手を伸ばすなんてっ」
 葵は笑顔のままで拳を握りしめた。
「皆様、どうぞ奴らの侵攻からこの茶寮をお守り下さいませ」
「‥‥とは言え、俺達は色々と忙し‥‥」
「‥‥‥‥‥では、この地球爆‥‥」
 ストップ!
 慌てて、数人の魔皇が葵の口を塞ぐ。
「なんて危険な事をっ」
 相当煮詰まっているようだ。仕方があるまい。日々激しさを増す神帝軍との戦いの息抜きには丁度よいかもしないし。
「あー、では、私も‥‥」
 陽当たりの良いいつもの席でのんびりと梅茶を啜っていた神父が名乗りを上げる。
「‥‥忘れてたよ、あんたの事」
 神帝軍の権天使、京都メガテンプルム指揮官アンデレ。そこに居る事が当たり前になっていた為に、すっかりその存在を忘れていた。
「では、店の方をお願い出来る?」
 そして、この店の主とうぇいとれすは、権天使でさえもこき使う気らしい。
「任せて下さい」
 にこにこ。
 敵たるアンデレが手伝うというのに、自分達がやらなければ魔皇の名折れだ。
 次々と参加表明した魔皇達に、イレーネは鷹揚に頷いて「奴」の説明を始めた。
「いいか。奴らをただのネズミと思うな。奴らは凶暴で知恵もまわる。配線を噛むなんて可愛い事はやらない。大きさは人間の子供ぐらいで‥‥」
「ちょっと待てッ!」
 敵についての情報は大切だ。だが、今、聞き流せない内容があった。
「大きさは‥‥何だって?」
「大きさは人間の子供ぐらい」
 眩暈がした。
「それはネズミと言うより、サーバントなのでわ‥‥」
「ネズミです」
 きっぱり言い切った葵に、それ以上尋ねる勇気はない。
「続けるぞ? 奴らは物を使って攻撃して来る。トラップも仕掛けているらしい。徒党を組んでいるからな。1匹見つけたら10匹いると思え。尚、奴らのボスは片目に傷のある黒いヤツだ」
 めいめいに額やこめかみを押さえた魔皇達に、イレーネは姿勢を正して敬礼を捧げた。
「作戦決行は、今夜ヒトサンマル。生きて還って来い。健闘を祈る!」


 そして。
「‥‥その手に持っておられるものは何ですか?」
 作戦決行直前。
 いつもの神父服でやって来たアンデレに、葵は怪訝そうに尋ねた。
 彼の手には見慣れぬ‥‥いや、見慣れてはいるのだが、天使の手には不似合いなものがある。
「テレちゃんが持たせてくれまして‥‥。ハエ叩きです」
 これで、凶暴ネズミと戦おうと言うのか。
 何かを言いかけて止める。
 ハエ叩きもプリンシパリティの手に掛かれば、強力な武器になるのかもしれない。
「どなたか、店舗の方の神父様とご一緒して下さい。他の方々も、遭難した時の事を考えて、なるべく組になって行動して下さいね」
 カチリと、時計の針が作戦決行時を示した。
 きゅっと鉢巻きを締め、襷をかけた葵はきッ、と奥に続く階段を見据える。
「では、参りますッ」


【本文】
●出陣
 悲壮な決意を浮べ、いつもの和装エプロンに山田ヨネ(w3b260)から手渡された襷を掛けた月見里葵の姿に、逢薄花奈留(w3f516)は自分がとんでもない所に来てしまった事に、今更ながら気付いた。
「わっ‥‥私、勘違いしていました」
「奈留?」
 僅かに首を傾げて自分を伺う逢魔・緑閃(w3f516)を、唇を噛み締めた奈留が見上げる。
 瞬間、女性に関しては百戦錬磨の緑閃が口元を押さえて彼女から目を逸らしたのは、ちょっとしたアクシデントだ(緑閃にとって)。
「ネズミ退治だなんて言うから、私、ハムランドの住人みたいなのを想像していたのに。‥‥人間の子供ぐらいの大きさ? そっ‥‥それってサー‥‥」
「奈留」
 優しく奈留の肩に手を置いて、緑閃は微笑んだ。
「よかったじゃないか。世界一有名なネズミは大人の大きさだ」
「そんな事言っているんじゃないのーっ!」
 恐怖と緊張によって擬似興奮状態に陥っている女性に冗談は通用しない。ついでに言うと、そういう場合は迂闊に近づいてはいけない。
 綺麗に下から上へと突き抜けた拳に、迷彩服を着込んだ緑閃の体が吹き飛ばされる。
「ここは戦場よ? エリア881(やばい)なのよ。生きて帰れるとは限らない。葵さんの目がそう言ってるわ」
 間違って傭兵契約にサインでもしたんデスカ。
 尋ねたい衝動に駆られた緑閃だが、今の彼女に「冗談」の2文字が存在しない事は学習済みだ。黙って、頷くに留める。
「大丈夫だよ、奈留ちゃん!」
 そんな奈留の混乱ぶりをものともせずに近づく大物がいた。
 風海光(w3g199)だ。
「葵さんだって鬼や悪魔じゃないんだから、そんな事ないって!」
「光くん、‥‥魔皇だよ」
 魔皇。
 世間一般の認識によると「悪魔」の亜種である。
 あはははははっ!
