どらごにっくないと

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【Kou】アルバイト募集してます

  • 2008-06-30T16:16:28
  • 龍河流MS
【オープニング】
5月半ばの日曜日。グレゴールと自動車整備士を兼職している須藤豊は、夕方になって自宅に戻ってきた。
 そうして居間の真ん中で、畳に突っ伏して寝ている同居人を発見する。
「寝るなら布団に行け」
「いたたた、腰が痛い」
 硬いところで転がっているからだと抱き起こすこともせず、須藤は台所に向かった。蒸し暑いので買ってきたアイスを冷凍庫にしまい、続けて冷蔵庫を覗く。すると麦茶が冷やしてあったので、牛乳の代わりにそちらを取った。
 麦茶ポットを戻す際に、しゃぶしゃぶ用と思われる肉と野菜が切り分けて、それぞれタッパーに入っているのも見付けた。ご飯も炊けているし、味噌汁もあるから、彼が慌てて何かする必要はない。もう少ししてから湯を沸かすくらいのことだ。
「あ、あたしも飲む〜」
「先に起き上がれよ」
 麦茶入りのマグカップを持って居間に戻ると、彼の同居人であるところの安村幸恵はまだ転がっていた。右頬は全面畳の跡が付いていて、何事かと思うような顔だ。起きろと言われてしばらく考えていたが、また目を瞑ったのは二度寝をするつもりらしい。
 居間のど真ん中を占拠されても迷惑なので、仕方なく須藤は幸恵を起き上がらせた。じいっと様子を観察していたファンタズマの恵に寝室との境のふすまを開けさせていると‥‥
「やっぱり麦茶は煮出すのがおいしいわよねー」
「元気が出たなら、自力で布団に行け」
 僅かの隙に、幸恵が座卓に置いたマグカップを取り上げて、麦茶を飲み干していた。当然彼が口を付けたものだが、幸恵は常日頃からそうしたことには無頓着だ。店ではとても厳しいとは、以前の彼女の同居人のユキトの証言である。
 須藤には、さっぱり納得がいかないが。
「六時半に起こしてねー」
「夕飯の支度ならやっとくから。早めにアルバイト探せよ」
「‥‥そうする」
 ユキトが大学に復学し実家に戻ってしまって十日余り。さすがに一人で店を切り盛りするのは体力的に辛くなってきた幸恵は、日がな一日寝ていたようだ。少しは弟の幸人が手伝いに行っていたが、彼とてグレゴールなのでさほど暇ではない。
 しかし、またもすんなり寝入ってしまうのを見ると、これは早くなんとかしろと言うしかなかった。須藤は飲食店の適正時給など知らないが、募集広告を出せばアルバイト希望者の一人二人は集まるだろう。
 結局、七時半に起きてきた幸恵は、夕飯を食べた後にアルバイト募集のポスターを作り始めた。後片付けも須藤がやっている。
 こんな彼女が実は魔皇で、人化を解けば疲労知らずの丈夫な身体だとは、もちろん須藤は知らない。幸恵自身、一瞬でも人化を解いたら元気はつらつの栄養ドリンクいらずだと失念しているようだ。
「ねえねえ、お風呂沸かしておいてあげたからー、二人で入って」
 そして。今日も今日とてスケジュール帳とスタンプ入れを手に、恵が二人にラブラブを強制している。

 翌日、レストランバーKouのカウンターに、ささやかな大きさのポスターが貼られた。
『接客、調理補助アルバイト募集  勤務日は月曜から土曜日 15時から25時の間の1日5時間以上出来る方 時給800円から 出勤日と時間は応相談』


【本文】
 さて、Kouでアルバイトを募集はしたが‥‥どんなに人手がなくても、あっさりと断られることもある。店主の安村幸恵(z077)に、中学生を雇う気持ちがないからだ。
「前のケーキの時は大丈夫だったのにー!」
「一日ならともかく、長期は駄目。だいたい学校の勉強がおろそかになるでしょ」
「‥‥学校って去年から行ってないような」
 しつこく食い下がっていた桐生未咲(b854)だが、この学校行ってない発言で逢魔を呼び出された。まずは今後の生活を相談してからの、出直しを指導されている。
 未咲は『アルバイトして、ケーキをまぁるいまんま買いたい』と嘆いて、幸恵の頭痛を誘っている。
「お金があったらケーキも買えるし、イチゴ狩りも行けるし、お弁当もお菓子も買ってぇ、えーと船にも乗れる?」
 Kouのカレンダーに多種多様なイベントの予定を書き込ませた、切ない台詞もあった。

