どらごにっくないと

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【グレゴール刑事の事件簿】失せ物探し□

  • 2008-08-11T22:57:55
  • 桜紫苑MS
【オープニング】
●消えた宝物
 お湯を注いでフタをして、待つ事数分。
 デスクの上に置いた腕時計の針をじっと見つめていた狸小路公彦は、そろりと箸に手を伸ばした。もうすぐだ。もうすぐ、その時がくる。
 残すところ、後30秒だ。
 ごくりと唾を飲み、時計を凝視する。
 20秒。
 カップメンの全てを知り尽くしたメーカーが定めた時間と湯量。それを遵守してこそ、このカップメンを一番美味しく頂けるのだと、彼は信じてやまない。
 そして、あと10秒。9、8‥‥。
 箸を割り、臨戦態勢に入る。
 6、5、4‥‥。
 まずはフタを全部剥がし、軽く掻き混ぜてから一気に啜りあげる。一番麺の喉ごしを味わった後は、つゆの風味を堪能しよう。
 3、2、1‥‥。
 秒針が数字と重なったと同時に、彼はシミュレーションした通りにフタを剥がし、箸をカップの中に突っ込もうとした。しかし、現実はシミュレーション通りにはいかない。
「狸小路さん、相談に来てる人がいるんですけどぉ」
 掛けられた声に、箸がカップの縁を滑って机を突く。
 がくりと項垂れて、彼は今が一番美味しいであろう昼食を諦めた。
 一般市民からの寄せられる相談を聞き、その不安を取り除くのは、彼の大事な役目の1つなのだ。


「とても大切な箱なのです」
 そう呟いて睫を伏せたのは、儚げな雰囲気を纏った美しい女性だった。誰もが目を奪われる清らかな輝きを放っているようにさえ思える。
 しかし、狸小路は何の感慨もなく、ふんふんと頷きながらペンを走らせていた。
 立場上、彼は天使と見紛うばかりに美しい者達を見慣れているのだ。更に付け足せば、彼の身近にも存在する。
 彼女達ーー「ファンタズマ」と呼ばれる種族は、マザーと呼ばれる天使から産まれる、紛うことなき天の眷属だ。
 ちなみに、彼のファンタズマはおキヌという名前の娘で、人間風に言えば、目の前の女性とは同じマザーから生まれた姉妹という事になる。
「で、その箱の中身は何ですか」
「和平会談の際に魔皇様や逢魔の皆様から頂いたものや、巣立っていったお姉様方からの便り‥‥お母様の宝が入っておりました」
 ふむふむ、と彼は何度も頷いた。
「その宝が入った箱が、消えてしまった‥‥というわけですね。箱が無くなっているのに気付いたのはいつですか?」
 困ったように眉を寄せ、視線を泳がせる女性が口を開くのを、彼はじっと待つ。
 やがて、女性は多分、と前置いて語り出した。
「今朝。先日、アンデレ様がお戻りになった時にはございました。アンデレ様が持って来て下さったセシル達の手紙を、お母様は大事そうに箱に仕舞っておられましたもの」
「なるほどねぇ」
 相槌を打ち、彼はアンデレが戻って来たという日を書き留めた。
「ひぃふぅみぃ‥‥アンデレ様が戻って来られてから4日経ってますが、その間、変わった事は?」
 彼女は首を振る。
 心当たりは何もない。
「いつもと何も変わりませんでした。朝、目覚めてお母様の身の回りのお世話や、生まれたばかりの妹達の世話をして‥‥。3時に翠月茶寮から届くコーヒーとお菓子を皆で頂いて‥‥」
「翠月茶寮から、ですか」
 よく知る喫茶店の名も、彼は手帳に記した。

●カウボーイ
 狸小路からの連絡で京都に集まったカウボーイ達は、告げられた内容に戸惑ったように互いの顔を見合わせた。
「メガテンプルムに?」
「はい。そこで、マザーの宝が入った箱を探して下さい」
 あちらの許可は取ってありますと狸小路は続ける。
「何者かに盗まれたとも考えられますが、どこかに置き忘れている可能性もあります。メガテンプルムの中は広いですし。とりあえず現場検証と情報収集をしないと」
 御所の上に浮かぶテンプルムを見上げて、カウボーイの1人、魔皇が頷く。
「確かに、聞いた話だけじゃ盗難とも紛失とも判断出来んわな」
 納得したらしい彼らを見回して、狸小路は真剣な顔で念を押した。
「そういう事です。しかし、いいですか。くれぐれも気をつけて下さいよ。京都のメガテンプルムの方々はフレンドリーですが、一応は神帝軍の要所。どんなトラップがあるか分かりませんからね」


