どらごにっくないと

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沢水に空なる星の映るかと‥‥

  • 2008-08-11T23:13:56
  • 桜紫苑ライター
沢水に空なる星の映るかと‥‥

●夏の午後
 開け放った窓から吹き込んで来た心地良い風に目を細めると、ジャンガリアン・公星はペンを置いて立ち上がった。
 書類にサインをしていくだけの単純作業にもそろそろ飽きて来た。
 窓辺へと歩み寄り外の景色を眺めて、リアンは微笑んだ。
 太陽はまだ真上にある。
 建物がひしめき合い、空調の室外機が吐き出す生温い風と排気ガスとで満たされた街は、不快指数が上昇の一途を辿っている頃だろう。
 同じ国の、そう遠くは離れていない場所なのに、と風が撫でるに任せていた髪を掻き上げて、リアンは思う。
 この場所に来ると、世界が遠く離れてしまったかのように感じるのは何故だろう。
「と言ったら、殴られたな。そう言えば」
 あの日も暑かった。暑くて動く気にもならなかったから、行きつけの店に避難して、そう呟いたのだ。途端に、後頭部を殴られた。盆で強かに。しかも、殴った女性の後ろには、順番待ちの列まで出来ていた。
「ちょっと感慨に耽っただけなのに」
 思い出して苦笑し、リアンは爽やかな夏の風景から室内へと視線を移す。そのまま、デスクまで戻ろうとして、彼は足を止めた。
「‥‥‥‥‥」
 今、人影が視界を過ぎった気がする。
 しかし、ここは公星の私有地で一般道からはかなり離れているし、今日は来客の予定もない。通いのお手伝いさんが来る日でもない。
 ゆっくりと、彼は振り返った。
 間違って迷い込んだ観光客なら道を教えなければ。
 電話やメールでは満足しなかった仕事関係者なら追い返さねば。
 他人の物に手をつけようと企む不届者であるなら性根を叩き直してやろう。
 そして、彼は見た。
 屋敷には目もくれず、てくてくと歩み去って行くその人影は‥‥、
「‥‥澪」
 よく見知った、彼の昔馴染みであった。
「澪!」
 膝から力が抜けかけるのを気力で押さえ、友人を呼び止めて窓枠を飛び越える。
 常人であれば大怪我しかねない高さだが、リアンにとっては高さはあってないようなものだ。
「‥‥リアン、か」
 呼び止められた男、夜霧澪は突然に現れたリアンに、限りなく無表情に近い表情を僅かばかり動かした。
「その『どうしてお前がここに!?』みたいな顔は止めてくれ」
「どうしてここにいる?」
 がくりと項垂れて、リアンは澪の肩に手をかけた。
「‥‥ここは、俺の屋敷だ」
 しばしの沈黙。
「そ、」
「もういい。で、何故ここにいる?」
 問いをそのまま返すと、澪は再び沈黙した。
「‥‥なんとなく、思い立って」
「へぇ、なんとなく」
 痛み始めたこめかみを揉みほぐしながら、リアンは溜息をつく。
 この調子では、周囲には何も言っていないのだろう。
 彼が消えて大騒ぎをしている逢魔の姿が目に浮かぶようだ。
「警察に手を回して失踪届けを取り下げて貰わないと。‥‥それから」
「‥‥は、ここで何をしている」
 ぶつぶつと呟いていたリアンは、澪の問いに顔を上げた。
「何って、跡を継ぐと決めたからな。色々と大変なんだ、これでも」
 肩を竦めたリアンに、澪もふ、と口元を緩める。
「まぁ、励め」
 ぽんと肩を叩かれての言葉に含む物を感じて、リアンは眉を寄せる。だが、澪は何事も無かったかのように再び歩き出していた。
「澪!」
 呼び声に、彼は足を止め僅かに振り返る。
「この辺りには何も無いぞ。飯の用意をしておくから、暗くなる前に戻れ」
 頷いたのか頷かなかったのか。
 澪は無言で歩き去っていく。
「まったく、何だと言うんだ」
 やれやれと、リアンは溜息をついて踵を返した。

●理由
 俺の名は夜霧澪。
 あの戦いの後も、相変わらず闇から闇へと渡る殺伐とした人生を送っている。
 それが、俺にとって一番性に合っているらしい。
 だが、俺にだって幼い頃の思い出の1つや2つある。
 あの時の光景に、もう一度出会いたいと思う時だってあるんだ‥‥。