 他にも、やはり年齢でアルバイトを断られた中学生がいる。
 金森光希(j429)が仕事の出張と絡めて、逢魔の茜を連れて食事に来た時、幸恵が一瞬怪訝な顔をしたので、ああやっぱりと思った。どこでどう話を聞きつけたのか、茜がこの店のアルバイト募集条件を書いたメモを持っていたのだ。うっかり落としたそれを光希に拾われて、茜はさぞかし肝を冷やしただろう。
 しかし彼女達は一応海の向こうの住人だ。それが瀬戸内海でも、横浜からとんでもなく遠いのは間違いない。それと茜の年齢を考えれば、アルバイトは断られて当然と光希は判断していた。もちろんその通りである。
 特に幸恵からも何も言われなかったので、光希は茜と食事を楽しんだのだが‥‥問題は会計の時に起きた。
「自分の分は、自分で払うもん! 今回は光希に交通費も出してもらったから、ご飯は自分で払いなさいってお父さん達も言ったし」
 中学生と社会人、しかも今回は光希が茜を誘って連れ出した。挙げ句に、隠れ家が異変に見舞われたせいでそちらに住んでいた親戚を援助したりと経済的に何かと苦労が多い‥‥と茜の両親から聞いている。それで茜から食事代を取ったら、ひどい話になってしまう。
 しばらくの押し問答の上、『明日のお昼はおごってもらうから』で話を強引に終わらせた光希だが‥‥彼女の受難はまだ続いた。
「うちへのお土産なら、お金払うー!」
 先日のデザートを気に入って、焼き菓子を別注文していた光希が、それを自分の家族に渡すつもりだと知って、また茜が騒いでいる。
 人差指をくわえた茜の手を引いて、光希が店から出ていくまで、十分程が必要だった。

 滅多にない騒ぎを眺めて、栄神春日(g978)は苦笑した。自分の逢魔ルシファーも、いずれはあんなことを言うのかもしれない。日頃おとなしくて、ああした激しさとは無縁のルシファーだが、長ずれば揺るぎない強さ、または頑固さが出てくる可能性もあった。
 今のところ、隣にちんまりと座ってオムライスをすくっている年少の逢魔に、そんな気配すら見えないのだが。どちらかと言えば、儚げで人形のような少女だ。いつまでも、自分の後を付いて回りそうなイメージもある。
「なぁにを笑っていらっしゃるのかしらね」
 お誕生日祝いにぼんやりしているものではないと、幸恵に額を小突かれて、春日は物思いから覚めた。しばらく福島にいて、横浜に戻ったのは久し振りだ。先程までは、幸恵に福島での顛末を語って聞かせていたところ。
 神帝軍との共闘体制。それにより、双方のこれ以上の武力衝突を裂け、物理的な被害を生じさせないようにする。いずれは、よりよい状況を作り上げていくための、これは第一歩だ。魔皇がただ魔皇だというだけで追われない地域を得られたと、春日は自負していた。
 ただ福島以外ではかえって追われそうなので、本日の彼女は髪を一つに結んで伊達眼鏡など掛けている。いつも可愛らしい服装のルシファーも、本日はジャンパースカート姿だ。
「ルシファーが将来はいい女になるだろうと思っていたんだ」
「‥‥光源氏計画?」
 軽い冗談のつもりの台詞に、大真面目に返されて‥‥春日は頭を抱えたくなった。これでルシファーに『ずっとついていきますから』と言われたことなど話したら、何を言われるか分からない。
 源氏物語をよく知らないルシファーは、きょとんとして二人のやりとりを眺めている。

