どらごにっくないと

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【Kou・バレンタイン】ダンスパーティーのゆうべ

  • 2008-06-30T16:28:33
  • 龍河流MS
【オープニング】
 ある夜、頑なに『横浜テンプルムのグレゴール』を名乗る安村幸人は、深夜の街角で携帯電話を使っていた。メールを打っている姿は、どこにでもいる青年のものだ。
 傍では、ファーをたくさん使って暖かそうだが、背中が半分露になっていて防寒の用を足さない服を着けたファンタズマのタマが、ぷかぷか浮いている。彼女のこの衣装は、ヤスの母親のお手製だった。

 深夜まで続いた打ち合わせの後、自家用車で仲間を自宅まで送り届けたグレゴールの須藤豊は、最後の一人のヤスを迎えに私鉄の駅に向かっていた。先程携帯に連絡を入れたから、そこでヤスが待っているはずが‥‥
「あらまあ、やっぱり浮かない顔してるじゃない」
 須藤はヤスとタマのほかに、知り合いが二人加わった四人組に出迎えられた。安村幸恵と伊藤行斗が、いつの間にかやってきているのだ。
 時間は深夜一時。更に幸恵達の家の場所から考えて、とても偶然出会うはずはない。この須藤の疑問に答えてくれたのは、いささかげんなりした表情のヤスだった。
「俺がメールで、ここにいるって知らせた」
「こんな夜中にメール寄越して、ふやけたこと言うから、心配して飛んできてあげたんじゃない。お姉ちゃんは優しかろう?」
 でも自転車二人乗りをこいできたのは、ユキトなんだろう? と、ヤスも須藤も思ったが、ユキト当人が『お店の帰り』と補足説明してくれたので、何も言わずに置く。幸恵に理不尽な反論を喰らうには、二人とも疲れすぎていた。
 とりあえず早く帰って、なんでもいいから食べて、風呂に入って寝てしまいたい。グレゴールの特性である超常能力はあっても、精神的には結構もとの性格をそのままにしている二人は、そんなことを心底願っていた。
 しかし、さすがに幸恵の次の宣言には目を見開く。
「じゃ、ユキトが幸人を家に送って、あたしはこの男の家に飯作りにいくから。車の鍵、ユキトに貸してあげて」
「‥‥あ、ぼく、ちゃんと免許は持ってますよ。はい、これ。道も分かります」
 この夜中に、なんで幸恵がヤスを実家に連れ帰るのではなく、ユキトがヤスで、自分が幸恵に送られなくてはならないのか。須藤が疑問に思うのは当然だし、ヤスもあからさまにぎょっとした顔付きで立ち尽くしていた。
 その間に、須藤は自分の車から引き剥がされ、ユキトが代わりに運転席に、ヤスがタマと一緒に後部座席に押し込まれた。もちろんそんな真似をしでかしたのは幸恵だが、手伝ったのは須藤のファンタズマの恵である。須藤は自分のパートナーに、車から引っぺがされたのだ。
「恵ちゃん、家まで案内してちょうだい」
 須藤の住んでいるぼろな借家は、ここからだと徒歩十五分だった。

 横浜市内にもこういう借家があるのかと、幸恵は須藤の家の前でしばしたたずんでしまった。木材はふんだんに使ってあるが、ものすごく旧式な造りの家屋だ。少なくともハウスシック症候群には、まずならない。でも隙間風は入りそうだから、花粉症にはきついだろう。
 とりあえず家の借り主を急き立てて上がりこみ、恵に暖房を入れさせて、自分は勝手に台所に入り、彼女は予想通りの物を見付けた。
「どうせこうだろうと思ったわよ。やれやれ、自分の頭のハエも追えないで、他人のために仕事が出来るわけないでしょうが」
 レトルト食品のごみの山を前に、幸恵は持参の袋を流し台に置いた。キッチンとかシンクなんて言葉の似合わない、まさに日本の台所。あんまり使ってはいなさそうだ。
 とりあえず冷蔵庫の中を好きに漁り、自前の材料とあわせて、うどんを煮ることにする。冷蔵庫から出てきたのは、干からびかけた竹輪だけだったが、ないよりマシだ。幸恵も慌てていて、うどんとねぎと自家製つゆの元しか持参していなかった。
 けれども、それ以外の荷物を、遅れて台所に入ってきた須藤が訝しげに眺めていた。一つはケーキの入った紙箱、もう一つは可愛い包装の入浴剤、最後に箱も立派な化粧品だ。
「これ、なに?」
「お客に貰ったケーキと入浴剤と、化粧品。化粧品は持ち帰るのをうっかりしてて、さっき思い出したの。ケーキは食べたかったら切るけど」
「無理。それよりタクシー呼ぶから、早く帰れよ」
 生卵があったらぶつけてやるシチュエーションだが、幸恵はじっと我慢した。多忙で神経がささくれている相手には、広い気持ちで接するのが大人というものだ。
 でも彼女は、手にしたお玉で須藤の頭をぼこぼこ殴っていた。手で殴らないのが、彼女の我慢だ。
「あのさぁ、俺、あの美人で激しそうな彼女を敵に回したくはないんだって。恋人持ちは早く帰れ」
「美人で激しいは、確かだわ。おかげであたしも強く出られなくて、飲み友達になろう話し合いが進まないのよね。ま、それはともかく」
 しばらく、台所は静かだった。
 更にちょっとすると、恵が覗きに来たので、幸恵は須藤を風呂場と思しきドアへ蹴りやって、うどん作りに取り掛かろうとした。だが、しかし。
 あまりに古臭い造りのこの家、風呂場は台所の一角にある。トイレもその隣で、水回りは全部まとめてあるわけだが‥‥
「うち、脱衣所はないんだよな。おかげで家賃は格安の四万円台だけど。あと、一応昼に風呂は入った」
「じゃあ、お風呂は明日にすれば」
 十分後、幸恵はうどんをすすっている須藤と向かい合わせに、こたつにあたっていた。

