どらごにっくないと

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恋に落ちる瞬間

  • 2008-11-04T20:46:36
  • あるが
困っている人がいたら、助けてあげよう…。
 それは、大好きだった父親がよく言っていた言葉。
 哀しさや辛さを知っているからこそ、人は優しくなれるのだと。
 けれども現実はそんなに甘くは無い。殆どの人は、自らに関係のない事には関心を示さないのだ。
 今、渡会飛鳥はその現実をひしひしと感じ取っていた。

 最初は気のせいかと思った。
 混雑する電車の中、人に押された誰かの手が偶然自分のおなかに当たったのだと。
2度3度、同じようにわき腹や腰に手が触れる。どの時も、チャコールグレーのスーツが視界の隅に映る。さすがに怪訝に思い、上目遣いで見上げると、背後に立つ気の弱そうな会社員が恥ずかしそうに頭を下げた。
(やっぱり偶然…よね)
 男性はわざとそういった行為をするような人には見えない。現に1つ駅が過ぎ、少しだけ車内に余裕が出来てからは、身体に触れてくるようなことはなくなった。
 関係のない人に疑いを持ってしまった事を恥ずかしく思った飛鳥は、入り口付近へと移動した。降りる駅まではあと3分ほどだが、その短い間でも男性と顔をあわせるは気が引けるので、ドアのほうを向いて立つ。
 早く着いてほしい。家に帰って、家族と話をして…自分の勘違いを盛大に笑ってもらえれば、少しはスッキリできるのに…そう考えると、停車時間すらもどかしく感じられた。
 だが。
 再び走り始めた電車の中で、飛鳥は自分のヒップに、今度は確実に触れる手に気がついた。
「きゃ…」
 小さくもれた悲鳴に、座っていた中年男性が目を向ける。だが、それだけだ。
 トンネルに入り、暗くなった窓に映ったのは、背後に立つ先ほどの会社員。勘違いなんかじゃない、そう確信した後は、飛鳥が驚くほど大胆にまさぐってくる。
「やめて…ください」
 助けを呼びたかったが、恐怖と恥ずかしさで声は蚊の鳴くようなものしか出なかった。涙で潤んだ瞳で周囲に訴えても、気づいてもらえない。いや、気付かぬふりをしているのかもしれない。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
 逃れようとする飛鳥を嘲笑うかのように、腕はしつこく触れてくる。
 大人達は横目で自分を見ている。助けを求めて視線を合わせると、気まずそうに目を逸らすが。
 ――知らないふりをしているんだ…
 周囲の冷たい態度も哀しかったが、この卑劣な行為に抵抗できない自分が何よりも悔しかった。
 深呼吸ひとつ。おなかいっぱいに息を吸って、飛鳥は自分の背後にいる男性の腕を取った。
「やめてください!」
 そう大声で叫ぶと、さすがに車内は一瞬静まり返って飛鳥を注視する。
「………!」
「えっ…?」
 男性と目が合った瞬間、飛鳥は絶句した。
 未だしっかりと捕まえた腕の先にいたのは、金色の髪と赤褐色の肌。あの会社員とは似ても似つかない外見の異国の青年だったのだ。
「ごめんなさい、違います…違います!」
 ドアが開き、騒然とする車内に座り込み、飛鳥は慌てて自分の間違いを謝罪した。


              ◆       ◆       ◆
 飛鳥はティーン向けのファッション雑誌の現役モデルだ。そしてこれからは女優として活動を広げていく予定のため、醜聞を避け被害届を出すだけに留める事になった。