 アルバイトを募集して、集まったのが中学生ばかりのはずはない。すでに雇用されている者も何人かいた。
 その中でもシン・クサナギ(f104)は十八歳以上の年齢だからと、深夜帯まで仕事のシフトを組まれている。ちょっと心許ない財政の早期改善を図りたいと言ったのが功を奏したか、かなりびっちりと働けていた。そんな彼が実は十七歳なのは、もう秘密も秘密だ。
「色々なお客さんがいらっしゃいますね」
「まだまだ。店内でキスやプロポーズもざらだしね。そういう時は我々は石だから」
 心しておきなさいと指導されたクサナギは、水洗いしたフルーツを拭いて籠に盛りながら頷いた。見て見ぬ振りなら問題なく出来る。
 彼の場合、問題なのは‥‥
「こんにちわー」
「あらぁ、いらっしゃい。えーと、ツケ払い」
 クサナギが労働に励んでいる時間帯に、逢魔の樟葉が店に顔を出すことだ。これまた中学生年齢の樟葉がちょくちょく飲食店で飲み食いするような金銭の余裕があるはずもなく、支払いはなぜかクサナギの給与から天引きにされていた。従業員割引価格を用意してくれたようだが、まだ初給与が入らないクサナギは、それを実感したことがない。
 さすがに樟葉も遠慮して、いつもジュース一杯しか頼まないが‥‥代わりに口はよく動く。食べるものがあるわけではないから、クサナギに話しかけてくるのだ。今日は何を教えてもらったのかとか、それはなんだとか、時々他のテーブルのお客の感想まで口にする。クサナギがたしなめるとしばらく黙るが、やがてまたしゃべり出すのだ。
「迷惑になるから、少し黙っていなさい」
 来てくれるのは嬉しい。でも幸恵に怒られるような真似はさせられない。それでちょっときついことを口にしたクサナギは、樟葉がしょぼんと下を向いたのを見て、内心どうしようかと思っていた。でも、仕事が終わるのはまだまだ先だったりする。

 曜日が変われば、人も変わる。逢魔アンモにアルバイトを強制されている流石猛(b246)は、自分がここにいる意義を見出せずにいた。これまたやたらと店に入り浸り、彼のバイト代を食い潰すアンモは平然と『グレゴールのお医者とよしみを通じて、将来の大病院院長宅の養子の口を探せ』とせっつくが、魔皇の彼がグレゴールに近付く危険性は端から無視している。それどころかグレゴールの何人かと、すっかりアンモの方が仲良くなっていた。
 実際は流石も幸恵の弟のグレゴール安村幸人と友人になり、同年代の知人も何人か出来てしまって、アンモを責められない。というより、魔皇だグレゴールだと構えなければ、彼らも決して特殊な相手ではなかった。激しい性格の持ち主が多いとは思うのだが。
「だけど、やっぱり危ないから‥‥」
 管理人を兼ねて住んでいるアパートの住人に複数魔皇を抱える流石は、『医者とよしみ云々』より仲間の安全を選ぶべきだと思った。けれども考えてみれば、開店前にアルバイトの面接に来ている二人組だって、きっと魔皇と逢魔だ。金髪と言って差し支えない色の髪の幸恵と同年代の女性に、流石と同じ年頃の白銀の髪に青い目の青年。こんな取り合わせは魔皇と逢魔だと、流石は思い込んでいる。
 そして狩野充穂(i996)と逢魔竜樹は、流石が思った通りの関係だ。それゆえにアルバイトを押しつけるのは申し訳ない。そう彼は思い悩んでいたのだが‥‥
「たーにーざーわーたーつーきー。君はバイトしてる場合じゃないでしょ」
 今はシーズンだろうとかなんとか、幸恵が竜樹の頭に拳骨をぐりぐり押しつけている。もとから知り合いかと思いきや、そういう雰囲気でもない。
 そうして竜樹の横では、充穂がやれやれと言いたげに額を押さえていた。ばれたかと口にしているのは、幸恵の態度に心当たりがあるかららしい。
「あのー、何かあったんですか?」
「事情は‥‥言えないな」
 幸恵の竜樹苛めがしばらく続きそうなので、流石は充穂に紅茶を出しながら、ちょいと尋ねてみた。あっさり拒絶されたのに突っ込まないのは、彼の性格だ。だってこの年代の女性に逆らうと後が恐い。竜樹が聞いたら激怒しそうなことを、心中考えている流石だった。
 ちなみにこの頃、実はスポーツ選手の本業をあっさりと看破された竜樹は、幸恵にくどくどと説教を食らっている。いつもと髪も目も色が違うから、絶対にばれないと思っていたのに、どうしてだろうと不思議で仕方がない。お説教が一区切りついたところで、思わず尋ねてしまうほど、これが疑問だった。
「履歴書に名前も出身校も正直に書いて、ついでに写真がこれだったら、分かるわよ」
 覗いた流石にはよく分からなかったが、充穂は本格的に頭を抱えている。
 履歴書の写真は茶髪に黒っぽい目で同じ顔の、いかにもスポーツマンタイプ。充穂も見慣れた、人化している時の竜樹の顔だ。しかもスナップ写真を切って張ってある様子。
 おかげで竜樹の『同年代の友人がやっているアルバイトを体験してみたい計画』も充穂の『副業で働く喜びを再認識計画』も、流石の『誰かにバイトを代わってほしい願望』も果たされないまま終わったが‥‥
「お友達が、ご馳走になったお礼にちょっと手伝ってくれると言うのは、チームにも会社にも言い訳になると思うの」
「素晴らしいです、幸恵さん!」
 アンモ大感激の発案により、幸恵が一人勝ちしている。
 本日のお手伝いは、三人いた。