 さて、その翌日昼前。
 新聞の折り込み広告を綺麗にたたんでいた恵は、茶の間の隣の和室から響いた声に首をめぐらせた。
「おねーさんっ、バレンタインって土曜日よっ! 稼ぎ時よ、稼ぎ時。ダンパって、営業休んでまでねぇ‥‥そのバックマージンがどんだけ?」
 恵にはなんだかさっぱり分からない声だったが、叫んでいるのは幸恵である。ふすまを開けてみると、布団の上に座り込んだ幸恵が携帯電話で誰かと話していた。幸恵はヤスのお姉さんだが、他に姉妹はいないはずなのにと思っていると、ようやく話が終わったらしい。
 時計を見て、まだ布団の中でもぞもぞしている須藤をゆさぶって起こし始めた。
「豊ぁ、幸恵さんが起きろって」
「あぁ‥‥、ちぇ、やっぱりボタンがとまってるか」
 幸恵が枕で須藤を叩いたのを見て、自分のパートナーが暴言を吐いたことは理解して、恵も枕を須藤にぶつけた。すると須藤がまた布団に潜り込もうとしたので、無理やり引きずり出す。
「仲良しじゃん。毎日恵ちゃんに子守唄歌ってもらえば?」
「でもねー、豊もヤスも、早川さんも、ファンタズマはパートナーだから、変なことはしないって言うのよー」
 恵が幸恵に、彼女がよく知るグレゴール達がいつも言うことを教えると、幸恵は黙ってしまった。恵には『変なこと』の意味が分からないから説明してもらおうと思ったのに、どうもうまくいかない。
 仕方がないので、他のグレゴールのことなど話してみることにした。
「そしたらね、辺見おばあちゃんが『いい心掛けです』って言って、裕香さんはものすごく笑ってたけど。それから美紀さんとか、露華さんでしょ、あとねぇ」
「辺見さんと津村さん、亡くなったんだっけ?」
 恵がこっくりとすると、幸恵は正座から胡坐に足を組みなおした。だがそれもつかの間で、よいしょと立ち上がると恵の頭を撫でる。
「確かに、一生のお付き合いなんだから、恋愛感情はよくないかもね。倦怠期が来ても、離れようがないんだもの」
「それに、このお嬢さん方はグレゴールの要求は拒否しない。それじゃ自己愛と同じだしさ」
 細かいところはやはり理解不能だったが、恵は須藤がこの数日で一番元気なので、他のことは気にしないことにした。
 でも、彼の反応が楽しくて、幸恵と一緒にあれしろ、これしろと言うのは止めない。

 須藤の車でヤスを実家に送り届けたユキトは、そのまま安村家に泊まっていた。いつものように昼過ぎまで寝ていて、布団の上に誰かが飛び乗ってきたので目を覚ます。
 というか、衝撃のあまり目が飛び出るかと思った。
「ルリア、それだけは止せって、いつも言ってるだろ」
 前にも会ったことのあるグレゴールの犬塚瑠璃亜が、布団飛び乗りの犯人だった。どうやら彼女はヤスを起こすつもりでやってきたらしい。人違いに気付いて、慌ててユキトの上から降りようとしたのはいいが、床に転げてしまった。
 助け起こそうとしたら携帯電話が鳴るので、ヤスに任せてそちらに出る。
『ユキト? あのね、店に来る前にお姉さんのところに言って、ポスター貰ってきて。バレンタインダンスパーティーの。その日は店は休んで、パーティーの裏方しに行くわよ』
「えっ、それはどういうことなんですか。あ、サチエさんってば」
 無情にも切れてしまった携帯を片手に困惑の表情を浮かべるユキトに、同名の友人にして幸恵の弟は同情心たっぷりにこう呟いてくれた。
「姉貴が苦労かけてるよな」
 逢魔らしく苦労とは思わないユキトだが、それでも説明はして欲しいと切実に願っていた。