 逢魔・翼(w3g199)の言葉を笑って誤魔化して、光は奈留の肩を抱いた。
「平気だよ! だって、明日って言う字は明るい日って書くんだよッ」
「光くん‥‥明日、雨だって‥‥」
 申し訳なさそうに、彼の逢魔が俯いて呟く。
「そっ‥‥それでも、大丈夫なんだよっ。僕、ちゃんと新兵器を用意したんだから」
 新兵器?
 その場に居た者達の視線が元気いっぱい自信いっぱいの光へと注がれた。
「うんっ! ネズミ退治の常套手段だよ! 今回はちょっとでかいから、それに合わせてっと」
 ぽちっとな。
 光が押したボタンが繋がるもの。目で追った者達にとって、視神経から脳に伝わり判断するまでの僅かなゼロコンマ数秒のタイムラグが命取りであった。
『ほげぇぇぇぇぇぇっ♪』
 最大ボリュームで流れ出したものは歌。しかも、既に歌と呼ぶには歌の神様が岩戸に籠もって出て来なくなりそうな『騒音』であり『超音波』であった。
 ぴしりぴしりと店のガラスにひびが入る。カタカタと揺れる棚のカップに、翼は怯えた風に周囲を見渡した。
「ひ‥‥光くん‥‥」
 彼女が主の袖を引くのと、ガラスと陶器が砕け散るのとは、どちらが速かったのであろうか。
「「‥‥あ」」
 成行きを見守っていた葵の額に浮かんだ青筋を、見なかった事に出来ればどれほど良いだろろう。
 そう、翼は思った。

●死闘の魔境
 何度も何度も背後を振り返りつつ、逢魔・鐵(w3b139)は何度目になるか分からない溜息を吐き出した。
「か‥‥考えるな。後は運を天に任せよう」
 祈る心境であるのは鍛人錬磨(w3f776)も同じだ。鐡の主、天宮済(w3b139)と錬磨の逢魔、小狐丸(w3f776)と‥‥。考えるだに恐ろしい。
「リアンもいるし、アンデレもいる。‥‥大丈夫だ、大丈夫」
 勝手に保父さん指名した2人に全てを託して、錬磨は目の前に広がる魔境へと意識を集中させた。
「ったく、なんだいなんだい。大の大人がネズミごどきにびびって情けないったらありゃしないねぇ」
 彼らはどこから襲い掛かって来るか分からないネズミを案じているわけではない。
 しかし、ヨネの言葉には反論を封じる力が宿っていた。
「でも、安心おし。ネズミを退治し続けて60年、アタシが姑から教わったこの超強力ネコイラズでヤツらも一網打尽さ」
「‥‥ヨネ婆さん、ネズミ退治屋だったのか」
 ぽつり余計な事を呟いた葛城伊織(w3b290)の顔面に、ヨネ特製のネコイラズが飛ぶ。
「アホな事言ってる暇があったら、ネズミを誘き出しちゃあどうだいっ」
「そんな事はとっくにやってるさ」
 彼が顎で示す先には、チーズと彼の秘密基地所属のデブ猫ぶー太。
「‥‥‥‥なんだい? 仲良く喧嘩でもさせんのかい」
 アタシのネコイラズの方がよほど効果があるさと、鼻で笑ったヨネに、めらめらと燃える対抗心。
「いいか、ぶー太。何が仕込まれているか分からないネコイラズなんぞに負けるなよ。
 それはいいけど、とフォーリス・カンス(w3h094)は魔境と呼ばれるに相応しいガラクタの合間に茸や怪しげな植物が生えた中、座れそうな場所を探し出してしゃがみこんだ。
「いつも思うんですけど、ネズミってどこから湧いて出るんでしょうねぇ」
「さあな。それより、気をつけとけ。とりあえずは1匹ずつ仕留めていくしかないんだからな」
 鞘から短剣を抜いて、その鋭利な輝きを確かめると逢魔・クロスト(w3h094)は天井に見えない天井を見上げて、自嘲めいた笑みを漏らす。
「黒き城に続き、ここでもネズミ退治か。しかも、デカくなっているし」