 水曜日、逢魔乱夜の機嫌は麗しくない。魔皇の美森あやか(b899)がアルバイトに行ってしまうからだ。せっかく通っていた高校を通信教育過程に切り替え、挙げ句にアルバイトを始めたあやかに、彼はちょっぴり不満。
 生活費の心配なんかさせないのにと、彼には彼の気持ちがある。だからといって、あやかの勤労意欲を邪魔する気はなかった。その割に、店まで送ると称して、開店前のKouであやかと同じインプでアルバイトのエレノアと『まかない料理』を食べている。彼はアルバイトではないが、人手がないと掃除や酒類の搬入を手伝っているのだ。
「今日も過保護ですのね」
 午後三時に掃除や仕込みの手伝いから入るあやかとは違い、エレノアは大学が終わった五時前にやってくる。そうして『まかない料理』を食べるのを、非常に楽しみにしていた。
 ついでに魔皇大事の乱夜をからかうのもだ。
「そんなにあやか様にくっついて、自立しないと嫌われますわよ」
 乱夜が水曜日に不機嫌なのは、このエレノアと顔を合わせるからだ。あやかとは仲良くやっているようだが、同族の彼とは非常に合わない。理由は簡単だ。
 エレノアは一番最初の勤務日に、『お客様に楽しんでいただくのもお仕事のうち』と主張して、あやかにまで持参のゴスロリ風エプロンドレスを着せたのだ。しかもミニスカート。更にエレノアより短かった。
 以来、乱夜はエレノアを無視している。幸恵が『うちの制服はシンプルなの』と言ってくれなかったら、彼は間違いなくあやかにアルバイト先の変更を迫っていただろう。
 こんなエレノアがきちんと仕事をしているのかと思うが、あやかによれば接客はきちんとこなしている。幸恵が言うには、エレノアのお嬢様風の雰囲気に入れ揚げる男性客も時折いるそうだ。この辺はインプらしい。
 なんにしても、乱夜が不機嫌なままに自分の仕事に行ってしまうと、あやかが珍しく上目遣いにエレノアを見詰め出した。実はこれも、水曜毎に行なわれていることだ。
「エレノアさん、本当の本当に‥‥」
「ご心配なさらないでくださいな。私、乱夜様に横恋慕はしておりませんのよ」
「あの男は浮気しないから心配ないって」
 魔皇と逢魔の恋仲は、今ではすっかり珍しくなくなったが‥‥エレノアはあやかの恋人ど同族だ。逢魔の常識に『子供の出来ない別種族との恋愛の忌避』がある以上、『別種族』になる魔皇のあやかも心配の種は尽きない。
 それゆえに小悪魔に遊ばれているのを理解していても、やはり踊ってしまう乱夜とあやかだった。
 ちなみにこの日の夜九時。仕事をしながら新メニュー体得にも挑んでいたあやかの帰り時間を見計らって、乱夜が迎えに来た。エレノアにハンカチなど振られて、お見送りされながら帰っていく。乱夜があやかの肩を抱いているのは、いつものことだ。
「いい加減に苛めるのよしなさいよね。あやかちゃんは貴重な調理人員なんだから」
「あのお二人が、開き直って『羨ましいだろう』とおっしゃったら止めますわ」
 からかうとムキになったり照れるところがツボ。でもそれは教えたら駄目だとエレノアに懇願されて、幸恵はとても悩んでいたが。
「日曜のスタジアムのチケットがこちらに」
 この条件で、教えないことにする。