【本文】
●のどかな午後に
 ぴっこぴこ。
 静かな廊下に響く、ちょっとお間抜けな音に数人の女達が顔を上げた。
「まあ」
 口元に手を当てて、ふふと笑う。
「真樹ちゃん、お散歩ですか?」
「わたくし達と一緒にお茶を頂きませんか? お菓子もありますのよ」
 手招く綺麗なお姉さん達に、佐嶋真樹は立ち止まり、ちょこんと首を傾げた。ここのお姉さん達は優しいし、お菓子をくれるしで大好きだ。しかし、真樹は今、重大な任務についているのだ。
 きゅっと眉を寄せ、真樹はお姉さん達を見上げた。
「うに。まき、いまね、たからばこ‥‥を‥‥」
 だが、その視線はお姉さん達が手にした品々へと引きつけられていく。
「まき‥‥まき‥‥」
 可愛らしくデコレートされたケーキに、美味しそうなクッキー、涼しげな葛切り‥‥それは、お菓子の国への甘美な誘いだ。
「美味しそうでしょう? 先ほど、お土産に頂きましたのよ」
「お母様も、真樹さんがご一緒下さるとお喜びになると思いますわよ」
 真樹はきょとんと瞬きを繰り返した。
「まきがいっしょだと、うれしい?」
「ええ、嬉しいとおっしゃいますわ」
 その瞬間、真樹の脳内を占めていた重要任務が宝箱探しから、皆とお菓子を食べるに置き換えられた。
 任務の為にお姉さん達の誘いを断ろうとした真樹の健気な決意は、甘い誘惑の前に脆くも崩れ去ったのである。

●容疑者は‥‥?
「初めての正式な任務が宝探しとは‥‥。まあ、仕方ない。仕事だからな」
 静まり返った廊下に、硬い靴音が響く。メガテンプルムには神属の者達が多くいると聞いていたのだが、先ほどから誰も行き会わない。それどころか、気配すら感じられない。
「まるで、真夜中の廃寺だな」
「なに? なになに? 菖蒲、怖いのー?」
 覗き込んで来るチャロアイトを、安藤菖蒲は一瞥した。チャロアイトが隙あらばからかって遊ぼうと考えているのは、その口元を見れば一目瞭然。わざわざ、その思惑に乗ってやる必要もない。
「ここはいつもこんな感じだよ。まあ、今日は下の方がざわついているみたいだけど」
 案内役の狸小路が振り返り、2人の会話に加わった。口調が砕けているのは、相手が後輩の菖蒲とチャロアイトだからだろう。
「下で何かあったんですか?」
 消えた宝箱に繋がる情報かもしれないと、菖蒲が真剣な面持ちで問う。
「うん? ああ、この間、アンデレ様がお戻りになった時に、山田くんを連れ帰って来たらしいよ。だから、いろいろとね」
「山田くんが?」
「山田くんが戻って来たのね」
 神妙に頷いた2人に、狸小路は言葉を続けた。
「アンデレ様と一緒に新東京に行ってたのに、いきなりだからね。グレゴールの中には、何かあるんじゃないかと勘繰る奴も出て来てるし。山田くんがいるのといないのとでは、雰囲気も違って来るみたいだね」
「そうですか、山田くんが‥‥」
 ところで、と菖蒲は足を止め、狸小路に尋ねる。
「先輩、1つ質問があるんですけど」
「なんだい?」
 チャロアイトも、菖蒲に倣って歩みを止める。彼が何を言い出すのかと、好奇心でその瞳はきらきらと輝いていた。チャロアイトと狸小路と彼のファンタズマ、おキヌの視線を集めながら、菖蒲は口を開いた。
「山田くんってどなたですか」