 二月十四日、バレンタインデー。
 横浜市内のとあるホールで行われる立食ディナー付ダンスパーティーに裏方参加するため、レストランバーKouは休業する。
 代わりに当日の食事、フリードリンク代込みの入場チケット八千円を、一割引で店内発売中である。
 要するに、当日はダンパに来てねと、そういうわけだ。



【本文】
 バレンタインデー。カップルが巷に溢れたり、無意味にテレビで芸能人が騒いだりするこの日。横浜市内のとあるカラオケボックスのパーティースペースでは、今まさにダンスパーティーが始まろうとしていた。
「ちゃんとダンス用の床なんだぁ。珍しいね」
 昔使っていたダンス用の靴を引っ張り出してきた大曽根こまき(b217)は、床の木目を眺めて一人ごちた。カラオケボックスというか、ビルのパーティースペースなんて足下が危ないかもと思ったが、心配はないようだ。せっかく鮮やかな緑のドレスを新調したので、足下が突っかかったら悲しい。
 そんなこまきの連れで逢魔のビフレストは、やはり買ってもらったばかりの薄紫のドレスが派手ではないかとドキドキしていたのだが。
「いやぁ、みんな華やかだすなぁ」
 会場の片隅で、すでに料理の皿を手にしているグラス・ライファー(d744)が感嘆している。緑や紫なんぞ会場には溢れかえっていた。真赤やショッキングピンクも少なくない。更に大きな柄やスパンコールが大量にちりばめられたりと、派手なことといったら。
 グラスの横では、やっぱり料理の皿を片手にした逢魔ビルナスが、目の前を通り過ぎた女性の衣装に目を点にしていた。箸をくわえたまま固まっているので、相当驚いたらしい。
 黒のサテンに真紅のバラのプリントが、彼らと同じ体型の女性のロングドレスに散っているのは、確かに衝撃的な場面ではあった。この場では珍しくもないと言えば、そうなのだけれど。
 まあ、皆様、大変に派手なのである。
「ディナーが、良かったな」
 その派手なドレスと、負けないほどにきらきらしい男性衣装の群れの端で、音羽聖歌(c387)は願望を口にしている。本当はKouでディナーを楽しむつもりだったのが、そちらが休業ゆえにパーティーの雰囲気を楽しもうかと出掛けてきたのだ。しかし逢魔の神無がいなかったら、彼はダンスパートナーを求めるおばさま方のお相手に忙しかったことだろう。神無が傍らにいる今だって、あちこちから話しかけられて大変なのだ。
 だがしかし、モデルで顔の知られた九龍誠一郎(e831)が会場にひょっこり現れたので、おばさま方の興味はすっかりそちらに移っていた。なにしろ彼の同伴者が女性なので、色々と推察するのに忙しいらしい。
 これが逢魔のシルヴァラと紹介された日には、何割かが逃げ散ることだろうが。
 なお、九龍に助けられた者は、他にもいた。『どこの先生のお弟子さん? デモは?』と意味不明の単語混じりに尋ねられていた榊紫焔(a656)と逢魔華楠の二人だ。社交ダンス人口の男女比を如実に表わして、会場の七割くらいは女性なのだからある意味仕方がない。
 もちろんそうした女性陣は、踊ることを第一の目的にやってきている。ホテルでの発表会ではないのだから、食事にそれほど期待していないということもあるだろう。
「なんか、イメージしてたのと違うけど、楽しそうだよね」
「皆様きちんとダンスシューズを履いていらっしゃる分、安心ですわ」
 会場の奥の壁際に料理を並べに出てきた安村幸恵(z077)を見付けて、笠井琴(e827)が逢魔至智を、キャンベル・公星(b493)が逢魔スイを連れて寄ってきた。どちらも大変律儀に挨拶に来たようだ。お客様なので、踊るなり食べるなり好きにしていいのだけれども。
 スイに至っては、給仕の手伝いをしようかとまで言い出している。それを聞いた琴も、どうせ踊れないから手伝ってもいいよと同調した。どちらも、もちろんキャニーも、パーティーらしくドレスアップしている。
「なんか言ってやって」
「素人は邪魔だそうだ。菓子でも食ってろ」
 二メートルにちょっと欠ける長身をタキシードで包み、なんとも言えない迫力を醸している至智が琴とスイに話しかける。幸恵は『そこまで言ってないよ』と笑いながら、でもさっさと裏方に戻ってしまった。
 途中、同名のよしみでネフェリム・ゆきと(d226)と挨拶していたユキト(z078)を素早く回収していったから、裏方は忙しいようだ。
「びっくりしたなぁ、もう。‥‥ワイン飲んじゃえ」
 未成年の飲酒に厳しいと聞いたばかりの幸恵が見えなくなったので、しめしめとばかりにゆきとはワイングラスを取り上げていた。彼女も、踊るつもりはあまりない一人である。
 しかし、Kouでチケットを仕入れたお客の大半が、踊れない人だったわけではない。
「こまきちゃん、どこかなぁ。せっかくだから、知ってる人と踊りたいよねっ」
 いくら女性が多いからって、何も女の子と踊りたくない。なんてことは口が裂けても言わない有坂由希(a528)は逢魔アールシードを従えて、会場内を練り歩いていた。
 すれ違う人々が彼女達を振り返るのは、別にぶつかったからではない。由希とアールシードが人目を引くに充分なスタイルの良さだったからだ。ついでにドレスも背中が大きく開いた、ラテン風のもの。
 これまた『どこの先生の生徒さんかしらね』と噂されている。『デモに出るのでは』と言うのは、プロやその弟子が見本演技で踊るデモンストレーションの略だ。今回は、そういう時間も設けられていた。
 なんてことも書かれたパンフレットを、気のない様子で眺めているのは佐伯うらら(d217)である。逢魔テンペランスに誘われて出てきたものの、非常に地味な姿で壁の花になっている。
 おかげでテンペランスは、非常に気を揉んでいるが‥‥もともとが自分から意見する質ではないので、二人して壁の花状態続行中だ。
 でもパーティーそのものも、これからようやく始まるのだけれど。