 鼻歌混じりの白鳳院昴(a531)に誘われて、逢魔のエリゼリュートはKouに食事に来たはずが‥‥カウンターで履歴書を書かされていた。アルバイトの募集をしているとは知らなかったが、自分がそれに応募させられているのも予想外だ。
 いや、店に来る前から何か昴が企んでいるのだろうとは思ったが、まさか一緒にアルバイトをしようと考えているとは。
 しかし、すでにカウンターの中に常連仲間の逢魔界と週末だけ店員になったユキト(z078)がいて、更に初顔合せだが夜霧澪(d021)と逢魔小百合が面接を受けているのに、これ以上人手がいるのだろうかと悩んでしまう。
 更に勝手口から、逢魔の鳳がビールケースを持って現れたので、エリーは呆然としてしまったのだが‥‥実は鳳はアルバイトが過不足なく揃うまでの臨時手伝いだ。それもジャンガリアン・公星(f277)が鳳の意志を無視して、無償奉仕で幸恵に引き渡している。一応の名目は、社員研修。
 ついでに界は、仇野幽(a284)言うところの『花嫁修業中』。本日は難しい顔をして、豚肉のピカタの見目麗しい盛り付け方に挑戦していた。その背後では、盛り付けが終わった後の料理の味見を誰がするかで、鳳とユキトがもめている。
 この逢魔達の魔皇は、カウンターの中と外でそれぞれに活動している。幸恵が夜霧と小百合の面接を行なっているのはいいとして、開店前にリアンと幽がカクテル片手なのはどうしたことか。
 挙げ句に、幽は夜霧の面接に口を挟んでいる。控え目なエリーだからこの感想だし、昴は自分達の番を待ちこがれているだけだが‥‥リアンから見ると、女二人で見た目生意気そうな青年をいじくり回している感じ。
「えーと、力仕事が出来れば有り難いけど。米袋でも持たせてみるか」
「界と小百合、あ、サリーちゃんか。二人を抱えてどこまで歩けるかとか、どう?」
 リアンは心中で訂正した。ユキトまでからかって遊んでいる。哀れとは思うが、助け船を出すと自分が巻き込まれるので、リアンもおいそれとは口を開けないでいた。鳳は我関せずで、今度は野菜を右から左に移している。
 そういう緊迫感は、なぜか女性には伝わらない。小百合はあれこれ聞かれて、ようやくOKが出たので大喜びだ。昴とエリーは勤務時間量に注文もなく、仕事をしながら料理を覚えたりしたいと昴が明言したので、ピンチヒッター的にアルバイト雇用された。学生や副業が多いので、人数を大分増やしたようだ。
「今日は予約がなくて、それほど忙しくないだろうから、澪ちゃんと小百合ちゃんは、何がどのくらい出来るか試してみようか」
 キャベツの千切りを言われた夜霧が、非常に不服そうに調理台の前に立った。包丁の持ち方が普通と違うが、刃物の取り扱いは手慣れた様子だ。けれども出来上がっていくのは、千切りには程遠いざく切りだった。
 幸恵の教育的指導の拳が放たれている間、昴とエリーはカウンターでハーブティーを飲んでいた。隣では、ユキトが界に作り方を蕩々と聞かされつつ、ピカタを試食中だ。なんだかユキトは忙しそう。
「ええと、フォンさん? 店員さんのお洋服って、女性はどうなっていらっしゃいますの?」
 可能なら、ぜひともお揃いの可愛いのでと、誰かと同じような願望を口にした昴を、エリーは今更たしなめたりしなかった。これまで散々着せ替えされて、彼女の趣味はわかっている。