●天から降るもの
 京都の夏は暑い。
 しかし、御所の真上に位置するメガテンプルムはひんやりと涼しい。
「さすがに神帝軍のお城だねぇ。全館空調完備ってやつだよ、きっと」
 ひょ〜っひょっひょっひょ!
 独特の笑い声を響かせて、山田ヨネは先を歩く天舞の背中をどついた。
「まったく! 女房に逃げられた親父みたいに背中丸めて歩くんじゃないよ! もっと シャキッとしな! シャキッと!」
「せ、拙者は女房に逃げられたわけでは! 床にトラップが仕掛けられておらぬかと確認していただけで‥‥」
「お黙り!」
 生真面目な漢の主張を一蹴して、ヨネはびしりととその指先を天舞の鼻先へと突きつける。
「いいかい!? 今からテレちゃんやセシルちゃんのおっ母様にお会いするんだ。そんな干物みたいに干涸らびた情けない姿をお見せするんじゃあないよっ!」
 干涸らびているのはヨネの方ではないか‥‥と、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、天舞は主の姿を探す。主ならば、毒を塗りたくった竹槍で突っつかれるかのヨネの口撃を躱し、なおかつ鎮めてくれるのではないかと期待しての事だ。
 しかし、彼の魔皇は‥‥。
「さすがに緊張するわね」
 ぼつりと呟いた御神楽永遠に同意したのは、山田ヨネの逢魔、マーリ。
「はい。私も未だにテンプルムに足を踏み入れるのは緊張いたします」
 ヨネと天舞の遣り取りになど気付いてもいないように、2人は会話を交わしながら歩いていく。
「姫! どのような罠が仕掛けられているやもしれませんぞ! 拙者より先に進まれては!」
 慌てて永遠の後を追う天舞の裾を掴んで、ヨネは己の元へと引き戻す。
「ちょっと! アタシの話を聞いているのかいっ!?」
「勘弁して下され!」
 いかなる敵にも後ろは見せぬ。姫をお守りする為に、この命惜しくはござらぬ。
 そう豪語する逢魔、天舞もヨネの説教には勝てぬようだ。
「‥‥というよりも、あれは敵以前の問題だ」
 彼らから少し離れた通路に身を潜め、様子を窺っていた夜霧澪がぼそりと呟く。
「敵ならば、それなりに行動の予測も出来るし、その裏を掻く事も出来る。だが、あれは突然に降りかかる厄災と同じだからな。対処のしようがない」
 この状況下、自分が取るべき行動はただひとつ。
「君子危うきに痴漢寄らず、だ」
 いくら満員電車の中に露出の多い美人なお姉さんがいたとしても、周囲に目つきの鋭い親父どもが目を光らせていたら、痴漢は近づいてこない。危険な所にはなるべく近づかない方がいいのだと、彼の友が教えてくれた。
 まったくその通りだと思う。
 捕まっている天舞には悪いが、地雷原にわざわざ飛び込む必要はない。彼には重大かつ危急の任務があるのだ。こんな所で足止めを食うわけにはいかないのだ。
「一刻も早く、誰よりも先に見つけ出さねば!」
 くるりと、澪は踵を返す。
 天舞に背を向け、一歩、足を踏み出したその時、彼の足下の床が突然に消えた。  
「澪さん、この先に‥‥あれ?」
 きょろきょろと辺りを見回して、小百合は首を傾げた。
 先ほどまで確かにいたはずの魔皇の姿がない。
「澪さーん、どこですかー?」
 ニッチに飾られた花瓶の花を抜いて中を覗いてみる。
 ‥‥いない。
「澪さーん?」
 廊下を守護するように置かれていた天使の像の下を探す。
 やっばりいない。
「あ、分かりました! また、私を置いて1人で行っちゃったんですね! 澪さん、ひどいです!」
 ぷんぷんと頬を膨らませて、小百合はぐっと拳を握った。
「それならそれでいいですよーだ。私1人でも謎に迫っちゃうんですから」
 決意を込めて、小百合は大きく頷いた。

●京都メガテンプルム
「火をつけたら、よく燃えそうな部屋だなぁ」
 それが、書物に埋もれた部屋を見たゴールデン・公星の第一声であった。
「‥‥マスター」
 こほんと咳払って、彼の逢魔、サキは案内をしてくれたファンタズマに詫びる。ファンタズマは気にした様子もなく、ただ静かに手を振って微笑むだけだ。
「‥‥京都のファンタズマには変わり種が多いと聞いているが、それはどうやら嘘だな。皆、美しくて奥ゆかしい方ばかりだ」
 豪快に笑って片目を瞑ったゴールデンに、サキは今度こそ頬を赤らめた。
「マスター‥‥」
 気恥ずかしげに俯き、サキはファンタズマに見えぬ場所で思いっきり魔皇の足を踏みつける。
 勿論、こんな事ぐらいで彼女の魔皇が堪えるはずもないのは百も承知している。
「しかし、義弟殿はこちらにも帰って来てはおらんようだな」
 掃除はされているものの、机の上に残されたカレンダーは彼がいなくなった時のままだ。予定の書き込みも、ある日を境に途切れている。
「副官とはいえ、彼はこのテンプルムの指揮官だろう? 指揮官が不在で大丈夫なのか?」
 ファンタズマは困ったように笑った。
「本当は大丈夫ではないと思うのですが‥‥。今は、アンデレ様ともうお一方の大天使様がリューヤ様の不在の穴を埋めておられるようですわ」
「もう1人の大天使?」
 本棚に並ぶ背表紙の中から、適当に取り出していたゴールデンが振り返る。この京都に大天使がもう1人いたとは初耳だ。
「はい。通常、プリンシパリティがおわすメガテンプルムには副官となる大天使が2人、遣わされます。あ、もちろん、それはお母様の事ではありません」
「そういえば、マザーも階級的には大天使でしたね」
 サキの言葉に、ファンタズマは嬉しそうに頷いた。
 母であるマザーの話が出来るのが嬉しいのだろう。
「お母様やお姉様方から伺った話では、もうお一方は変わっていらっしゃるようで、滅多に姿をお見せにならないそうですわ」
 京都に駐留する神帝軍は、皆変わってます‥‥とは、ゴールデンもサキも、さすがに口には出来なかった。