「大きいネズミは、さすがに手ごたえがあるだろうねぇ」
 屠った時の感触が容易に想像がつく。引き攣るしかないクロストに、フォーリスはにっこり笑顔で話し掛けた。
「あ、そうそう。知ってる? クロスト。ネズミの腸ってさ、たらの白子に似てるんだって。巨大ネズミの腸だと、どれだけの量の白子に見えるかな」
 ちょっとぐらいは幸せ気分に浸れるといいね。
 フォーリスなりの現実逃避であり、クロストへの労わりだったのかもしれないが、この状況下において、それは逆効果であった。
 クロスト宛てのフォーリスの言葉は、他数名にクリティカルなダメージを与えてしまったようだ。
「‥‥だ‥‥駄目だ‥‥しばらく白子は食べられない‥‥」
「気をしっかりもて! 戦いはこれからだッ」
 よろめいたものの、何とか踏ん張った伊織の手の中、ぶー太が身を捩った。本猫にとっては鋭いつもりの、野太く間延びした鳴き声が響く。
「来たぞ!」
「気を抜くなッ」
 襲い掛かったネズミ数匹ののど笛を掻き裂いて、主を守る。
 腹は裂かない所を見ると、微妙に先ほどの話が効いているらしい。
「ヨネ様ッ」
 箒を一閃させ、巨大ネズミを昏倒させた逢魔・マーリ(w3b260)は、無防備となったヨネを振り返る。
「なぁに、心配する事ァないよ、マリちゃん。アタシゃ、これでも魔皇なんだからね」
 神帝軍の手によってDFの使用が抑えられているとはいえ、ここは瑠璃の隠れ家に通じる翠月茶寮。DFは使い放題である。
「‥‥‥‥加減はお忘れなきようにお願い致します」
 後で葵に修繕費を請求されちゃ堪らない。笑って頭を下げたマーリに、威勢の良い答えを返して、ヨネは箒を振り上げた。
「そこッ! アタシから逃れられると思っておいでかいッ」
「ぅわぁっ!」
 暗がりからあがる悲鳴。
 獣化していた鐡が、慌てて錬磨の背後に回る。
「なんだい。鐡の坊主か。紛らわしい真似してんじゃあないよ」
 獣化のどこが紛らわしいのか‥‥などと、反論してはいけない事も、彼らはよぉく知っていた。
「しかし、相手は手強い。並のグレゴールより知恵があるッ」
 さりげなく京都のグレゴールを貶めつつ、錬磨はニードルアンテナでネズミの動きを探り、指示を出す。ネズミにはそれが聞えているのだろうか。まるで逆手に取るように、彼らは次々と姿を現し、魔皇達を翻弄する。
「えーいっ! 真ロケットガントレッド!」
「わぁぁぁぁっ! 室内で使うなぁぁぁぁっっ!!!」
 慌ててフォーリスから距離を取る錬磨と伊織。だが、それは少々遅かったようだ。
 魔境がいつの間にか廃墟と化していく。
「坊主達ッ! 後片付けはお前さん達がやるんだよッ」
「ところで」
 あわや同士討ちの混戦を呈して来た戦場で、ヘルメットを被って傍観者を決め込んでいたイレーネに、逢魔・久遠(w3b290)は遠慮がちに声を掛けた。
「此度のネズミ退治が成功致しました暁には、茶寮にお部屋を頂きたいのですが‥‥よろしいでしょうか」
「部屋?」
 双眼鏡から目を離し、ヘルメットのつばを上げたイレーネは久遠を見る。彼女の表情は冗談を言っているようには見えない。
「ええ、出来ましたら、日当りの良いお部屋を‥‥」
「‥‥あんたの主はいつの間にか葵の部屋を住処にしているみたいだが」
 ええ、と久遠は頷く。
「ですから、『私』のお部屋を、ぜひとも頂きたいのです」
 自分だけの城。
 それは世のお母さん達の理想であり、お父さん達が馬車馬のように働かされる理由の1つでもある。