 本人はメンズものをよく着ているが、とにかく可愛いものが好き。本日の界のゴシック風ワンピースなど、買った店を確認したいくらいに注目しているだろう。
 そんな昴の願望が幸恵に否定される前に、粗相をしたのはリアンだった。鳳が昴に制服の件を答える前に、持ってきていた大判の封筒を取り上げ損ねて中身を床に広げたのだ。
 紙の散る乾いた音に、千切りを特訓させられている夜霧までもが目を向けた。そうして、全員がそれぞれの表情になる。
 一番嬉しそうなのは、幽だ。
「あら、リアン。結婚式場のパンフレット? いつ、お嫁にいくの?」
「幽、このお花プレゼントしてあげたら」
 きゃらきゃらと笑っている幽の尻馬に乗って、幸恵が彼女のくれた花束を差し出した。リアンが顔を引き釣らせたので、二人で笑い転げて花束までカウンターを転がっている。
「幽ったら、ひどいんだから」
 見兼ねて花束を取り上げた界が鼻の頭にしわを寄せるが、その理由が昴とエリーには分からなかった。あと、にぶちんのユキトにも。
 三人が鳳や小百合、夜霧に何事だろうともの問いたげな表情を向けても、逢魔二人は教えてくれそうな様子はない。夜霧は非常に険悪な顔付きでリアンを睨んでいて、話を聞くどころではなかった。
 まあ、事情については、リアンが教えてくれたが。
「結婚するのは妹で、これは俺の今後の仕事の資料。ホテルに勤務するので、来年のブライダル企画の寸評でもしてもらおうと思って」
 そういうことならと、昴が大喜びでパンフレットを広げて、ドレスの写真を眺め始めた。エリーも綺麗なものが嫌いではないから、一緒になって覗き込む。小百合も『今から来年の企画?』と驚いたり感心したりしながら、お勧めブライダルコースの金額を見て、目が零れそうなほどに丸くしていた。
 なぜかユキトも面白そうにリーフレットを眺めて界にも見せようとしたが、界は花瓶と花束を抱えて洗面所に走っていってしまった。
「その花瓶重いですから、手伝いますよー」
「来なくていいのーっ!」
 界とユキトは、店の片隅でなにやら騒いでいるが‥‥誰も構わなかった。だって彼らの魔皇様達が『放っておきなさい』と厳命したからだ。更に。
「私、自分の時は神式がいいかな。あ、今から界の結婚式の予約しちゃおうかしら」
 もちろん安くしてくれるんでしょと、幽がけらけら笑いながら口にしたのへ、リアンが生真面目な顔でこう告げた。
「俺は‥‥結婚するなら、幽がいい」
 次の瞬間に、夜霧が包丁の刃を上側に持ち替えたので、幸恵が拳骨で殴っている。昴は神妙な態度で手にしたパンフレットを幽に差し出したが‥‥幽はまたもにっこり笑って、男心を踏みにじる。
「私、リアンも澪も可愛すぎて苛めちゃうのよね。それに韓国に行くし」
「あらまあ、じゃあ、弟分なんですのね。弟って、可愛いですものねぇ」
 挙げ句に昴は見当違いのことを口にし、エリーに口を塞がれた。鳳はせっかく移動させた野菜を、床にぶちまけている。小百合は夜霧にざまを見ろと言わんばかりに、なぜか携帯電話を見せつけていた。
 界とユキトは、まだ言い争いながらも生けてきた花や外したリボンを手に、店内の奇妙な雰囲気に足を止めた。
「何があったの?」
「男は修業が大事ねって、話してたのよ」
「あと、恋は一生出来るわねとか」
 いけしゃあしゃあと言い放った幽と幸恵に、何事か言い募れる者は、この日はいなかった。
 この調子ではまだまだ幽は口説けないなと感想を抱いたのは、女性四人、男性一人。