●真相究明
「ここには無いか」
 舌打ちして、菖蒲は軽い身のこなしでコクピットから降りた。
「皆の話を総合すると、宝箱が消えた前後に戻って来たアンデレが怪しいんだが、宝箱は懐に隠せる大きさでなし。こっそり持ち出すには無理がある」
「でもぉ、そんなに大きい箱でもないみたいだよ?」
 これぐらい、とチャロアイトが手でその大きさを示す。
「ああ。だから、ここじゃないかと思ったんだが」
 視線を巡らし、菖蒲はそれを見上げた。
 彼らの駆る殲機に似て異なるもの。
 それは、ヴァーチャーと呼ばれるプリンシパリティ専用の機体だ。
「この山田くんは、アンデレと共にこのメガテンプルムに戻って来た。そして、ここに残して新東京へと向かった。もしも、アンデレが宝箱を持ち去ったのだとしたら、この中に隠している可能性が高いと考えたんだ」
 彼の推理に、チャロアイトは目を見開いた。
「菖蒲! 凄い凄い〜っ!」
 きゃあと歓声をあげて、抱きついて来たチャロアイトを一瞥すると、菖蒲は難しい顔のまま考え込む。
「だが、ここには無かった。それに‥‥」
「それに?」
 ぎゅうと抱きつく腕の力を強くしても、菖蒲の意識は他に向かったままだ。ちょっと不機嫌になりつつも、チャロアイトは尋ねた。
「マザーの部屋はテンプルムの最奥にある。マザーの世話をするファンタズマも多い。誰にも見咎められずに宝箱を持ち出す事は不可能だ。つまり‥‥」
 菖蒲の推理が核心へと迫る。
 拗ねていた事も忘れて、チャロアイトも息を呑んだ。
 ついでに、汗を拭き拭き山田くんから降りて来た狸小路も真剣な菖蒲の表情に動きを止めた。
「つまり‥‥ぐっ!」
 真相を告げようとした菖蒲の頭に、何かがぶち当たった。からんからんと軽く高い音を立てて床に転がったそれは、金色の巨大な金盥。菖蒲の頭の形に凹んだそれを追いかけるように、無数のがらくたがけたたましい音を立てて降って来る。そして。
「む。ここは‥‥」
 すたっと降り立った男、夜霧澪。心なしか顔色が悪い。
「一体何事ですか、これは!」
「たいした事ではない。ちょっとしたトラップだ」
 床を埋め尽くさんばかりのがらくたと共に降って来て、たいした事ではない? しかも、菖蒲の頭の上に、一昔‥‥いや、二昔前のコントみたいに盥をぶつけておいて?
 チャロアイトの眦が吊り上がる。
「それは罠ではありませのよ」
 大きな音に驚いて駆けつけて来たファンタズマが、澪の言葉にくすくすと笑う。
「アンデレ様の緊急発進用シューターですが、いつの間にか色々と溜まってしまって」
 告げられた内容に、彼らは一様に言葉を失い、床一面を埋め尽くしたがらくたを見つめた。
「緊急用って‥‥こんなに詰まってたら、いざという時に使えないんじゃ‥‥?」
「滅多に使われる事がありませんし?」
 彼らが戸惑っている理由が分からないらしいファンタズマに、どっと疲れが押し寄せて来る。
「‥‥‥‥もう、いい。とにかく、宝箱の在処へ向かおう」
 額に手を当て、大きく息を吐き出して、菖蒲はゆるゆると歩き出した。