 社交ダンスと言っても、種類は幾つもある。例えばワルツとラテンではステップがまるで違い、競技会も別で設けられている。当然習う人も、それぞれを別の先生に教えてもらったりするのだ。どのダンスでも、ステップはとても大事。
 というわけで、いわゆるチークダンスみたいなものでもいいんだろうと思っていた琴は、壁際でフォークを握り締めていた。雰囲気を楽しむのが目的とはいえ、これは混ざれないとか思ってしまう。
 曲ごとに同じステップで五、六十人が踊ると、広いはずのフロアもいっぱいだ。そこに勝手の分からないのが混じったら怪我をしかねないと、彼女は分をわきまえようと決心する。
 そうなれば、皆の楽しそうなところを眺めつつ、おいしいものを食べるべきだが‥‥連れの至智が、すでに取り皿の上にたっぷり乗せたものを見て、思わず零してしまう。
「至智、またそんなにデザートばっかり」
「ダンスパーティーで、突っ立ったままのおまえが何を言う。食う以外に何か出来るのか」
 痛いところを突かれた琴が黙り込むと、至智はテーブルの上に視線を戻して、デザートの選別に忙しい。良い感じの甘味を見付けて、さあ取ろうかと手を伸ばしたら‥‥
「あ、ごめんなさーい。これですよね、はい」
 取り分け用のトングを奪う形になったゆきとが、にかっと元気な笑顔で至智の分も取ってくれた。逢魔に同行を断られた彼女は、現在食べることに熱中している。
 だって踊るのは苦手だけど、食べるのは得意だし大好きだから。決して安くはない会費も払ったのだから、その分食べてもいいはず。ついでにお酒も飲んじゃえ。って、十八歳なのだが。
 ただ、やっぱり一人は寂しいので、琴の食べている料理の感想を聞いたりして、ちょっと会話に加えてもらっている。やはり食事は一人では味気ないではないか。
「このじゃが芋のグラタン、おいしそうだけど量が多いよね」
「‥‥半分こする?」
 年の頃もほぼ同じ二人は、至智を目隠しにして、ゆでたじゃが芋を器にしたグラタンを半分にし始めた。
 しかしながら、そういうところをしっかり目撃している者もいる。
 仕事のゲーム製作で徹夜を強いられた後のダンスパーティーで、頭の中はほとんど寝ていたグラスは、突然後方から襟を引っ張られて転倒するところだった。引っ張ったのはビルナスである。
「なにするだすか。この料理なら、そこの皿にまだあるから、自分で取ってくるだすよ」
 頭は寝ていても口は動かしていたグラスは、チャイナバーガーを盗られないようにテーブルの上を指した。彼はダンスもパーティーも縁のない人生だが、食い気だけは満ちあふれている。だから自分の食べ物を盗られるのは、とても嫌。
 しかしながら作って振舞うのは大好きなので、ビルナスが気に入るなら自宅で試しに作ってあげようと思う。でもビルナスの用件はチャイナバーガーではなくて。
「あれ、あれするアル」
 ビルナスの人差指のずっと先には、じゃが芋のグラタンを二人で分けている琴とゆきとの姿があった。それを体重が三桁キロに届いているような彼らが再現せずとも、一人一つくらいぺろりと食べられるのだが‥‥
「仕方ないだすなぁ」
 固い友情と愛情とその他諸々で結ばれた二人は、いそいそとグラタンを切り分け始めるのだった‥‥