 アルバイト募集というのは様々な騒動があって、しばらく後。
「最近、将来はレストランのオーナーもいいと言い出したから、自分で開店資金を貯めろと念押ししておいた」
「あらぁ、その時までにお料理の腕を上げたら、雇ってくれるかしら」
 接客中のエレノアの様子見と食事を兼ねて来店したキャサリン・フィッツガルド(a674)は、昴が作ったお子様ランチ風の豆腐ハンバーグとキャベツと人参のヨーグルトドレッシング和えを口にして、一つ頷いた。
「味はいいな。盛り付けはバリエーションが欲しいところだ」
 彼女の視線の先、エリーに『ほら、言われたでしょう』と諫められつつ、飾り付け用の国旗を手にした昴が、寂しそうに佇んでいる。配膳台の上には、これもキャサリンが注文したシーフードピラフが花の形に型抜きされていた。後は国旗を刺せば、昴的に満足のいく出来映えだったに違いない。
 そんな昴の気持ちを突き崩したキャサリンは、最近とんと姿を見なくなったユキトへ、『幸恵が同棲すると言っていたから、厄介払いされたか』と失礼な解釈をしていた。
 エレノアはごひいきのお客をいいようにあしらいながら、今日もばりばり働いている。

 光希は仕事の休みに、茜からいつも通りに遊びに誘われていた。大抵は郊外の公園などだが、本日は違っている。
「光希、このお酒、代わりに買って」
「茜のお家の人、お酒は飲まないんじゃ」
「地酒を送ったら、手数料くれるって」
 光希も知らなかった地酒や、地元の自然塩などを茜の持つメモ用紙通りに買い集め、着払いでKou宛に送り付けてから‥‥茜は、悪びれずにこう言った。
「お店でアルバイトは駄目だけど、これならいいでしょ?」
 頑張ったら、お菓子も送ってくれるから、一緒に食べようね。光希には、この嬉しそうな申し出を断ることは出来なかった。

 出先から戻ってくると、FAXが一枚着いていた。書いてあるのが日本酒の名前だと、春日は一目で理解する。
「マスター?」
 『命がある限りは傍に居る』。そう誓ったにも関わらず、心配そうに彼女の後を付いて回るルシファーが、見慣れぬ名前の羅列に不安げに首を傾げた。
「横浜から、日本酒の注文だ。‥‥ふん、どこに売っているか訪ねに行けば、親睦を深められるか。‥‥今度、ドライブに行くぞ」
 共闘はしても、なかなか馴染めないグレゴール達との会話の種にいいかと、春日は前向きに扱き使われる自分を納得させた。
 そして。ドライブと聞いて微笑むルシファーの肩を、そっと抱き寄せている。

 乱夜が家に戻ると、最近Kouで見掛ける中学生が上がり込んでいた。懐かれていたあやかが、連れてきたらしい。ついでに同居人も加わって、彼女達は折り紙の真っ最中だ。
「あやか、頼まれたやつ」
「ありがとう。すぐおやつにしましょうね」
 イチゴとオレンジを渡すと、あやかは乱夜にねぎらいの笑顔を向けた。そのまま慌ただしくキッチンに姿を消してしまう。
 そんな忙しいあやかが何を折っていたのかと見れば、箸袋だった。学校の工作か、ホームパーティーかと思えば、物怖じとは縁のない未咲が教えてくれる。
「幸恵さんに持っていくと、お小遣いくれるの。すごいでしょ」
「中学生に内職させるなよ‥‥」
 しかも、あやかはそれに付き合って‥‥と、独占欲を刺激されて不機嫌になりかけた乱夜だったが、キッチンで果物をケーキに飾り付けているあやかの姿に、気持ちを和ませた。
「あ、このチェリーだけ乱夜用のブランデー漬けなの。みんなには秘密にしてね」
 まんまるのケーキを自分でカットして食べたいという未咲の夢を叶えるおやつに、自分への気遣いも加えられていて、乱夜の機嫌は急上昇した。ケーキを食べないうちから、キスが甘いと思うくらい。
 この後、憧れのまんまるケーキと対面した未咲は、非常に不揃いに切れたケーキの一番大きな一切れを前に、これまたご機嫌だった。