●午後のお茶会
 優美な音色がその部屋を満たしていた。
 うっとり聞き惚れているのは、テーブルについた女性陣だ。
 余韻を残しつつ、最後の音が空気に溶け込むと同時に、彼女達から盛大な拍手が巻き起こった。
「素敵な演奏でしたわ。ゴールデンさん」
「本当だねぇ。あんたみたいな厳つい男が演奏しているとは思えない程、綺麗な音だったよ」
 永遠とヨネの賛辞に、ゴールデンは片手を上げて応える。
「わたくしも、心が震えましたわ」
 幾重にもかけられた薄布の向こうから聞こえた声に、ゴールデンは膝を折り、深々とお辞儀をした。
「今日、何の為にこちらへ伺ったのか忘れてしまいそうでした」
 恥ずかしそうに呟いて、永遠は手帳へと手を伸ばす。そこには、テンプルムの人達から聞いた情報が書き留められている。情報を辿って、このマザーの部屋にまで辿りついたのはいいが、マーリが持参した手土産とファンタズマの煎れた紅茶の香りとに誘われて、優雅な午後のお茶会を堪能してしまった。
 茶会が始まった頃は、まだ意識は探し物に向いていたのだ。だが、ゴールデンがバイオリンに弓を当てた辺りから、当初の目的はすっかり頭の中から消えてしまっていた。
「素晴らしい音色、薫り高い紅茶、そして美味しいお菓子‥‥。滅多にお会いする事が出来ない皆様方と一緒に過ごす時間‥‥。こんな幸せを堪能しない方が罪と言うもの‥‥」
 そういえば、と薄布の奥の影が揺れ、マザーがくすりと笑う気配が伝わって来た。
「このお菓子‥‥。あの時、頂いたお菓子を思い出しますわ。ベリーベリーケーキも、他のお菓子も、とても、とても美味しかった‥‥」
「ええ。これらはあの時と同じ、シュバルツバルトのお菓子です」
 マーリが頷いて告げた店名に、マザーは感慨深げに溜息を漏らした。
「伝え聞く話では、ご店主は人生の墓場に足を踏み入れたとか。ご無事でいらっしゃればよいのですが」
「そっ、それは‥‥」
 何と答えてよいものか。
 マーリは永遠と顔を見合わせる。
 と、慌ただしく扉が開かれた。
「失礼。ですが、ここに我々が探している物があると思われますので」
 マザーに向かって一礼をして、菖蒲は室内の者達を見回した。
「おや? 珍しい所で珍しい奴に会うもんだな、夜霧の坊主!」
 ぱんと手を叩き、歩み寄って来るゴールデンの姿に、澪がげ、と声を上げる。
 何やら騒然とし始めた室内の様子を眺めながら、ヨネはやれやれと肩を竦めた。
「ちったあ風情を楽しむ事を覚えりゃいいのにねぇ、真樹ちゃん?」
 んぐんぐとコップに注がれたミルクを飲んでいた真樹が、ヨネの言葉に大きな瞳を向ける。真樹の頭をかいぐりと撫で回して、ヨネはテーブルの上に綺麗に並べられた菓子の1つを手に取った。
「はい、真樹ちゃん。たんとおあがり」
「うに‥‥。まき、もうおなかいっぱい‥‥」
「いいですか! 宝箱がこの部屋から持ち出されるのは不可能に近く!」
「ひっどーい!! 私がお掃除のお手伝いしている間に、澪さん、こんな所でお菓子を食べていたんですねーっ!」
 先ほどまで静かにゆったりと流れていた時間が、早回しになったしまったかのようだ。
「あーあー、もう! うるさいよ、静かにおし!」
 喧噪の中、持たされた菓子とヨネの顔を交互に見ていた真樹は、ぴょんと椅子から飛び降りた。
「ですから! 消えた宝箱は、この部屋の中に‥‥‥‥」
 周囲に負けじと声を張り上げていた菖蒲の言葉が不自然に途切れた。
 そんな彼の様子に釣られて、他の者達も動きを止め、彼の視線を辿る。
 てけてけと部屋の隅っこへと駆けて行った真樹が、そこに置いてあった棚の扉をあけ、うんしょうんしょとテーブルクロスやらナプキンやらを引っ張り出していた。やがて、その奥から現れた箱の中へと貰ったお菓子を大切そうに仕舞い込み、そして‥‥‥‥。
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この小説は株式会社テラネッツが運営する『神魔創世記 アクスディアEXceed/セイクリッドカウボーイ』で作成されたものです。
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