 これまで出席したパーティーとは違い、キャニーはほとんどダンスに誘われなかった。趣味の集まりだからか、単に男性が少ないからか、率先して踊ろうとしていない彼女を誘うおじさま方がいないためだ。彼女自身、ちょっとした用でダンスは後回しにしている。
 そうなれば、スイも当然のようにダンスどころではない。給仕の手伝いもいらないようなので、キャニーの後について、変な輩が寄ってこないように目を光らせていた。
 なお、キャニーの用件は九龍に挨拶することだ。あちこち挨拶してばかりだが、九龍には、実家の経営する会社のCMに出てもらったので、無視は出来なかった。
 当の九龍と白銀梢を名乗るシルヴァラとは、おばさま方の興味津々な態度にすっかり疲れ果てていたが‥‥その分、かえって知り合いと話し込んでいると言うシチュエーションはありがたいらしい。とはいえ、モデルも勤めるキャニーがいることを、梢が心底喜んでいるふうはない。同時にスイも、九龍が笑顔になると奇妙に上目遣いになったりしている。
 どちらも、種類は違えど魔皇への執着はなかなか強いものがあった。

 ホールで美男美女の一団が人目を集めている頃。幸恵は本日の仕事の紹介者で元恋人、師匠の娘でレストランバー経営の先輩の女性に、首から下げていたペンダントを見咎められた。十字架型のペアものだ。
「いつからクリスチャンになったわけ?」
「いや、貰いもの。両思いになれるお守りらしいけど‥‥くれた彼女は、自分で使わなくていいのかな」
 たぶん三角関係の真っ只中で、腰の引けた野郎に惚れたが逃げの一手を打たれている節のある女性に、『好きな相手の幸せな顔が見られれば自分はいい』と言われてプレゼントされた。この説明に、幸恵が言われた台詞はこうだ。
「その程度の好きなら、早く次を見付けろって言ってあげな。それ、きっと効かない」
 ユキトが二メートル離れてドキドキしているが、肝心の『彼女』はまだ人目を集めての会話をしているところだった。

 そんな会話とはまったく関係なく、またダンスにもあまり興味のない風で、うららは会場の隅にしつらえられた椅子に座っていた。いくら立食式のパーティーでも、一休みするための場所は用意されている。
 しかし、彼女はそこからまるで動かず、最初から気のない様子で居続けていた。きちんとダンス用シューズに、ドレスもハイウエストでスタイル良く見えるものを着ているのだが‥‥