 駅の事務所と交番で事情徴収を受けた後、迎えに来たマネージャーと共に家へ帰ることになったが、飛鳥の心は晴れない。
 仮にも自分を助けてくれようとした人を、逆に犯人に仕立て上げてしまう所だったのだ。間違いだと何度も説明したが、はたして信用してくれたのかどうか。もしもの事を考えると、とても落ち着くことはできない。
 何よりも彼にきちんと謝罪できていないのだ。
 どうしても一言、自分の口からお礼と謝罪をしたい――
 そうマネージャーに無理を言って頼み込み、しばらくの間、こっそりと待つことにした。
 だが、1時間過ぎても彼は現れない。空はすでに暗くなり始めている。
「別なところから帰っちゃったんじゃないのかな?」
「この駅に自転車を止めてるって言っていたの。だから、きっとくるもん…。あきらめないもん」
 諦めさせようとするマネージャーを振り返りもせず、言い切った。
「お芝居の練習も、これぐらい粘り強くしてくれたら…」
 ため息混じりのぼやきを気にも留めず、飛鳥はじっと彼が出てくるはずの交番を見つめていた。
 飛鳥の表情が明るくなったのは、それからさらに1時間が過ぎた頃だろうか。
「出てきた…!」
 嬉しさを隠さず振り返る姿に釣られ、マネージャーは身を乗り出して『彼』を眺めた。街灯の下、警察官と会釈をし合っている表情に険悪さは見当たらない。
「どうやら疑いは晴れたみたいだね」
「本当?よかった。…あ!あたし、行って来る」
 聞いていたとおり、まっすぐと自転車置き場へ向かう彼を見て、マネージャーが止める間もなく走り出していた。

「あ、あのっ、すみません!」
 いざ声をかける時になって、飛鳥の心臓は爆発しそうになっていた。待っている間考えていた言葉も行動も、すべて吹き飛んでしまっている。
 どう切り出すべきか迷ったが、青年が自転車を引っ張りだしてきたので、飛鳥は思い切って声を出してみた。
 振り返った彼は、少し驚いたような表情で飛鳥を見つめる。
「君は…」
「あの、さっきは…助けてくれて、ありがとうございました。そして、ごめんなさい」
 緊張して声がうわずる。震える手を握りしめ、恥ずかしさで赤くなった顔を見られないよう、俯いたまま大きく頭を下げた。
「さっきは災難だったね。もう落ち着けたかな?」
 怒られる事も覚悟していたが、返ってきた言葉は、とても優しい響きをしていた。恐る恐る見上げた顔には微笑があった。
「でも、こんな遅くまで…。迎えが来て、先に帰らせてもらったはずだよね」
「どうしても、ちゃんと謝っておきたくて…」
「まさか、僕を待っていてくれたの?」
 驚いた青年に、飛鳥はこくんと頷いた。
「あたしのせいで捕まっちゃったどうしようって、心配していたの」
「大丈夫、君がすぐに訂正してくれたから。それに、他に目撃者もいたからね」
 青年の微笑みにつられて、飛鳥も自然に笑顔になる。
「あすか、です。渡会飛鳥」
 自然に出た自己紹介に、青年は軽く頷いた。
「飛鳥ちゃん、そろそろ戻らないと、向こうでお兄さんが心配しているんじゃないかな?」
 待たせていた事を思い出し、慌てて振り向くと、マネージャーは心配そうに様子を窺っていた。
「それと…」
 不意に声のトーンが変わり、飛鳥は思わず身を竦めた。マネージャーや実兄が自分を叱る時と同じ口調だ。
「知らない人に、不用意に名前を教えちゃ駄目だよ」
 だが続いた声は予想に反してとても優しい。身を屈めて視線を合わせ、小さい子供に言い聞かせるような感じだ。思わず頷いた飛鳥に微笑むと、青年はさよならを言って歩きだした。
 それを見届けて、マネージャーが駆け寄ってくる。
「話は終わった?」
「…うん」
(名前、聞きたかったなぁ)
 数分前、声をかける前とは違うリズムで、飛鳥の心臓が高鳴っていた。
 ほんわりと温かい、心地よい感覚。
(また…きっと会えるよね)
 その余韻をもう少し感じていたくて、飛鳥は遠くなっていく青年の姿が見えなくなるまで見送った。
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BNOのキャラクター、飛鳥とダミアンの出会いを、プライベートノベルとして書きました。

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