「ま、いんじゃないの? 後で好きな部屋選んで葵に言ってみれば?」
 流れ弾に身を潜め、イレーネは何でもない事のように、あっさりと答えた。

●店内の決闘
 割れたガラスを箒で掃き集めながら、光はふぅと息をついた。
「駄目よ。割った人がさぼっちゃ」
 め、と睨む奈留に違うよと慌てて手を振って、光はのんびりとおやつを頂いている別世界の住人達を見た。
「ボク達、ネズミ退治に来たんだよね」
「そうよ」
 なのに、あの和やかのほほん空間は何だろう。
 済とこんはいつもの事で、アンデレもやっぱりいつも通りなのだけど‥‥。
「リアンさんと鳳さんがあそこにいるのは、なんか許せない」
 ぐっと拳を握って、光が力説するのも頷ける。
「仕方ないやろ。錬磨や鐡に頼まれたんやさかい♪」
「今、語尾に音符がついたッ! 絶っ対、着いたよね! 翼ちゃん!」
 へへんと舌を出した逢魔・鳳(w3f277)に、きーっと怒った光を抱きつく形で押し留めて、翼ははっと顔を赤らめた。咄嗟に手を離した反動で、光は前のめりに倒れる。
「あ、あ‥‥ごめんなさい、光くん‥‥」
「怪我、しないようにな。‥‥っと、そろそろ補充してくるか」
 皿の上が空になった事に気付いて、ジャンガリアン・公星(w3f277)は席を立った。
京都メガテンプルムの権天使たるアンデレに敬意を払って一礼し、律儀にも鐡が用意していた柏餅を取りに向かう。
 その後ろ姿を意味深に見送っていたのは、彼の逢魔だ。
「な、な。今がチャンスやと思わへん?」
 アンデレと済、こんと顔を寄せ合って、鳳は悪戯っ子の如く瞳を輝かせた。
 幸いにも、食料を持っているのはリアンただ1人。
 ここで彼をノーガードにすれば必然的に‥‥‥‥。
「鬼だ‥‥」
「鬼です‥‥」
 呟きながらも巻き添えを食らいたくない光と奈留もアンデレ達の元へと駆け寄る。
「でんでれのおじちゃん」
 つんと袖を引いた済に、アンデレはにっこり笑ってみせた。
「大丈夫。心配しなくてもいいですよ。悪いねずみさんが来たら、おじさんがこれでえいっと懲らしめてあげますからね」
 ぶんと振り回したハエ叩きを、プリンシパリティが用いた時にどれだけの威力を発するものなのか、知りたいように知りたくないような複雑な心境に駆られる緑閃。
 やがて‥‥。
 何かが壊れる音がした。
 ちらりと窺い見た葵の片眉がぴくりと上がる。
「ほーらほら、かかったでぇ♪」
 即座に、鳳は忍び寄る闇を展開。
 この際、主に多少の危険が及ぶのには目を瞑り、一気に片をつけるのみだ。
「きゃ〜きゃ〜きゃ〜☆」
 大喜びで、済が闇蜘蛛を闇雲に炸裂。
 この時点で、奴らと味方の区別は無くなったも同然であった。
「いやあっ! 今、足元に何かッ」
「落ち着け、奈留! それはこんだッ!」
 しかし、恐怖でパニックを起こした奈留は条件反射で真凍浸弾を放つ。
「ぅわぁんっ」
 必死に床を掻いて飛び込んだ先は、アンデレの腕の中。ほっと安心したのも束の間、噂のボスネズミの凄味ある視線とかち合って、こんは凍りついた。
「やっと会えた」
 アンデレの向いに立ち、光は笑って近づく。
「ボクは、あの日から1日たりとても忘れた事はないよ」
 ずっと離れていた恋人に対するように囁いて、光は片手を差し出した。
「お前に食い千切られたジャンボ人形焼きの片足の恨み、今日こそ晴らす! アンデレさんはそっちから回って! ボクは‥‥」
 びしりと指示を出した光の目の前、もじもじと済がアンデレの神父服の袖を引く。
「でんでれのおじちゃ〜‥‥わたりゅ、おちっこ‥‥」
 えええ!?