 見れば分かることだが、この会場には女性のほうが相当多い。おかげで男性は相手に苦労しないだろうが、そう何曲も続けて踊るのは大変だ。ゆえに実際の男女比は開く一方だ。
 それでは女性は踊れなくて大変かというと、決してそんなことはない。世の中には器用なことに、男女どちらのパートも踊れる人がいるのだ。知らない男性と踊るよりは、気の合う友人との方がよいと思う女性も多かろう。
 こまきもそう思った、訳ではない。単に友人の由希も会場にいて、せっかくだから踊ろうと誘われたので人の輪の中に出てみたまでだ。ダンスに自信もないが、由希がリードしてあげるとこちらは自信たっぷりに断言するから、まあお任せすることにした。
 社交ダンスは男性パートのリードが上手なら、女性パートはステップを着実に踏めば無様なことにはならないものだ。もちろんステップを一定レベルでなぞれることは最低条件だけれど。
 ともかくも、結構強引に由希がこまきを連れ去ってしまったので、彼女達の逢魔のアールシードとビフレストは取り残されてしまった。どちらも魔皇お墨付きのドレス姿、もちろんダンスをするのに問題があろうはずもない。靴だって、それ用の底がしっかりしたものだった。
 けれどもどちらも、手に荷物を持っていた。可愛らしいセカンドバックや紙袋だが、それぞれの魔皇のものも預かっている。他に誰か一緒なら預けようもあるが、とても放り出すわけにはいかないものだった。
 なにしろ手作りのチョコレートやプレゼントが入っている。
 仕方がないので、おしゃべりに花を咲かせることにした。まずは魔皇のドレスを互いに誉めちぎることから始まるところは、逢魔の性とでも言おうか。単に年頃の少女の好みかも知れない。どちらも十代後半だ。
「でもビフレストさんも、すごく素敵だね。ボク、なんでも大ざっぱだから綺麗には見えないよ」
 突然そう誉められて、ビフレストが肌を桜色に染めた。首回りも広く開いているから、鎖骨の辺りまで覗いている。
 これを目撃したアールシードも、なんだかそわそわと落ち着かなくなり、そのうちに明後日の方向に視線を向けた。でも、声だけはビフレストに向かっている。
「後で、ボクと踊ってね」
 なんだか初々しい二人の前では、他のカップルよりも密着した様子の魔皇達が、由希のリードで颯爽とターンを決めていた。

 多くが年配の参加者の中、一部に自分達と同年齢の女性が踊っているのを目にして、テンペランスは気を揉んでいた。うららをパーティーに誘ったのは彼女なのだが、楽しんでいる様子がない魔皇に心配は募るばかりだ。
 なにか気の利いたことを話して、少しでも気晴らしにしてほしいと思いつつ、テンペランスは言うべき言葉を見付けられないでいる。

 多少はダンスも出来るから、パーティーの趣旨に従ってみよう。ついでにせっかくのご馳走も食べて‥‥
 ほとんど同じことを考えて、同じ頃にジュースに手を伸ばした紫焔と聖歌は、似たようなところに目と耳を留めた。紫焔は会場に置いてあるが、使われていないピアノ。聖歌は休憩を促すように、調子の変わった曲にだ。
 彼らの逢魔であるところの華楠と神無は、それぞれ気にしていることがあって、パートナーの思案には気付いていない。美人が少ないと心中嘆いている華楠は単に不機嫌なだけだが、神無はスカートの裾を気にして落ち着かないのだ。
 いくら可愛い顔をしていても、少年の彼はスカートに慣れていないのだから仕方がない。しかも聖歌が不埒な真似を仕掛けてくる。困った話だった。
 さて、魔皇達はといえば。
「なんだか音質が悪いな。この曲、好きなんだが」
 聖歌は流れている曲の音質を気にして、音響の機械の近くに寄っていった。これまではCDだったのが、都合が付かなかったのかテープで流しているのだと知って納得するが、それは理由だけだ。音質が悪いのは、彼の職業柄気に入らない。
 紫焔は紫焔で、これなら自分が演奏したほうがましとか、ピアノの近くまで来て、今にも蓋を開けそうな勢いだ。音が悪いと盛り上がらないと、至極もっともな理由を上げている。すると。
「あいつも歌えるが‥‥あぁ、専門家か」
 音響の担当者は、その筋では知られた顔の聖歌を名前まで記憶していたらしい。
「歌っていただけるんですか。じゃあ、すぐ主催者に」
 何をどうするとも言わず、許可を求めに走り去り、二分で戻ってきた。途中、紫焔が演奏をしてくれると、勝手に決定している。どうやら担当者の頭の中では、紫焔と聖歌がお友達だと思い込まれているようだ。
「では、壁の花を摘みに出掛けてきましょう」
 華楠はその直前まで演奏したら歌えと言われていたことは忘れ果て、自分の趣味に従って紫焔から離れていった。最初の行く先が取り残された形の神無のところで、聖歌と紫焔にダブルの引き留めを喰らったが。
 まあ、懲りずに次に出掛けている。
 そうして紫焔と聖歌は、『某先生のお好きな歌をお聞きいただいてから、デモに移ります』なんて紹介とともに、音合わせもそこそこに、突如降って沸いたリサイタルに突入させられていた。
 ピアノの傍らでは、神無がジュースのグラスに口紅が付いていないか気にしながら、聖歌達の様子を見守っている。