●回想ー彷徨ー
「リアンちゃん」
 呼びかける澪の声に、不安が混ざる。
 見上げてくる瞳に、リアンは殊更明るく笑ってみせた。
「大丈夫だってば。ここは、僕のお家の中なんだよ。スタンレーの魔女の笑い声は聞こえないよ」
「いってるいみが分からないよ、リアンちゃん」
 気にしない、気にしない。
 リアンは3つ年下の少年の手を引っ張って、元気よく歩き出した。
 この探検に澪を強引に参加させた引率者としては、ここで不安な顔を見せるわけにはいかない。ましてや、自分の家の敷地内で迷ったと告げるだなんて、リアンのプライドが許さない。
 絶対、何が何でも生還してみせる。
「ぅわっ!」
 固く心に誓ったリアンの後ろで、澪が素っ頓狂な声を上げた。
「な、なんだい? 澪」
 驚きを顔を出さないよう苦心して、平静を装って振り返ったリアンに、澪は頭上を指さして叫ぶ。
「リアンちゃん、一反木綿だ! 一反木綿が出たよっ!」
 おそるおそる、澪が指し示す先を見たリアンの喉が鳴った。
「馬鹿だなぁ、澪。一反木綿なんて、本当にいるわけないだろう?」
 はっはっは。
 笑って澪の訴えをさらりと聞き流すリアン。
 故意に外した視線と、じっとりと汗ばんだ手の平が彼の虚勢を物語っている。しかし、僅か6歳の澪に、その虚勢を見抜くだけの力はなく、
「だって、本当に一反木綿‥‥」
 空にひらひらと浮かんでいる白い布を指さし、呟くのが精一杯であった。
 そうこうしている間にもずんずんと先に進んで行くリアンを追いかけた澪が、びくりと体を震わせる。彼の真横の繁みが、突然、がさりと揺れたのだ。硬直した彼の前に現れたのは、鱗のようなもので覆われた一匹の動物だった。
「リアンちゃん、リアンちゃん、こんどはアルマジロだよ! アルマジロがいるよ!」
 日本の山中に生息するはずのない動物の登場に、澪は思わずリアンの服の裾を掴んだ。
「はっはっは、アルマジロがいてもおかしくないだろ?」
「アルマジロはアメリカたいりくにいるって本に書いてあったよ」
「いいかい、澪。うちにはロシアにいるはずのロシア人がいるよ」
 う、と澪は言葉に詰まった。
 真剣な顔でそう言われると、何もおかしい事はないような気がして来る。
「う‥‥うん?」
 リアンに手を引かれながら、アルマジロを振り返った澪は再び声を上げた。
「リアンちゃん! ガメラだよ! ガメラがいるよ!」
「ガメラじゃないよ、それはワニガメだよ」
 またも、何でもない事のようなリアンの返事。
 澪はふと思い出した。
 リアンのロシアの血をひく兄がよく聞いている曲を。確か、有名な歌劇だったはずだ。
「ぼ、僕も一反木綿に連れてかれるんだね‥‥」
「きっと学校も試験もないよ」
 歩みを止めかけた澪を引き摺って、リアンは目を細めた。
 先ほどから、周囲の景色の中に見覚えがあるものが混じり始めている。
ー屋敷の近くまで戻って来ているんだ!
 確信して、リアンは足を速めた。
 疲れも不安も、どこかへ吹き飛んでいく心地がした。

●衝撃
 幼い頃の思い出を辿りながら歩いていた澪は、傍らの木に手をついた。
「‥‥‥‥」
 純真だった自分。
 疑う事を知らない幼い自分が口で彼に勝てるはずもなく、やがてだんだんと口数が少なくなり、そして‥‥。
 
●回想ー地上の星ー
「澪、あんまり近づいちゃ駄目だよ」
 池のほとりに座り込み、リアンは水面を覗き込んでいる澪へと声を掛けた。
 一反木綿にアルマジロ、ワニガメ、アナコンダに首狩り族、狸、怪しげな呪いの像にミカンノウカノオバサン、ダチョウ、コモドオオトカゲと続いたのだ。池の中にワニがいてもおかしくはない。
「僕達が戻らなければ、きっと誰か探しに来てくれるはずだ」
 しかし、こんな秘境の奥地では、救出隊が辿り着くのは夜が明けてからになるだろう。それまで、何としても生き延びねばならない。
 月のない空を見上げて、リアンは考えを巡らせた。
 昼食以降、ポケットに入っていたキャンデー以外、何も食べていない。くわえて、自分も澪も薄着だ。夏とはいえ、夜の山は冷える。なるべく寄り添って暖を取っておくべきか。
「リアンちゃん、リアンちゃん」
「澪、危ないから‥‥」
「水の中に星があるよ」
 え、とリアンはもう一度空を見上げた。
 月のない空には無数の星が瞬いている。
「澪、それは空の星が水に映って‥‥」
 わぁ、と澪が歓声を上げた。
「リアンちゃん、星が降りてきたー」
 澪の周囲を、柔らかく瞬く光が取り巻いている。大喜びする澪へと歩み寄って、リアンはその光の正体に気付いたーーー。

●思い出のほとり
「‥‥‥‥」
 泉のほとりで乱舞する蛍の群れを眺めていた澪は、おもむろに左手を挙げた。
 ぱしりと小気味良い音が響き、冷たい金属の感触が手の中に収まる。
「なるほど。思い立って‥‥か」
 予想に違わぬ声。
 澪は小さく笑いを漏らして缶のプルトップを引いた。
 声の主は澪の傍らまでやって来ると、彼と同じように草の上に座る。
「何年前になるかな。迷って、ここに来た事があった」
 缶を開ける音が響く。
 冷えたビールを喉に流し込み、澪は頷いた。
 自分が覚えているのだ。当然、リアンも覚えているだろう。
「山奥で遭難したと思っていたけど、結局、屋敷の裏手まで戻っていて、帰りが遅いと探しに来たロボに見つかって大目玉を食らった」
 くすくすと笑って昔語るリアンの言葉を聞きながら、澪は泉の蛍へと視線を戻した。
 幼い日の小さな冒険は、今にして思えば、種を明かされれば納得してしまう箱庭の中の話だった。
 しかし、今なお、どうしても分からない事が1つだけ残っている。
「なぁ、リアン。あの時見た一反木綿、あれは一体何だったんだろうな‥‥」
 ぽつり、その疑問を口にした澪に、リアンはあっさりと答えた。
「ああ、あれか。あれは、風に飛ばされて木の枝に引っ掛かっていた祖父の褌だった」
「‥‥‥‥」
 聞かなければよかった。
 思い出は思い出として美しく残しておいた方がいいものがある事を、澪はこの日、知ったのだった。
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(パートナー:夜霧・澪)

この小説は株式会社テラネッツが運営する『オーダーメイドCOM/シチュエーションノベル(2)』で作成されたものです。
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