 たまに手伝いに来るくらいなら、大歓迎してあげる。その言葉を信じて遊びがてらKouにやってきた充穂は、サッカールール講座を受けていた。講師は幸恵の弟の安村幸人だ。他にもグレゴールが複数いて、誰かが差し入れた犬の写真を奪い合ったり、竜樹にサインを貰っている。ファンタズマは折り紙中だ。
 その全員が大学生以下の年齢で、充穂は面白くない。幸人が同年代だったら、もうちょっと熱心に説明を聞いたかも知れないが。
「充穂さん、もう一本見て勉強する?」
 そんな彼女の気も知らず、竜樹はヨーロッパサッカーのビデオとやらをセットし始めた。充穂に見せるより、自分が見たいに違いない。
 充穂のサッカー理解度アップの道は、果てしなく遠い‥‥かもしれない。

 アルバイト開始にあたり、夜霧達は流石が管理人を勤めるアパートに転居してきていた。幽の韓国転勤で空いた部屋だ。当初、夜霧は『仇野のマンションに世話になる』と現在界が住んでいる幽所有のマンションに転がり込もうとしたが、所有者が許さなかったので、こちらのアパートに入居している。
「夜霧さーん、契約書が出来ましたよー」
 きちんとドアを叩いて、返答があったので入室した流石だが、中の様子を見て一歩下がった。部屋の真中で作業中の夜霧は、そんな流石に不審の目を向けている。いったい何事かと言わんばかりだ。
「夜霧さん、あれほど違法な物品の持ち込みは禁止だと、言ったじゃないですかー!」
「‥‥違法? なにがだ?」
 本物か改造かの区別は流石にはつかないが、拳銃の分解掃除中の夜霧を怒鳴りつけるには、流石なりの理由がある。
「流石さん、バイトの時間ですよ。ほらほら今日はグレゴールの皆さんの予約なんですから、急いでください」
「澪さんも。そんな顔すると、韓国にこの写真をメールしますからね」
 そんな理由に頓着しない女性達と常識の通じない夜霧を前に、流石は『グレゴールの方が分かりあえるかも』と思い始めていた。
 自称はにかみ屋のアンモと、『澪さんを守るんです』が口癖だったらしい小百合が、それぞれのパートナーを急かしに急かしている。

 界と、金曜夜と土曜日だけバイトに切り替えたユキトは、電話を前に並んで座っていた。
「えーと、国際電話の掛け方。いいですか、掛けますからね」
 そうして三分後。
「繋がらないなんて、また、遊び呆けてるのよー! 韓国に行ってまで飲み歩いてーっ!」
 界が、ユキトの胸をばんばん叩いて、泣き叫んでいた。

 あれは、ほんの勢いだった。いや、いずれ言うつもりだったけれど‥‥あの時に口にしたのは勢いだ。
『僕と、結婚してほしい。これからも、ずっと一緒にいよう』
 アルバイトする理由になった指輪付きでのクサナギのプロポーズは、当然幸恵に目撃されていた。樟葉がポロポロ泣きながら頷いたのも、『絶対離さないから』と応えたのもだ。
 そうして、二人して店に呼び出され、挙げ句にリアンに紹介されている。リアンはリアンで何を吹き込まれたのか、大量の結婚式パンフレットを持参していた。
「こちらのお二人だと、まだ先の話だと」
「最短なら三年後。あ、二次会はうちでね」
 それは譲らないわと胸を張る幸恵に、リアンは抵抗しなかった。しても無駄だと、理解している。付き添いの鳳は勝手知ったる店の中で、コーヒーを煎れて全員に配っていた。
 その間に、幸恵は準備していた様々な料理をカウンターに並べ、クサナギと樟葉にも勧めている。鳳は最初から好きに摘んでいた。
「本日はお客さん紹介料で、リアンの奢りね。ちなみに鳳の注文だから、全部」
 カウンターに肘をついて、額を押さえたリアンを無視して、幸恵と鳳は高そうな酒を開け出した。雇用主の性格を思い知っているクサナギも、下手に遠慮はしない。そうでなくとも、この後は宴会予約があって忙しくなるはずだ。今日はバイトもフル動員である。
 クサナギに大丈夫だと言われて、樟葉が料理に手を伸ばした頃、他のアルバイトの面々が揃い出した。鼻の頭が真赤な界も混じっている。顔全体が真赤な樟葉といい勝負だ。
 少女達が、互いの顔を見合わせた時。
「おっひさー。今日は宴会なんですってー?」
 店員達の『いらっしゃいませ』の声に迎えられて、本日最初のお客が戻ってきた。
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この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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