 生演奏で歌を聞いて、それからデモで目に麗しい光景を眺め、この間に大抵の人はなにかしら食べている。まさに目も耳も口も幸せな素晴らしい時間だが‥‥
 グラスはすでに、口福を味わった後でお休みの時間になっていた。徹夜明けでの立食パーティーは、やはり厳しかったらしい。椅子に座って、となりのビルナスにもたれ、すやすやと気持ち良さげだ。騒音を立てていないのが偉いところ。
 でも、ビルナスの緩んで締まりのない笑顔は、俯いていなかったらさぞかし他人様を驚かせたことだろう。ちなみに彼は、先程目に入ったカップルを自分たちに置き換えて、想像の世界で悦に入っていた。
 同じカップルでも、見ている者によっては悲しげな気持ちになる場合もある。キャニーは自分が恋しい相手とダンスをする機会に恵まれないことを、心中嘆いていた。関係者がその嘆きを耳にしたら、大半が『あの男にそんな上等な趣味なんて』と笑うことだろう。
 さすがにスイはそういうことは思いもせず、キャニーに心底同情していた。でも。
「九龍様達が踊り始めると、皆様、そちらに目を奪われてしまわれますね」
 九龍が梢とダンスの輪に加わったことで、キャニーに不躾な視線を向ける人々がいなくなったことのほうを、より喜んでいたりする。大事な魔皇を目の保養などと言われると、決して短気ではないはずの彼女も黙ってはいられなくなりそうだからだ。
 スイとは違う意味で、黙っていない女性は多数いる。その中の一人である由希は、とりあえず気の済むまでこまきと踊って、今は前菜から順に料理を楽しんでいるところだった。パーティーも終盤に入って、普通は料理も目減りしている頃合だが、そこは彼女達の逢魔が的確に行動してくれたのだ。
「こまきちゃん、これも食べなよ。カルシウムいっぱいだよ」
 アールシードとビフレストが取り分けておいてくれた料理を、こまきに勧めてあれこれ食べさせつつ、すりすりと寄っていく由希だった。途中、アールシードが呆れたように見ているのに気付き‥‥
「踊っておいでよ。荷物は見てるから」
「えー、じゃあ、ビフレストさんと」
 体よく逢魔達を追い払って、『女の子と二人っきり』気分を満喫し始めたのだった。こまきが手作りのブランデー入りチョコレートケーキを出してくれたので、隅っこでこそこそとそれを食べ始めた姿は、もう人目を忍ぶなんとやらだ。持ち込みだから、実際に忍んでいるのだが。
 その間に、アールシードとビフレストも踊りながら、チョコレート交換の約束をしている。そもそもは男女の別なく、大事な人にプレゼントを送るのがバレンタインデー本来の習慣だ。
 それに乗っ取ったにしては、由希とアールシードの熱の入りっぷりは尋常ではなかったけれど。
 周囲がそうやって盛り上がっていけばいくほど、テンペランスは落ち込んでいく。うららがちっとも踊らないこともショックだし、時々難しい顔をして考え込んでしまうのは恐い。それが実は『今通った人の香水がきつかった』みたいなことだったとしても、テンペランスはすでに後ろ向きな思考に取り付かれていて、理由を察することなど出来る状態になかった。
 神帝軍との争いの中で、自分はうららの役に立つような存在になりえていない。このままだと切り捨てられて、うららとは会えなくなってしまうのではないか等々、落ち込む種には事欠かなくなってきていた。
 挙げ句にうららがダンスに誘われると、もう喜ぶどころではなく‥‥
「なにやら苦しそうですから、廊下で涼んだほうがよろしいかも知れませんよ」
 結局、表情があまりに冴えないことを心配されて、うららとダンスの申し込みをしてきた男性とに違う意味で廊下までエスコートされた。幸いなことに、男性は通路の長椅子に二人が座ると、速やかに会場に戻ってくれた。
 おかげでテンペランスもうららに尋ねられるままに、胸のうちを吐露できた。途中、くすりと笑われて、心臓が痛くなりかけたが。
「一人でどんどん先に行くのも悪くないと思うけど‥‥でもティーが来てからは、そういうのは楽しくないわね」
 ずっと一緒にいると、素直に信じられる相手が出来たら、一人きりで何かするのはつまらない。そう思えるのは、テンペランスがいてくれるからだ。
「こんなことに巻き込まれたのはびっくりだけど、ティーに会えたのは良かったと思ってるよ。だから変な心配しない」
 わかった?と、実際は少々背の低いうららから頭を撫でられて、テンペランスはすっと肩から力が抜けた。思わず後ろにひっくり返りそうになったのを、嬉しさで引き戻すとうららに抱きつく。
「ちょっとぉ、抱きつくのはやめてって、いつも言ってるのに」
 二人の会話もこの光景も、聞き咎めも見咎められもせずに、もうしばらく続いている。
 華楠は自分が会場からちょっと抜けた隙に、これはと思っていた女性が全員パートナーを得ていた事実に舌打ちした。仕方がないので、演奏を終えて休んでいる紫焔の傍らに戻る。『男二人』で壁に張り付くなんて、潤いのないことだとしみじみ思っていた。
 と、突然に何か放り投げられ、危うく取り落としそうになる。もちろん投げたのは紫焔だった。
「バースデープレゼント。‥‥自分の誕生日くらい、覚えとけ」
「明日は雨だな」
 言葉遣いから先程と激変している華楠の言い草に、紫焔は腹など立てなかった。こいつがこういう男で、でもちょっと抜けているのは今更な事実だ。
「踊ってやろうか、華楠?」
 だから紫焔は、そんな言葉でパートナーをからかって、人の悪い笑みを浮かべていた。
 もちろんぬけさくな逢魔は、彼女の申し出を毛を逆立てた猫のように嫌がっている。
 これとは反対に、琴は目の前に差し出された自分の逢魔の手をきょとんと眺めていた。短気なところのある至智は、急かすように手を上下にひらひらさせる。でも琴は動かない。
「踊らないのか。これだけ見てれば、ステップの一つも覚えただろう」
「え、至智、覚えたの?」
 欠片も記憶にないと断言した至智に、思わず口をぽかんと開けてしまった琴はフロアに連れ出された。あと二曲で終わりと予告された会場では、帰り支度をする人と名残り惜しんで踊る人に分かれて、奇妙な混雑が生まれている。踊りの輪の端にいると、とてもではないがきちんとは踊れなかった。
 これが二人には好都合だ。なにしろ踊り方は全然分からない。見様見真似どころか、なんとなく至智のリードで動いているだけ。
「四月になったら、お花見に行こう。きれいなところ知ってるんだ。案内してあげる」
 ちょっと遠くて、四月に入ってからじゃないと咲かないところ。そこに、二人で出掛けよう。そう呟いた琴に、至智は珍しくも少し眉を下げる笑い方をした。
「前向きで、上等だ」
 その一言を琴は噛み締めて‥‥次の瞬間には足が止まっていると、至智に引き摺られた。
 隣のカップルに激突されかけ、聖歌は思い切り睨み付ける。だが相手は大抵の人間が見上げる彼よりも僅かに背が高く、腹ただしいことに無視を決め込んでいた。
「聖歌?」
 本当は一撃食らわせてやってもいいところだが、神無が不安そうに見上げてきたので、気持ちを切り替える。せっかくドレスまで着せて着飾らせたのに、表情が暗くては勿体無いからだ。
 神無は聖歌の好みにこれ以上はなくはまっているので、実は少年なのはこの際どうでもいい。恥ずかしそうにしながら、踊っている姿が可愛らしいのだ。この楽しみのためなら、多少腹が立ってもトラブルは避けてみせようと思っていた。
 けれども彼は知らない。神無がこんな服装で連れ出された意趣返しに、大事な一言を言わずに隠していることを、だ。『好きだ』と言ってあげれば聖歌が喜ぶことを知っていて、このバレンタインデーに口をつぐむ神無であった。