 片手にこんを抱え、もう片方に済を抱え上げて、アンデレはあたふたとトイレを目指す。
 それなりに戦力として考えていたプリンシパリティの突然の戦線離脱に、光は呆然とその場に立ち尽くした。
 戦いの口上を述べた光を、ヤツは敵として認識したようだ。
 しゅっしゅとボクサーがシャドウボクシングを行っているかのポーズを取る巨大ボスネズミに、緑閃は片手で主を庇う。巻き込まれては、奈留に害が及ぶ。彼らの次なる動きを計算し、己の取るべき行動を素早くシュミレートしていた彼だったが、背後から放たれた一撃には僅かに反応が遅れた。
 予想していないわけではなかったのだが。
「いぃやぁぁぁっ!!!」
 完全にパニックに陥った奈留の放つ真ブレストミサイルが、ヤツへ、そして‥‥‥‥‥‥‥‥。

●災い去って
「れーまさま、こん、がーばりまちた!」
「そうか、よく頑張ったな」
 わしゃわしゃと錬磨に頭を撫でられて、こんは嬉しそうに擽ったそうに笑う。
「‥‥‥‥あのね、あのね、くぅたん‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥漏らしたのか」
 指をくわえ、上目遣いに見上げて来る主に、鐡は息をついた。
 被害を被ったと思われるアンデレが全然気にした様子もなく笑っているのが救いだ。
「アンデレ様、なんとか乾いたみたいです」
 神父服にドライヤーを当てていたリアンも、先ほどとは違う服になっている。2人の身に何が起きたのか、一目瞭然だ。
 ぱんと手を合わせて、鐡は2人に詫びた。
「申し訳ない! 2人には色々と迷惑をかけて‥‥」
「ああ、気にしないで下さい。子供のした事なのですから」
 鐡に向かって微笑んだリアンは、己の逢魔に冷たい視線を送る。逢魔に囮とされたのは、許容範囲外といったところか。
「そう言って貰えると、助かる。‥‥と、済はそろそろお眠の時間か」
 眠そうに目を擦った済を抱き上げて、鐡は部屋へと向かって歩き出そうとした。
 だが、上げた足を下ろす事も叶わぬプレッシャーを感じ、その場へと縫いつけられる。
「あ‥‥葵? ネズミが片付いてよかったなァ」
 宥める伊織の声も白々しく響く。
 素直に、自発的に片付けを始めた錬磨に続き、気配りの逢魔、マーリも武器として使っていた箒で床を掃き清める。
「‥‥ご‥‥ごめんな‥‥さ」
 びくびくと、葵の前で小さくなっているのは、ネズミと茶寮にトドメを刺した奈留だ。
 その肩をぽぽんと叩き、イレーネが彼女に雑巾を手渡す。彼女へのお咎めはそれで帳消しという事だろうか。
 翠月茶寮は女の子に優しい店なのである。
 そう、女の子には。
「さて、皆様‥‥、覚悟は出来ておいでですね?」
 低く低く響き渡った店主の声に、哀れな男達は、ただ頷くしかなかった。
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この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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