 それでも。
 彼も彼女も、バレンタインデーの夜をそれぞれの方法で、平和に過ごしている。大事な言葉を言うかどうかは、雰囲気次第。
 もし、言葉はなくても。
 繋いだ手の温もりや、帰り道に寄ったケーキ屋でショーケースを覗き込むときの互いの視線、貰ったプレゼントの微かな重み、さっき踏まれた足の痛さ‥‥そんなものが混じり合って、一年前とは違う自分の、二月十四日が過ぎていく。

 たとえそれが。
「ダンスパーティーに行ったはずだろう。どうして折詰をもって帰ってくるんだ。だいたい車で出掛けて、酒を飲むなんて」
 若葉マーク付きの車で出掛け、散々飲酒した後に代行運転を頼もうとしたのは良い心掛けだが、一向に空いている業者が見付けられなかったゆきとは、帰宅後に逢魔にこってりと絞られていた。
 散々待って、とうとう幸恵やユキトが帰るのと鉢合わせ、ユキトに運転してもらったのだ。怒られても仕方がない。特に彼女の逢魔は人見知りをする質で、突然の来客に非常に驚いたのみならず、今度はその来客を送らねばならなかったのだから。
「ごめーん。ところでお夕飯一人で味気なかったでしょ。何か摘んでみなよ。おいしいから」
 せっかく貰ってきてあげたんだと主張したゆきとに贈られたのは、深いふかぁい溜め息だった。


 一人きりではない、幸せ。
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この小説は株式会社テラネッツが運営する『WT03アクスディア 〜神魔戦記〜/流伝の泉』で作成されたものです。
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